ウガンダ: MSFスタッフが語る"難民"としての自分

2017年05月25日掲載

MSFの医療通訳として活動しているノラ
抱いているのは避難後に出産した赤ちゃん

ノラ・アニバ・ティト(27歳)は、リノ難民居住地内の「オフア3」ゾーンに ある国境なき医師団(MSF)の診療所に勤務している医療通訳者の1人だ。ノラさんは南スーダン・エクアトリア地方にある町の出身。2016年7月に子どもたちを連れてここに避難し、2017年3月にMSFに採用された。ウガンダ国内の南スーダン人難民の86%は女性と子どもで、世帯主が女性ということも珍しくない。ノラもその1人だ。

南スーダンでどのような事態に遭遇したのか?異国の難民居住地での生活は?ノラさんが体験と現在の心境を語った。

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子どもたちがニワトリのように……

南スーダンでは子どもたちとの3人暮らしで、お腹には赤ちゃんがいました。夫は当時、ジュバにいました。私の住んでいた地区ではすでに避難が相次いでいました。子どもの誘拐事件、強姦、強制結婚、部族間の殺し合いがほぼ毎日のように起きていたからです。

学校も襲撃の対象となっていて、子どもたちがニワトリのように殺されていました。ある部族が襲来して対立する部族を皆殺しにし、自分たちの仲間をその地域に残していくという事態が起きていたのです。その上、医療体制はないのも同然でした。多くのNGOが南スーダンから撤退し、さらに手薄になりました。

飲料水や生活用水がないのに……

南スーダンから避難してきた女性
包みとトランクが彼女の“全財産”だ

ある日、男たちがドアをたたき、「開けろ!」とすごんできました。とても怖くて開けなかったのですが、窓からそっとのぞいてみると、銃を持った男たちでした。私が叫び声を上げたので近所の人が駆けつけてくれて、男たちは立ち去りました。

この事件のあとすぐ避難することに決めました。家財をすべて残したまま、子ども2人と弟の子ども3人を連れて家を出ました。ウガンダへの避難中も殺害や暴力の恐怖はありました。そのため、弟は現在も南スーダンに残っています。

私たちは幸運にもウガンダにたどり着くことができました。でも難民居住地に到着してすぐ、水も食べ物も医療もないと分りました。1週間以上も給水がないこともありました。飲料水や生活用水がないのにどうやって生きればよいのでしょう。

ここで出産したときも、難民居住地の外にある病院までとても長い距離を歩かなければなりませんでした。その時に生まれた子はいま、7ヵ月です。

物もお金も何も持たずに避難してきたので、食べ物を買ったり通院するために交通機関を使ったりするお金がなかったのです。MSFが居住地内で無償の診療を開始したおかげで、私を含めて大勢が助かりました。

将来を悲観して命を絶つ人も……

MSFは勤め口という意味でも助けてくれました。医療通訳者として採用されてから、私の人生は変わりました。自分の収入で家を建て、子どもたちに衣服や野菜を買うことができるようになりました。

もう1つよかったことは、抱えている問題を勤務時間中だけは忘れていられるということです。夜になると、自分や子どもたちはこれからどうなるのかと考えずにはいられなくなります。また、寝ている間に何か悪いことが起きるのではと恐ろしくなったりもします。

実際に、難民居住地でも暴力、性的虐待 、強姦などが起きています。女性が世帯主となっているのは、安全とは言えません。そのため、午前2時、3時まで眠れないでいます。

難民居住地の住民の多くは、食べ物や水を充分に確保できず、仕事がなく、他にすることもないため、お酒やタバコ、やがて暴力に逃避していきます。難民居住地内で強姦被害に遭い、HIV/エイズとB型肝炎に感染した15歳の少女を知っています。

こんな非人道的な状況で生きるぐらいなら死んだ方がましだと言って、自殺や一家心中を図る人さえいます。紛争が続いている南スーダンに帰って行く人もいます。子どもたちの将来がすごく心配です。学校に行く機会さえない彼らが、将来、どんな仕事に就けるというのでしょう。もしMSFがこの地を去って私が職を失ったら、私と家族はどうやって生計を立てていけばよいのでしょう。

ウガンダと南スーダンの現状は?MSFの今後の取り組みは?

ウガンダの難民居住地でMSFのプロジェクト・コーディネーターとして活動しているジョン・ジョンソンに、居住地の現状、南スーダンの現状、そしてMSFの今後の取り組みについて聞いた。(日本語字幕)

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