コンゴ民主共和国: 「誰もが仲良くやっていたのに」――患者たちが明かす胸の内

2017年11月20日掲載

突然の武力衝突に巻き込まれてしまった住民たち。家族を殺され、自宅を焼かれ、避難先では食べ物が手に入らず……。比較的平穏だとみられていたコンゴ民主共和国のカサイ地方は今、深刻な危機に直面している。

国境なき医師団(MSF)が運営・支援している診療所にやってきた誰もが悲惨な体験をしている。数ヵ月から1年以上にもわたって森の中などに身を隠し、MSFの治療を受けた今も、その後の展望が描けない。患者たちがつらい胸の内を語った。

こんなにひどい暴力に遭ったのは/マシャンガさん(避難者/58歳)

外来栄養治療センターに孫ムルンバ(生後11ヵ月)を連れてきました。出身は、ムイェイの町に近いセンゲ村、鉱業が盛んな地域です。

今年(2017年)の5月のある夜、村が襲われました。武装した男たちが大勢でやってきて……。私たちの家にも押し入り、ムルンバの両親の首をはねたのです。

襲撃事件のあと、この子が生きていることがわかりました。ただ、祖母の私では授乳ができません。

やぶの中に3週間、隠れていました。とてもつらい思いをしました。原野をいくつも越えて、この診療所にたどり着きました。

こんなにひどい暴力に遭ったのは、(国が)独立して以来、初めてです。今は教会に身を寄せています。他に10人ほどいて、カマコやカモニアの出身だと聞きました。孫と2人きり、何もすることがありません。親類とも、ばらばらになってしまいました。

今回の紛争が起きる以前は、言葉の違う人たちとの交流もあり、出身地が違う男女の結婚もあったのに。当分、センゲ村には戻れません。完全に壊されてしまいましたから。

殺された人数は見当もつきません/カベヤ・マンバ・ミシェルさん(患者/30歳)

ディテケメナ診療所に入院しています。妻と娘が付き添ってくれています。センゲ村から逃げて来ました。村が襲撃され、私たちは近くの森に2ヵ月ほど隠れていました。警官から「村へ戻れるようになった」と聞いたその晩、兵士がやって来て私たちを撃ったのです。

徒歩で森を抜け、診療所に着くまでに3~4日かかりました。何もかも大変でした。(マラリアを媒介する)蚊をどう避けるか、どうやって食べ物を手に入れるか。命を落とした子どもたちもいます。

私はダイヤモンドの採掘工でした。村には戻れないので、ツィカパで部屋を探しました。

老若男女が殺されました。人数は見当もつきません。家が建ち並ぶ目の前に集団墓地がつくられ、30~40人が埋葬されました。私たちの家は焼かれました。

平和が戻ると良いのですが……。カサイでこのような目に遭ったことはありませんでした。誰もが仲良くやっていたのに。

必要なものが手に入りません。まだ隠れている人もいます。援助がなければ、私たちは死を待つしかないでしょう。

逃げようとしたところをナタで/ントゥンバ・カソンバさん(患者/31歳)

センゲ村が襲撃された夜、家族全員で家の中に避難した後、逃げようとしたところをナタで襲われました。子どもが何度も切りつけられ、もう1人の子どもは殺されました。 村は焼き尽くされ、もう帰れません。

義母とおばは生き延びました。5人の子どもを亡くし、生き残ったのは2歳と生後9ヵ月の2人だけです。夫も撃たれました。村で生き残ったのは50~100人ほどだと思います。襲撃してきた集団は、自分たち以外の人間を地域から追い出そうとしていました。

私が望むことは、平和と子どもたちの世話ができる環境です。夫はダイヤモンドを採掘し、私は小麦粉を売っていました。けがが治ったら、商売に戻ります。

(ントゥンバさんの左腕は切りつけられてからかなりの時間が経過しており、切断の必要もあり得ると診断された)

自宅は破壊されました/ブールー・クエテムさん(避難者/69歳)

ダイヤモンドや金の採掘が盛んな地域の出身です。村が襲われ、私は逃げました。夫は撃たれ、どうなったかわかりません。

子どもが4人、孫が3人おり、ツィカパの教会に身を寄せています。マレンガ診療所にたどり着いたのは4ヵ月前です。

怖くて村には戻れません。暴力は減っているようですが、自宅を壊されました。心配です。これまでお互いに仲良くやっていて、出身の違う2人の結婚もあったのですが。

私たちは農家で、ここでは何もすることがありません。どうしたらいいんでしょう? 他の場所に移ることは考えられません。自分の飢えをしのぐだけで精一杯です。

以前のカサイは何もかもが穏やかでした。民兵が軍を襲撃し、その報復を受けたんです。この危機をどう解決すればいいのか、わかりません。食べる物と寝る場所の心配で頭がいっぱいです。

自宅再建に工具もなく/カンクー・ジョゼフさん(帰還者/54歳)

マサンガ・アナイ村に戻ってきたのは5ヵ月前です。それまでは森に隠れていました。子どもたちがひどい病気になってしまって大変でした。自宅は壊されていました。

学校に泊めてもらい、自宅を建て直しているところです。1週間ずっとかかりきりになっていますが、工具がないので、完成には2ヵ月ほどかかるでしょう。

兄弟1人、おい4人、孫1人を亡くしました。家財もずいぶん失いました。今は自宅の再建が一番の気がかりです。いい方向に進んでくれるといいのですが……。

破壊された診療所を目にして涙が/ジャン=ポール・ブアナさん(看護師/50歳)

マイ・ムネネの診療所の責任者を務めていました。今年3月、民兵がやって来て、警官や兵士を襲いました。

警官は避難してしまい、民兵は教師、牧師、看護師を狙うようになりました。役所や学校に放火し……。4月に最悪の事態が起きました。民兵が診療所を襲い、医薬品をすべて奪った後、放火したのです。

手術室、ワクチンの低温保管庫、薬局、診察室、受付、全て灰になりました。破壊された診療所を目にして涙が出ました。許されないことです。民兵は約2ヵ月にわたって町を占領し、複数の住民の首をはねましたが、軍に制圧されて殺されました。

地域の人口は12万8000人。診療所は中核医療施設でした。患者数は月平均150人で、帝王切開や腎臓の手術なども受け入れていました。しかし、3~7月は全ての医療業務が中断。職員が戻れたのは、7月に軍が制圧したあとのことです。

現在、登録されているスタッフは12人ですが、実際に勤務しているのは6人だけです。診療の質も紛争前よりはるかに下がってしまいました。薬や医療物資がなく、症状を和らげるような治療しかできません。予防接種はできません。毎週金曜は外来栄養診療の日で、約50人の子どもを診ています。

重要なのは食料と学校教育です。農作物の種も農具も失いました。ダイヤモンドの採掘工が多い地域で、全てをゼロからやり直すのは大変難しい。人道援助がもっと必要ですが、国際社会はカサイのことを忘れてしまっています。

夫は射殺されました/カンクーさん(避難者/21歳)

カマコ出身で、今はダニ(5歳)とアレ(2歳)と一緒にマイ・ムネネで暮らしています。夫はダイヤモンドの採掘の仕事をしていましたが、カマコで殺されました。暴力から逃れるため、一家で森に身を隠すことにし、私と夫で1人ずつ子どもを連れていました。ところが、途中で夫とはぐれてしまったのです。夫は射殺されました。

私たちはやぶの中に1ヵ月身を隠し、そこからカモニアに移動して1ヵ月、さらにツィカパの教会に移動して3ヵ月過ごしました。マイ・ムネネに住んでいる姉が私を探していると聞き、ここまで来ました。

移動中、亡くなった人を大勢見ました。100人を超えていたでしょう。怒りや悲しみに胸が締めつけられる時もあれば、どうしようもない恐怖に襲われる時もありました。子どもたちを抱え、食べ物は手に入らず、とても大変です。援助はほとんどありません。カマコには戻れないと思います。何もかも失ってしまったので……。

30人以上の子どもたちが森で亡くなりました/ムヤニ・ブルーノさん(帰還者/63歳)

栄養失調の症例データをチェックするMSFスタッフ 栄養失調の症例データをチェックするMSFスタッフ

マサンガ・アナイ村が襲われ、村から10kmほど離れた森に隠れました。今年1月のことです。そのまま半年、隠れていました。私には11人の子がいます。下は3歳、上は14歳。全員無事です。

避難場所で作物を育て、食べられるものはなんでも食べていました。病院に行く機会などありません。夜は蚊にたかられながら寝ていました。村のみんながそうやって隠れていたのです。

30人以上の子どもたちが森で亡くなりました。食べ物が足りず、病院にも行けなかったからです。医療の専門家が必要です。カピンガ(8歳)の具合が悪く、初めて来院しました。

(カピンガさんはムヤニさんの娘で、重度栄養失調と診断された)

避難生活で子どもが栄養失調に/パスカル・バラナナイさん(看護師/32歳)

前述のムルンバちゃんを診察する MSFのママドゥ医師とパスカル看護師 前述のムルンバちゃんを診察する
MSFのママドゥ医師とパスカル看護師

ツィカパのムケンディ診療所で入院病棟を担当しています。診療所の外来栄養治療センターには、避難生活を送っている人びとが子どもを連れてきます。出身地はさまざま。近親者を亡くしていることが多く、その上、子どもは栄養失調になっています。

避難民キャンプが設置されていないため、教会や親類のもとに滞在したり、家を借りたりしています。紛争が激しくなる以前にも栄養失調の子どもはいましたが、その頃は地域で対応できる水準でした。

避難者はやぶの中に避難し、ずっとそこに隠れていて、大変な思いをしています。とても遠い地域から、この診療所の栄養治療プログラムを受けに来ています。子どもが下痢になっていることを診察で言い忘れる保護者がいて、これが状況を悪化させています。私たちの業務は地域にとってとても大切だと考えています。

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