バングラデシュ:去るか、死か。ロヒンギャによみがえる悪夢

2017年12月23日掲載

2017年8月25日、ミャンマーのラカイン州で武装勢力「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)への反撃として軍と地元民兵が開始した一連の「掃討作戦」は、暴力行為へと変わり、民間人に向けられた。この日以降、64万7000人余りのロヒンギャがミャンマーからバングラデシュに脱出した。国境なき医師団(MSF)がバングラデシュ国内の難民キャンプで行った調査によると、子ども730人を含む6700人以上が、この掃討作戦で殺害されたとみられる。

難民キャンプにたたずむロヒンギャの子ども 難民キャンプにたたずむロヒンギャの子ども

ロヒンギャのモハマドさんは教師だったが、今、妊娠中の妻とともにバングラデシュで難民として生活をしている。ミャンマーでの暮らしは大変だったが、8月25日の朝、それは地獄と化した。

「夜明けの祈りのためにモスクにいたんです。静かな金曜の朝5時半ごろ、私たちの村に男たちが乗り込んでくる音が聞こえました」

男たちはやがて、機関銃を撃ち始め、家屋や農園に手りゅう弾を投げつけた。モハマドさんの村はパニックに陥った。

「村を襲ったのは軍と国境警備隊でした。その制服を見たんです。皆、わけもわからず、散り散りに逃げていました。村から逃げるべきか? 家に戻って家族の無事を確認するべきか? 頭が爆発しそうでした」

モハマドさんは、モスクにいた従兄弟と逃げ、銃声がやむまで近くの森に隠れようとした。しかし、逃げる途中で従兄弟は撃たれた。1発は頭部に、もう1発は腹部にあたった。
モハマドさんはショックで立ち止まることもできず、そのまま走り続けた。残された従兄弟は亡くなった。「雨のように降り注ぐ銃弾の音と村人の叫び声」。モハマドさんが聞いたすべてだった。

腕を撃たれたアジダさん。一家で生き残ったのは姉妹のシャムシダさんと本人の2人だけだ。 腕を撃たれたアジダさん。一家で生き残ったのは姉妹のシャムシダさんと本人の2人だけだ。

森の木陰に何百人もが隠れていた。皆、死ぬかもしれないとおびえながら、丸1日そこにとどまっていた。激しい銃撃は朝から晩まで何時間も続いた。モハマドさんは「皆怖がり、神に祈りながら、大切な人の安否を心配していました」と語る。

日が暮れ、銃撃が止んだ。しかし、誰も森を出ようとはしない。静まり返った木々の間で一夜を過ごした。

翌朝早く、モハマドさんたちは家に戻り始めた。村に着いて目にしたのは、大切な人の死やけがを知って泣き崩れる隣人たちの姿だった。モハマドさんも自宅が近づくにつれ、最悪の事態を覚悟した。妻と母と6人の兄弟姉妹の死——。

「ようやく家にたどり着き、中に入ると、家族の皆が泣いていました。私が死んだと思っていたそうです。あまりの恐怖に、その瞬間は喜びなどありませんでした。バングラデシュに行こうと決めたのはその時です。家族に、私が面倒を見ると約束しました。バングラデシュなら安全で、誰も死んだりしないだろうと……」

一家は衣類と毛布を急いでまとめ、その日の午前6時に家を出た。漁師に渡し賃を支払い、ミャンマーとバングラデシュを隔てるナフ川を越え、1週間ほどでバングラデシュのコックスバザール県に広がるキャンプに到着した。そこでNGOの援助を得て、竹を組み、住居を建てた。

8月の弾圧以降、これらのキャンプに避難してきた多くのロヒンギャと同様、モハマドさん一家は過酷な環境で暮らしている。命拾いはしたが、先の不安はぬぐえない。モハマドさんが結婚したのはほんの10ヵ月前で、今は第1子の誕生を控えている。家を追われ、必要なものが手に入らない。「妻は妊娠3ヵ月ですが、ここでは子どもも人間らしい生まれ方はできないでしょう」

モハマドさんの父は農業に携わっていたが、37歳の若さで亡くなった。モハマドさん自身は、周囲の人の役に立とうと若い頃から非常に努力し、2011年にはラカイン州のシットウェー大学で物理の学位を取得した。一家の中で学校教育を受けたのはモハメドさんが初めてだ。

ロヒンギャはそれ以上の教育を受けることなどできない。厳しい移動制限を課せられているため、初等教育や基本的な保健医療を受けることも難しい。そうした壁を地域の人が乗り越える手助けをしたいという思いから、モハマドさんは7人の同僚と協力し、村に中等学校を建てた。

しかし今、その村は焼け落ち、よりよい将来という夢も打ち砕かれ、モハマドさんは希望を見出せずにいる。「ここでは安全ですが、涙は今も渇くことがありません。村で目にした光景を思い出して語るときは特に……」


——「ここはおまえたちの国じゃない」——

ウム・カルスムさん(23歳)はさらに酷い体験をしている。8月25日、ラウセダウンの町で起きた殺戮で、7歳の息子アブドゥル・ハミドちゃんと6歳の娘サリマちゃんを亡くした。

ウム・カルスムさんは2人の子どもを失った。末っ子で1歳半のアブドゥル・ハフィズちゃんだけは生き残った。 ウム・カルスムさんは2人の子どもを失った。
末っ子で1歳半のアブドゥル・ハフィズちゃんだけは生き残った。

一家が自宅で過ごしていると、村が襲われた。頭上にヘリコプターが飛んでいた、と、ウム・カルスムさんは空を指差し、翼の回転音を口真似する。「あの朝、大勢の叫び声と、銃声が聞こえました。息子と娘はパニックになって家を飛び出し、そこで兵士に撃たれたんです。玄関のすぐ前でした」

家の中に戻るように叫んだが返事はなく、外に出るとそこに2人の姿があった。「アブドゥル・ハミドは頭のてっぺんを吹き飛ばされ、サリマは耳から銃弾が貫通していました」

覚えているのは、叫び声。ヘリコプターの回転翼と発砲の轟音をかき消すほどの、自分の絶叫だった。

夫がウム・カルスムさんと1歳半の息子アブドゥル・ハフィズちゃんを抱え、林に逃げ込んだ。その時、ヘリコプターが「何か」を一家の木造の家に落とすと、瞬く間に炎が上がった。

一家は、逃げてきた何千という人と一緒にナフ川を目指した。途中、軍の巡回に引き留められた。「夫はめちゃくちゃに殴られました。私も父から贈られた結婚指輪を奪われ、顔をひどく叩かれました」。それ以来、右耳がよく聞こえないという。

「出て行けと言われました。ここはおまえたちの国じゃない、と……」

8日後、ナフ川にたどり着いたものの、たくさんの家族が渡ろうとしていたことから、バングラデシュまで運んでくれる漁師を見つけるのにさらに3日かかった。

長男と長女を亡くしながら、ウム・カルスムさんは今、前に進むために、力を奮い起こそうと懸命になっている。幼いアブドゥル・ハフィズちゃんの命を守らなければならないのだ。しかし、生き残ったわが子も難民キャンプ到着以来、体調がすぐれない。下痢と発熱がなかなか治らず、毎日のようにMSF運営の診療所に来ている。この数ヵ月、十分に苦難を経験してきたというのに——。

ウム・カルスムさんの顔はやつれて、恐怖に青ざめ、実際よりもはるかに年齢を重ねたように見える。アブドゥル・ハフィズちゃんはおむつをしておらず、身に着けているのは頭と身体を覆う赤と緑の布だけだ。このキャンプに、おむつをつけている赤ちゃんはいない。

2人の子どもを失ったウム・カルスムさんは言う。「本当にこの子がかわいそうです……」


——積年の苦しみ——

教師のモハマドさんによると、ロヒンギャは長年、暴力にさらされていただけでなく、差別や迫害の標的になっていたという。今回の掃討作戦についても「目新しいことではありません。何十年も前からのことです。軍や民兵は極めて酷く、卑劣なやり方でロヒンギャを殺し、強姦し、拘束し、弾圧してきました」と語る。

8月25日以前も、モハマドさん一家は何も持っていなかった。

「首都の偉い人たちは、私たちに何も与えたくないのでしょう。そうして追い出そうとしているのです」

長年にわたり暴力を振るわれ、強奪されてきたロヒンギャの人たち。だから、衝突があった場所から離れた地域にいた多くのロヒンギャの人たちも、緊張の高まりを知って、すぐにどう対処すべきかわかっていた。しかし、あらかじめ避難したのにもかかわらず、被害に遭った人もいる。

「軍が私たちを殺しに来ると聞いて、イード・アル=アドハー(イスラム教の祝祭)の最終日、9月4日に逃げる準備をしました」

そう語る農家のモハマド・アリさん(60歳)は、耕地と25頭の牛を残してシットウェー郡の家を出ると、約1700人のロヒンギャとともにナフ川に向かった。

バングラデシュに向かう途中、妻と2人の孫娘を亡くしたモハマド・アリさん。 バングラデシュに向かう途中、妻と2人の孫娘を亡くしたモハマド・アリさん。

「出発して数時間後、軍がナイフや刀、ライフルで私たちの集団を襲ってきました。手当たり次第に殺され、辺り一面が血の海でした。逃げる体力のない人が命乞いをしても、殺されてしまったのです。10歳のデル・バハルと15歳のデル・ナワズの二人の孫娘、それから58歳の愛する妻ロヒマも殺されました。妻は3発も撃たれ、地面に崩れ落ち、亡くなりました」

モハマド・アリさんと8人の子どもは生き延び、難民キャンプにたどり着いた。しかし、キャンプの環境は過酷だ。一家が暮らす場所にはトイレがなく、清潔な水もない。

「私は年老いていて、脚も痛みます。先ももう長くありません。でも、子どもたちには平和に暮らしてほしいのです。ミャンマーに押し返されるようなことがなければいいのですが……。そうなれば、またひっそりと殺されていくだけでしょう」

ヌール・モハマドさんも、バングラデシュへ向かう途中で銃撃された。現在、MSF診療所で治療を受けている。 ヌール・モハマドさんも、バングラデシュへ向かう途中で銃撃された。現在、MSF診療所で治療を受けている。

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