ロヒンギャ難民が証言する虐殺の実態――MSF診療所にて

2017年10月27日掲載

MSF診療所で治療を受けるロヒンギャの子ども MSF診療所で治療を受けるロヒンギャの子ども

ミャンマーからバングラデシュ避難したロヒンギャは60万人を超えたとみられています。重傷を負って国境なき医師団(MSF)の診療所に運ばれてきた患者たちが、自分たちの村で起きた虐殺の実態について証言しました。

重度の全身やけどを負った息子(25歳)の母親

8月21日朝、兵士30人ぐらいが村に来て、私の家を含めて9軒に放火したのです。当時、息子は家の中で寝ていました。私は前日に行方不明になった牛とヤギを探しに出ていました。帰ってみると近所の家が燃えていて、我が家を見ると屋根に火がついていました。 息子の叫び声が聞こえたので、毛布に包んで引きずり出しました。火に包まれる寸前でした。他の2人の子どもは、それぞれの自宅で焼け死にました。

刺し傷と重度のやけどで入院している女性(18歳)

MSF診療所には次々に患者が運び込まれている MSF診療所には次々に患者が運び込まれている

政府軍は8月28日の朝やってきました。私たちはナフ川に通じるフルマ・カル運河の土手の上に集められ、身を寄せ合っていました。政府軍はまず男性を殺し始めました。殴り、銃で撃ち、刺していました。

女性と子どもはグループに分け、村内の複数の家に押し込めました。私も他の7人と一緒に連れて行かれました。私はそこで頭を2回刺され、何度も殴られました。辺りが暗くなったころ、兵士たちは家に火をつけました。私は床に転がったまま動けませんでした。

でも、火が屋根までまわって崩れ始めたので、家の外にはい出て、ジャングルに隠れました。そこで同じ村の女性3人と再会し、一緒にバングラデシュへ来たのです。現地の男性がMSFの診療所に連れてきてくれました。

ナタで股やのどを刺された女性(25歳)

外科系では刃傷ややけどの症例が多い 写真の女性は頭のけがで救急救命室に運ばれてきた 外科系では刃傷ややけどの症例が多い
写真の女性は頭のけがで救急救命室に運ばれてきた

政府軍の襲撃を受けたのは8月30日のことでした。屈強な兵士が150人以上いたと思います。ラカイン族の村の村長から、運河の堤防に集まるように言われました。兵士たちが武器を持っていたので従うしかありませんでした。兵士たちはそこで、村の男性を次々に殺害し始めたのです。遺体は堤防の上に積み上げられ、焼かれました。

次に、女性をいくつかのグループに分けて家の中へ連行し、ナタで刺しました。私は兵士の1人に股を刺され、別の1人にのどを突き刺されました。抱いていた生後28日の赤ん坊は、頭を何か重いもので殴られました。頭蓋骨が割れて脳がはみ出しました。

この難民キャンプにたどり着けたことはよかったと思います。でも、MSFの診療所を退院した後、どこへ行けばよいのか分かりません。着ているもの以外、何も持っていません。知り合いはいませんし、子どもも……。考えないようにしていますが、耐え難いです。

のどやあごを刺され、手の骨を折られた女性

患者たちの証言から、老若男女を問わず 虐殺の対象となっていた実態が浮かび上がる 患者たちの証言から、老若男女を問わず
虐殺の対象となっていた実態が浮かび上がる

8月30日の午後、政府軍が村に来ました。村長は「逃げないように。政府軍は(武装組織)アル・ヤキンのメンバーがいないか調べるだけだから。1ヵ所に集まって協力すれば危害は加えられない」と言いました。

その言葉を信じ、皆で運河の側まで行きました。政府軍は数百人はいたでしょうか。まず男性を選び出し、うつぶせになれと命令しました。男性たちの体は水につかり、その背中を兵士たちが何度も刺したのです。私はこの目で夫が殺されるところを見ました。夫はただの農民だったのに。軍は遺体を集めて焼いてしまいました。

虐殺が始まり、若者たちは逃げ出しましたが、村の墓地まで行ったところで後ろから銃で撃たれました。いずれも12歳の息子と甥、そして父も射殺されました。

政府軍は女性をいくつかのグループに分けて家屋へ連れ込み、刺した後、殴りました。何人かは亡くなりました。私は兵士の1人にのどとあごを刺されました。別の兵士には何かで手を殴られ、骨折しました。

なんとか外に逃げ出し、茂みに隠れました。そこから、兵士たちが家に火をつける様子が見えました。

夜になり、政府軍がいなくなってから、私は森へと入って行きました。そこで同じ村の女性4人と再会しました。彼女たちも血を流していました。一緒に3日間歩き続け、バングラデシュに向かうボートに乗り込むことができました。いつのことだったか、はっきりとは思い出せません。

何もかもぼんやりしています。夫と、娘3人、息子3人を亡くしました。末の子は生後3ヵ月でした。逃げ出すときにわが子だと思って赤ちゃんを抱き上げたのですが、少しして違うと気づきました。その子も死んでいました。お腹が切り裂かれていました。

背中とのどに大きなこぶがある男性(61歳)

大きなこぶと左足の痛みに耐えながら避難してきた男性 大きなこぶと左足の痛みに耐えながら
避難してきた男性

ミャンマーでは1度だけ病院に行きました。でもお金がなかったので、治療してもらえませんでした。痛みますがどうすることもできません。6人の娘と妻と一緒に3日前、バングラデシュに着きました。年寄りですから健康状態はあまりよくありません。左足が痛んで歩くのもつらく、時間がかかりました。

住んでいた町には政府軍の拠点が3ヵ所あります。軍が町の一角で虐殺や放火を始め、私たち一家は町を出ました。16日前のことです。軍は若い男女を標的にしていました。

町を出る2日前、私は少年2人が殺される場面を目にしました。のどを切り裂かれていました。その翌日の午後6時ごろ、軍が私たちの地区にやってきて「明日朝8時までにここから出ていけ。残る奴は全員殺す」と言い渡されました。すぐに町を離れました。その頃すでに、多くの家が焼かれていました。

バングラデシュにたどり着くまでに、いくつも丘を越え、川を渡らなければなりませんでした。足の痛みがひどく、歩くのは苦行でした。食べ物も飲み物もなく、みんな飢えていました。あちこちで遺体を見かけました。ひどい臭いでした。

ここでは、妻と娘1人と一緒に知人宅にお世話になっています。残りの娘たちは別の家にいます。ご主人とは20年来の知り合いです。この辺りに住んでいることは知っていたので、あちこちで聞いてまわりました。

滞在させてもらって本当に感謝しています。ただ、いつまでも援助はできないと言われました。とても困っています。歩けないので働けないからです。できることなら他の人と同じように路上で物乞いでもしたでしょう。どうしていいか分かりません。ビニールシートや竹をどうやって手に入れればよいのかさえ分かりません。何もなしにどうやって家を建てればいいのでしょうか。

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