地中海:水上の墓場と名もなき死者――悲しみに暮れた10月

2016年11月09日掲載

遭難現場に向かうMSFの複合艇 遭難現場に向かうMSFの複合艇

地中海を渡って欧州を目指した移民・難民の死亡者数は、2016年1月~10月で4200人を超えた。欧州連合(EU)が、この痛ましい記録から目を背けたまま悲劇の拡大を助長する存在であり続けることは許されない。安全な移住の仕組みを立ち上げることが緊急に必要だと認識すべきだ。

国境なき医師団(MSF)が地中海で運航している捜索・救助船「ディグニティ・ワン」号で、ニコラス・パパクリソストムーはプロジェクト・コーディネーターを務めている。2016年10月は、海路で欧州へ避難する途上で亡くなった人数の記録が残る中で、最悪の月となった。パパクリソストムーは10月に行った活動の中でも、極限の2日間が目に焼きついている。

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想像を絶する遭難現場

救命胴衣を身に着けて救助船に乗り込む人びと 救命胴衣を身に着けて救助船に乗り込む人びと

あの日のリビア沖合は、まだ太陽が上っていなかった。海は荒れ模様。10月22日午前4時20分。前日の大規模な救助活動で、ディグニティ・ワン号は既に満員に近づきつつあった。

そこに新たな救難要請が入った。船の位置からそう遠くない位置にゴムボートが漂流しているという。いつも目にする光景がまた繰り広げられているだろうと覚悟を決め、ディグニティ・ワン号から準硬式複合艇2隻をおろして急行した。

その現場は想像を絶するものだった。ゴムボートには何十人もがひしめき合い、パニックが起きていた。広大な洋上の暗闇の中で心細い思いをしていたのだ。助かりたいあまり待機することができず、こちらの説明や指示を聞く余裕もなかった。

アフリカ東部のリベリアからマリに至る地域の出身者を中心に、さまざまな地域から集まってきて乗り合わせた集団で、誰もが"苦難"という重荷を背負っている。

水上の墓場

救助した中に幼い子どもが含まれていることも 救助した中に幼い子どもが含まれていることも

私たちが救助手順を決定する前に、ゴムボートから海へ飛び込む人びとが現れた。大声を発しながら複合艇まで泳いできてしがみついている。急いで引っ張り上げるが、それを見た人びとが、ああすれば助かりそうだと次から次に海に飛び込んでいる。

複合艇の周りに漂う避難者を、救難チームが休みなく救出する。多くの人が意識を失い、漏れた燃料による化学やけどを負い、おぼれかけている。

イタリア沿岸警備隊に協力を要請し、医療搬送のための高速艇1隻も手配した。避難者を一通り救い出し、ゴムボートをディグニティ・ワン号まで曳航して、悲劇の本当の深刻さがわかった。9人の遺体が見つかったのだ。

こうした漂流船の場合、通常は子どもと女性が船の中央部に座り、男性が船の周囲に座っている。このゴムボートは内側に亀裂が入っており、その影響で中央部の子どもと女性がほかの人の下敷きになったものだと思われる。いずれも海水と漏れた燃料が混ざった中で亡くなっていた。

"水上の墓場"と化したゴムボートを波にさらわれないようにディグニティ・ワンのわきに固定し、遺体の回収を図るため他の船に状況を通知した。

8時間で8件の救助活動

ディグニティ・ワン号で港まで送り届けられる遭難者こうした光景が繰り広げられている ディグニティ・ワン号で港まで送り届けられる遭難者
こうした光景が繰り広げられている

その日はさらに遭難が相次いだ。約8時間で計8件。遭難者全員を一度には乗せ切れなかったため、ボートを固定して救命胴衣を配り、次の迎えが来るまでがんばるように励まして港へ向かった。

私たちは最も衰弱した人を優先して乗船させていったが、8件目ではボートが破損していて次の救助を待てないと判断し、例外的に全員を受け入れた。

最終的にディグニティ・ワン号は668人を港へ運ぶことになった。これほどの大人数に対し、身体についた燃料を洗い落とす機会を提供し、食事を提供し、はぐれてしまった大切な人の消息を知らせる業務に追われた。

こうした体験を消化することは本当に大変だ。残念ながら、こうした光景は見慣れたものになってしまっている。人びとの苦痛をこれまでやってきた以上にさらに伝えていくことも容易ではなさそうだ。

彼らを"顔"の見えない人びとにしてはならない

この8件をもって10月の活動を締めくくった。2016年で最悪の月。その主な原因は、冬の到来が早く強風・波浪など気象条件が悪化したことにある。1月~10月だけで4200人以上が地中海の洋上で亡くなったり、行方不明になったりしている。これは統計が残る中では最も多い。しかも年末までまだ2ヵ月あり、悲劇がいっそう拡大する恐れもある。

MSFが運航している3隻(アクエリアス、バーボン・アルゴス、ディグニティ・ワン)に限っても、2016年は約1万8000人を救出した。

一方、約33万人が海路で欧州にたどり着いている。その一人ひとりに"顔"があり、苦難の物語がある。戦争を逃れて来た人もいれば、さまざまな差別、暴力、迫害、困窮に直面していた人もいる。

出身地は、紛争が長期化しているパキスタンや、サハラ以南アフリカの中央部に位置するナイジェリア、エリトリア、ソマリアなどの国々、そして数年にわたる内戦で荒廃した中東など。MSFが聞き取ったところでは、彼らの大半がリビアを経由しており、その際に勾留、性暴力、拷問などの被害に遭っていた。

彼らを"顔"の見えない人びとにしてはならない。一方で、ときにその"顔"を見失ってしまうことも認めざるを得ない。身元も明らかではないまま海に飲み込まれ、数字としてのみ記録される人もいる。湧き上がる疑問の答えも見つからず、私たちはしばしば途方に暮れる。

ある母親の希望と現実

10月3日も、10月22日と並んで極限の1日だった。その日、私たちはアイルランドの軍艦と連携して捜索・救助を続けていた。

遭難現場には軍艦が先に到着していた。活動を始めてすぐ、一部の遭難者が何時間も水中にいたことが見て取れた。燃料と海水が混ざった水を大量に飲んでしまっている人もいた。おぼれてしまって危篤状態の人も数人いて、船上の診療室はすぐに満員になった。

ナイジェリア人の妊婦(34歳)が、蘇生をしたもののかなわず亡くなった。それも一例に過ぎず、数十人の治療を行う医療チームの傍らで、私のもとにはつらい問い合わせが何件も届いた。

ある母親からは子どもたち2人の行方を尋ねられたが、あてはまる子どもは船上にいなかった。アイルランド軍艦の幹部からは、「6人の遺体を確認したが、引き揚げられなかった」との連絡が入った。この6人は名前もわからないまま死亡者統計に含められることになる。海の彼方へと消えていった遭難者の身元を登録することは不可能だ。

子どもを探している母親に、アイルランド軍艦の幹部の情報を伝えた。母親は目の前で崩れ落ちた。子どもたちの手を握っていたが、乗っていた小舟が裂けて海中に投げ出され、手が離れてしまったのだという。彼女は2人がどこかで生きているという希望を捨てなかった。ただ、事実はそうではない。子どもたちは他の4人の犠牲者たちと運命を共にしたのだ。

人びとを保護するための政策転換を

洋上で身元不明のまま亡くなっていい人などいない。助けもなく、薄っぺらな小舟で、末路が見えているような危険な航海に命を賭けるべきではない。

MSFなどの援助団体が悲劇を和らげるためにと努力を続けても、このままでは、事態は私たちのキャパシティーを超えて広がり続けるだろう。EUはこの事態の当事者にも傍観者にもなってはならない。

国境線にたどり着いた人びとを保護するための政策転換が求められる。強制送還や、自国での受け入れない代わりに近隣諸国に引き受けさせる"外部化"の交渉に躍起になるべきではない。EU基準に則した受け入れに注力し、国境線の人びとの医療・人道・保護ニーズに応じる方法を立案すべきだ。

EUは、保護を求める権利を尊重し、安全で合法的な移住の仕組みの創設が緊急要件だと認識しなければならない。

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