ヨルダン:「解決策を探し続け、MSFにめぐり合ったのです」

2017年01月11日掲載

MSFとの出会いについて振り返るムレイシュさん

シリアの首都ダマスカス出身のムワファク・ムレイシュさん(51歳)。爆撃で自宅を破壊され、妻、子どもたち、そして高齢の母を連れてヨルダン避難した。初めて訪れた土地で老後のたくわえを切り崩す避難生活。貯えは底を突き、ムレイシュさんは「世界の重みに耐えかねて」倒れてしまう。心臓発作だった。

一命は取りとめたが、高齢の母の治療も十分にできない状況での大病に、万策尽きるかに思われた。そんなとき、ムレイシュさんは国境なき医師団(MSF)の活動を知る。

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1年足らずの避難生活で……

ムレイシュさんと母

ダマスカスの自宅は爆撃で破壊され、家財と未来を失いました。母やおじ、おばの家も破壊されました。息子たちを守るためにはシリアを離れるしかありませんでした。留まっていれば、命が危険にさらされたに違いありません。私たち一家は、高齢の母も連れてヨルダンに避難しました。最初に身を寄せたのは妹の家でした。

それが大変苦しい時期の始まりでした。家族の幸福は私の肩にかかっていました。ヨルダンに来たのは初めてで、人びとは親切にしてくれましたが、それでもつらいものでした。

経済的な問題がありましたし、母は健康面に問題がありました。ヨルダンに来るために車や家財を売らざるを得ませんでした。そのため、1年足らずの避難生活で、老後のために貯えていた資金を使い果たしてしまいました。

親類はみな散り散りに

かつて持っていたもの、失ってしまったもの。過去について考えないようにしようとしても止められませんでした。仕事があって、自宅があって、親しい友人がいた生活をすべて失いました。子どもの人生を気づかうあまり、自分自身を犠牲にしたのです。

今の感情をたとえると、四半世紀も毎日顔を合わせていたような友人たちと離れてしまった気分です。実際、私はヨルダンに、いとこはエジプトに、また別の親類はレバノンにと散り散りになりました。悲しくなります。以前は同じ地域で絶えず行き来があり、集まり、一緒に遠出したりしていました。

シリアはかつて“この世の楽園”とも呼ばれた国です。私が思い出すシリアもそのイメージです。これからもずっと思い出は変わらないでしょう。

「世界の重みに耐えかねて」

シリア人はいま、悲しみに暮れ、病気になり、心が疲れきっています。銃撃から逃れられた人も、命に関わる病気からは逃れられません。

1年半ほど前、身体がこの世界の重みに耐え切れなくなったのでしょうか、心臓発作が起きました。病院に着いたときは気絶した状態で、診断書に「心肺停止」と書かれました。心臓は完全に動きを止めていたため、5回におよぶ除細動や注射を受けました。

意識は3日間戻らず、集中治療室ですごしました。でもありがたいことに、母の祈りと妻子の助けを得て意識が戻りました。

治療を受けられる経済的余裕がなく……

在宅診療を受けるムレイシュさんの母

しかし、ほどなくして必要な薬の入手に支障が出始めました。すでに母の薬の入手も難しくなっていました。高価な薬もあり、経済的に厳しい状況でした。私は解決策を探し続け、国境なき医師団(MSF)にめぐり合ったのです。本当にお世話になりました。

MSFの治療は無償で、必要な薬ももらえました。母はイルビッドにあるMSF診療所に登録されました。診療所に行くことが無理なので、毎月1回、在宅健診をしてもらえることになりました。

MSF診療所のお医者さんから、心理・社会面のケアプログラムについて聞き、参加することにしました。この講座は他の人にもすごくお勧めです。幸せを感じられるようになりますし、心が軽くなります。

MSFからは定期的にメッセージが届き、次回の来院予約について知らせてくれます。私の経過観察も続けてくれています。世界は混乱の最中にありますが、MSF診療所では秩序が守られています。MSFと患者がお互いに協力しあっていることが成功の要因です。MSFはこの世にもまだ人間性が残されていると示してくれました。

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