ヨルダン:滞在か帰還か――シリア人難民キャンプでの苦悩

2013年06月03日掲載

シリア内戦を避け、国外へ逃れた人びとは150万人以上にのぼるとみられる。隣国ヨルダンには推計約40万人が滞在しており、ザータリ難民キャンプにも10万人以上が身を寄せている。しかし、その生活は過酷で、シリアへの帰還や別の場所への移動を検討する人も少なくない。

国境なき医師団(MSF)はキャンプ内で医療援助活動を行っており、2013年3月21日には24時間体制の小児科病棟を設置した。ここで治療を受けた子どもたちの父母に現在の心境を聞いた。

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「できることは危機の終結を待つことだけ」――モスタファくんの母・オムさん

モスタファくんは生後7ヵ月。出身はダルアー県の小村シャイフ・ミスキーン。ザータリ難民キャンプには、1ヵ月前、両親と5人の兄弟とともにやって来た。母のオム・モスタファさんに話を聞いた。

氏名:モスタファ・フムド
出身地:ダルアー県
年齢:生後7ヵ月
家族:両親、5人の兄弟姉妹

MSF病院で治療を受けるモスタファくん

自宅と家財を後に残して去るというのは、最後の選択肢でした。シリアにとどまる道を模索していたのですが、結局、出国するほかなかったのです。難民キャンプがどういうものかはわかっています。高級ホテルどころか、何もない場所です!

ヨルダンに来たのは子どもの安全のためです。私と夫だけのことであれば、出国はしなかったでしょう。たとえ殺される危険があったとしても、です。私も夫も大人ですから何とかなるでしょうが、子どもたちの命をこれ以上危険にさらすわけにはいきません。

何ヵ月もの間、爆弾、空爆、銃撃戦にさらされていたのです。一夜を生き延びられるかどうかも定かではなく、朝日を見るたびに息を吹き返す思いでした。子どもたちは今でも悪い夢を見ます。軍用機の飛行音が忘れられないのです。

シリアにとどまった親類と連絡を取り合っていますが、伝わって来る情報は混乱しています。治安状況が改善したという親類もいれば、危険が増したという親類もいます。どう行動すればよいのか、もはやわかりません。今できることは、シリア危機の終結を辛抱強く待つことだけです。何年も待つことにならなければよいのですが……!

ザータリに到着して以来、子どもたちはさまざまな理由で繰り返し体調を崩しています。モスタファは熱が高かったので、MSF病院に連れてきました。病気の原因を突き止めるため、今も診察中です。ぜんそくもあり、キャンプのほこりっぽさで呼吸がつらいようです。

キャンプの環境は厳しいですが、小児医療が利用できることはありがたいです。MSFの医師と看護師が子どもたちのために頑張ってくれています。

「緩やかに死に向かっているような生活」――ユネスくんの母・イムさん

2013年2月にザータリ難民キャンプにやって来た。母親のイムさんがユネスくんに付き添い、キャンプ内のMSF小児科病院を訪れたのは5月10日。胃腸炎と診断され、入院治療が必要になった。テントに残してきた子どもたちも気がかりだ。イムさんに話を聞いた。

氏名:ユネス・スマディ
出身地:ダルアー県
年齢:生後5ヵ月
家族:ザータリに両親と7人の兄弟姉妹
レバノンに長兄(25歳)

入院中のユネスくんに付き添うイムさん

難民キャンプの生活は、ごく緩やかに死に向かっているようなものです。確かに生きてはいられますが、良好な生活環境と呼べる最低限の水準をはるかに下回ります。私は村の教職員で、生活水準もそれなりのものでした。それが今はどうでしょう!

ユネスはキャンプ到着当日に、寒さのせいで体調を崩しました。このところ気温が上がっていますが、今度はお腹の調子が悪いのです。寒くても暑くても、体調がよくなりません!質の高い医療を子どもに提供してくれるMSF病院がキャンプ内にあることに感謝したいと思います。神様にも感謝します。病院がなければ、ユネスがどうなっていたか知れません。

病院にいても、テントに残してきた4人の娘と3人の息子のことが頭を離れません。夫は去年、爆撃で重傷を負いました。片足の膝から下を切除しなくてはならず、今も常時、介護が必要です。25歳になる長男はザータリへの避難を拒み、レバノンに入りました。それから、しばらく経ちますが、消息はわかりません。

ヨルダンでは首都のアンマンにも親類がいます。アンマンに来て、アパートを借りるよう勧められましたが、費用が高すぎて、当分はそれもできません。どんなことでもするつもりです。例えば、家政婦になって掃除をしたり、料理をしたり……。ザータリを離れるためにはどんなことでもします。

いずれにしても、ユネスが回復し、退院するのが先です。看護師には、体力も戻って来ていて、明日には退院できると言われました。また、笑顔を見せてくれるようになっています。

写真キャプション:ダルアー県出身、生後5ヵ月のユネスくん。母親と一緒にザータリ・キャンプのMSF入院病棟にて。一家は2013年2月、キャンプに到着し、5月10日、ユネスくんが胃腸炎でMSF病院に入院した。

「4歳の娘はテントで一晩中泣き続けました」――アミールくんの父

アミールくんは2013年4月2日にザータリ難民キャンプに来た。到着後まもなく、深刻な喉と眼の感染症で発熱。MSFの小児科病院に来院した。父親は、空爆が激化しているシリアに留まれば妻子の安全が脅かされると判断。国外へ避難するほかなかったと語る。

氏名:アミール・オムール
出身地:ダルアー県
年齢:生後9ヵ月
家族:両親、姉(4歳)、兄(2歳)

家族、財産、生活のすべてを残し、夜に国境を越えてヨルダンに入りました。検問所までの道中、頭の中は疑問でいっぱいでした。シリアには戻れるのか。いつまでヨルダンにいるのか。私や子どもたちにどのような未来があるのか。疑問は次から次へと浮かんできましたが、答えはみつかりませんでした。

ダルアーから8時間からかけてヨルダン国境にたどりつきました。難民受け入れ所ではヨルダン軍が手続きをしていました。飲料水と毛布を受け取った後、バスでザータリ難民キャンプに来ました。

ザータリの規模は大きいと聞いていましたが、実際に自分の目で見ると想像とは全く違いました。あまりにも大規模で本当に驚いてしまいました!人口に関して言えば、出身地のダルアー以上かもしれません。

生活環境は非常に過酷です。最初の晩、4歳の娘は"我が家"となった小さなテントの中で一晩中泣き続けました。「ここはとても寒いから家に帰りたい」と言うのです。どう説明すれば良いのかわかりませんでした。毛布は家族の人数に従って配布され、1枚余分にもらうことは出来ませんでした。仕方がないので、娘が寝付くまで私の上着を小さな体にかけてあげました。最初の晩は本当に辛かった。今はもう慣れました。

到着から数日のうちに、アミールが病気になりました。キャンプで医療を受けるのは非常に困難です。長い行列で何時間も待って、ごく基本的な診察を短時間受けられるだけです。別の病院に行くと、看護師が息子を診てくれるまで2時間半も待たされました。

最終的にMSF病院に来ることになったのは、病気の初期段階に適切な治療を受けることが出来なかったため、入院が必要な状態になっていたからです。今は、アミールの体調もずっと良くなり、ミルクを飲みこむことも出来ます。MSFの医師によると、治療が終われば回復するとのことでした。

数時間前にダルアーにいる父から電話がありました。私たちの住んでいた村の近くに安全で安心できる地域を見つけたと言うので、アミールが治り次第、シリアへ戻るつもりです。

私たちがシリアを後にしたのは、子どもたちの安全のため、空爆から逃れるためでした。でも、キャンプの土ぼこりや寒さのせいで病気になるのなら、ここに滞在し続ける理由もありません。家に戻った方が良いと思っています。

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