難民から看護師、そしてMSFスタッフへ――スーダン人青年の物語

2013年06月04日掲載

国境なき医師団(MSF)のスタッフとして、ナイジェリアで活動しているトック・ジョンソン看護師は、かつて、エチオピアのスーダン人難民キャンプで生活していた。祖国の紛争で家を追われ、家族とはぐれ、たどりついたキャンプでの飢えと病気の日々。しかし、彼はそこで看護師になる夢を抱き、逆境にもくじけることなく前に進んできた。ジョンソンがその半生について語る。

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祖国で紛争、避難中に家族とも離れ……

家族とともにスーダンを離れたのは1986年、私が9歳のときでした。その頃、至るところに広がっていた恐怖感は今も忘れません。スーダン南部で迫害や虐待に遭う人が増加していると聞かされていました。幼い子どもでさえ被害にあっていると……。

村のほぼ全員が、家財を取りまとめ、エチオピアを目指しました。しかし、多くはたどり着けませんでした。飢えや乾きで、道半ばで亡くなったのです。置き去りにせざるを得なかった人もいます。病気になり、診療所もなく、医師もいなかったためです。

私は長い間、移動を続けました。4ヵ月か5ヵ月……そうしてエチオピアの難民キャンプに到着したのです。移動中に家族とはぐれてしまいました。さびしかったです。生き延びて到着したのは私だけだと思っていたところ、8ヵ月後に母と再会できました。姉と弟も一緒でした。嬉しかったです!

ただ、父はいませんでした。父の消息がわかったのは、それから3年後のことです。ビルパムにいるとのことでした。現在の南スーダンにある町です。

「いつか看護師になって」――難民キャンプでの生活

ジョンソンは看護師として
南スーダン・ジャマム難民キャンプに勤務、
かつての自分の姿を思い出したという(2012年撮影)

姉も弟も私も難民キャンプで"はしか"にかかりました。幸い、テント式の診療所があり、そこで治療を受けられました。難民キャンプでは国境なき医師団(MSF)とアドラ(Adventist Development and Relief Agency=ADRA)のチームが活動中でした。そのとき、初めて思ったのです。

「いつか看護師になって、援助団体で働けたら……」
当時は手の届かない夢でした。キャンプの現実を象徴するものは、飢えと病気でした。

ただ、学校には通えました。授業は日よけになる木陰で行われていました。ペンもノートもなく、厚紙にチョークで書いていました。

援助はありましたが、キャンプでの生活はとても大変でした。大勢が亡くなりました。弟のガトコルもそのうちの1人です。

「この悪夢が終わることはないのか?」
私たちはそう自問したものです。サッカーチームが唯一、希望を与えてくれるものでした。教師の1人が作ったチームです。記憶の限りでは、私は背番号9で、ほぼ毎試合ゴールを決めていました。おかげでキャンプではちょっとした有名人でした。

14歳のとき、エチオピアの政情が不安定になり、祖国スーダンへ再び避難せざるを得なくなりました。エチオピアに戻って学校を卒業できたのは、それから2年後のことです。卒業試験に合格したとき、人生で初めて自由を感じました。

そして、再びあの夢が浮かんできたのです。看護師になり、困っている人を助けること。私は、エチオピアの首都アディスアベバの医科大学に入学し、18ヵ月勉強して看護師免許を取得したのです。

MSFに参加、そして南スーダンへ

ジョンソンは南スーダンで
MSFが運営するレール病院に3年勤務した

スーダンに戻ったのは2000年。同胞たちを助けるためでした。依然として、紛争に追われ、避難生活に苦しんでいたからです。MSFに申し込み、看護師として採用されました。

派遣された複数の任務の中には、ジョングレイ州アボコのコレラ流行対策や、現在の南スーダンでMSFが運営する最大規模の病院、レール病院での勤務などがあります。レール病院には3年務め、その間、MSFから技術を習得し、研鑚する機会を与えられました。栄養失調児の治療法はその一例です。

その後、南スーダンとスーダンとの国境沿いにあるジャマム難民キャンプでの任務を要請されました。現地でMSFが行っている活動は非常に重要です。人びとは住まいからの退避を余儀なくされ、人道援助を全面的に頼っています。必要なものは、食糧、水、そして医療です。

ジャマムでの任務には感慨深いものがありました。難民キャンプで暮らす子どもの頃の私自身と友人たち、過酷な環境、飢え、暑さが何度も思い出されたのです。

新たなるステップ

ジョンソン(中央)は現在、ナイジェリアで活動している

ジャマムでの任務中のある日、MSFからナイジェリアの活動に向かってほしいというEメールを受信しました。管理職での派遣も、南スーダン国外での活動も初めてです。人生で最高の瞬間でした。懸命に働き、学んだことが報われたのです。

これまで成し遂げてきたことに大きな誇りを感じています。かつては難民、現在は国際援助のスタッフです。この仕事のおかげでとても幸せです。

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