シリア:ラッカ市民の苦しみは今も。MSFの日本人看護師が呼びかけること

2017年11月04日掲載

白川優子 手術室看護師 白川優子 手術室看護師

「傷ついて運ばれてくる患者さんが、今もいる――」。10月20日、過激派組織「イスラム国」(IS)がシリアで「首都」としてきたラッカが解放された。解放前の7~9月、ラッカ県北部のタル・アブヤド病院で紛争被害者の治療にあたった国境なき医師団(MSF)の手術室看護師・白川優子が、30日に記者会見を開き、市民が直面する過酷な現状を語った。

生後7日の赤ちゃんを連れ地雷原を歩く

タル・アブヤド病院で治療にあたる白川看護師 タル・アブヤド病院で治療にあたる白川看護師

「タル・アブヤドは一時期ISとの激しい戦闘が起きた場所です。多くの医療施設は壊されたり略奪されたりして機能していなかったため、MSFは病院を再建してラッカから逃れてくる避難民の援助に備えていました。内科や小児科もある中規模病院で、MSFは外科と産科、手術室、救急救命を支援しています。8月に入ると、地雷で負傷した患者さんが毎日のように運ばれてくるようになりました」

ラッカ市内は、連合軍による空爆や戦闘で破壊されている。国連のアイン・イッサ避難民キャンプまでは北へ60キロ、ISが設置した地雷原を抜けて歩かなければならない。破壊された町に留まって空爆におびえながら過ごすか、危険を承知で脱出するか、人びとは究極の選択を迫られていたという。

「空爆や銃撃の被害だと、運ばれてくるのが1人、ということもありますが、地雷の場合はパターンがあって、たいていグループで搬送されてきます。家族が一緒に脱出するから。前を歩いている1人は亡くなる。2番目を歩く人はひどい重傷。3番目、4番目の人は手足の切断、そして、破片による負傷。これも、入りどころが悪ければ命を落とします」

タル・アブヤド病院で通訳として働いていたシリア人スタッフは、妻と、生まれて7日目の赤ちゃんを連れて3人でラッカを脱出した。「ここを通れば地雷を避けられる、といううわさだけを信じて、夜9時に出発したそうです。一歩、一歩、ゆっくりと、一本の細い線をたどるように。子どもが泣きだしたらISにみつかるという恐怖感の中で……。キャンプに着いたのは朝5時でした」

命は助かっても、心は……

白川看護師の現場のモットーは、「どんなに忙しくても患者さん一人一人に心を配る」こと。だが今回は、それができないほどの忙しさだった。病院内は常に負傷者や家族であふれ、病棟へ移動する間にも「診てくれ」と声をかけられる。そんななか記憶に残っているのが、地雷で負傷して搬送されてきたある父娘だ。

「お母さんは手術室には運ばれてきませんでした。亡くなっていたんです。お父さんは頭蓋骨が砕け両足は切断するしかありませんでした。4歳の娘さんも重傷でしたが、2人とも命は助かりました。このお父さんはいつも『死にたい』と言っていて……現場にいると忙しさであまり感情的にならないんですが、帰国してから振り返ると、つらくなります」

脚を切断した20代の女性は、手術後の痛みから大声で叫び続けていたという。「気付いたんです。痛みで叫んでいるんじゃない、恐怖で叫んでいるんです。一瞬にして地雷が爆発して、目が覚めたときには脚がない……体の治療だけでなく、心のケアもこれから本当に必要になってくると思います」

安心して暮らせる場所を取り戻すために

人びとが安心して暮らせることを願って 人びとが安心して暮らせることを願って

7歳のころからMSFで働くことを目標に、人道医療援助への強い思いを持ち続けてきた白川看護師。今回シリアで見てきた現実には、怒りさえ感じるという。「同じ地球上にいる人間として、こんな非人道的なことが続いていいのか、と……」

地雷の撤去、空爆の不発弾や仕掛け爆弾の撤去は最優先だが、ラッカ解放後の今、恐怖をくぐり抜けた人びとの心のケアや栄養失調への対応など、市民が安心して暮らせる場所を取り戻すために必要なことは多くある。

「MSFは、ほかの団体や報道機関が入れないような場所でも活動します。私はたまたま紛争地での活動が多くて、銃弾一つで人が死んでしまう現実を何度も見てきました。現場で見たことをみなさんに伝えるのもMSFの役目です。シリアで内戦が起きてから6年半。この現実をもうみんな知っているはず。現場に行って治療するだけが援助じゃない。遠いところにいても、何かできることがある。どうか、この状況を変えられるよう、行動してほしいと思います」

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