イエメン: 「病院が爆撃されている」――8月15日の電話

2016年11月08日掲載

アブス病院で新生児を抱くMSFのヴェラ看護師

看護師として国境なき医師団(MSF)に参加したヴェラ。派遣先のイエメン内戦の真っただ中だった。2016年8月のその日、彼女の人生を揺るがせる電話がかかって来た……。

  • 本記事の情報は2016年9月時点です。

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アブス病院はハッジャ県西部の基幹病院。急処置室(14床)、産科、外科を備えていた。空爆当時、院内には外科に患者23人、産科に患者25人(新生児13人を含む)、小児科に患者12人がいた。

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内戦からの避難者が集まるアブス地域で

イエメンでの3ヵ月のMSF派遣任務が終わろうとしています。このブログを書いているいまは月曜の午後。私は事務所で薬の受発注処理を済ませたところ。同僚の医師と人事コーディネーターは隣の部屋で、新設された栄養失調児診療所のスタッフ採用の最終面接を行っているところです。開業は間もなくの予定です。

ここは南西部のアブス郡。この地域では、MSFはおよそ1年前に活動を開始しました。戦争から逃れてきた避難者に医療を無償で提供しています。

2015年は1万6000人が避難してきました。ほとんどの人が必要最低限の物しか持っていませんでした。現在、多くの子どもや妊婦までもが掘っ立て小屋で生活しています。清潔な水も食料もわずかしかありません。

MSFは毎日、1チームをあちこちに急造された避難キャンプに派遣し、移動診療を行っています。診療した患者の症状によっては、アブス病院への搬送を手配することもあります。

アブス病院の設備は救急処置室1室、手術室1室、小児病棟、産科病棟、外科病棟。保健省管轄ですが、MSFが2015年7月から支援しています。

現在までに、救急処置室で1万1000人以上を治療しました。入院の受け入れは2000人近く、分娩介助は1500人以上に上ります。MSFが活動をしていなければ、これだけの規模の医療提供は望めなかったでしょう。

そこに電話が鳴ったのです

この3ヵ月を振り返ったとき、2016年8月15日の出来事が心に浮かびます。私はその日、屋外で通り過ぎていく飛行音を聞きました。いつものことなのであまり気にも留めませんでした。

そこに電話が鳴ったのです。「病院が空爆されている!この病院が!今!」。電話の向こうから同僚の声……いえ、叫び声。

まさか、という思いと動揺。何かの間違いに違いない……。でも、隣で同僚たちも電話を受けているのです。不安なまま数分が過ぎ、事実だと知らせる決定的なメッセージが届きました。

私たちの病院が攻撃された?

患者は?仲間は?

アブドゥルをしのび「病院を撃つな!」の意思を表明する
MSFオーストリアのスタッフ(2016年8月撮影)

患者は?仲間は?巻き込まれた?避難できた?

電話は混雑でなかなかつながりません。それもそうでしょう。誰もが家族や友人の安否を確認しようと焦っていたのですから。

やがて第1報が届きました。死傷者に関する情報です。

後で知ったことですが、この時、病院の同僚たちは負傷者の救命に奮闘していました。空爆から数時間にわたり、アブス病院だけでなく近隣のハッジャ病院にも負傷者が次々に運び込まれていました。

出先から事務所へと戻ってくる同僚たち。待っていたのは、技術スタッフのアブドゥル・カリム・アル=ハキミが亡くなったという悲しい知らせでした。さらに、ほかにも犠牲者がいることが明らかになってきました。爆弾は病院敷地の中心に落ちました。そこには常に患者と家族、そしてスタッフがいるのです。

軽傷のスタッフは、医師と私が事務所に設けた“医務室”で対応しました。大半は大事に至らず、不幸中の幸いでした。ただ、誰の顔にも隠しようのない動揺が見られ、悲しみが刻まれています。このつらい状況でお互いを支え合っているのです。

なぜこんな惨事が起きたのか

空爆後の救急処置室で使える薬と機器を探す病院スタッフ

悲しみと怒り、そして、病院チームのそばにいられないという無力感。電話はまだつながらず、駆けつけるのも非常に困難です。

誰もが同じ疑問を抱いています。「なぜこんな惨事が起きたのか」。病院の位置情報は正確で、内戦の全当事者に通知されていました。そこにある施設が病院であることも。病院とは、患者が自らの命をつなぐために闘い、友人・家族とスタッフがそのために手を尽くす場所です。

この爆撃で19人が亡くなり、約20人が負傷しました。

病院施設、特に救急処置室は深刻な被害を受けましたが、保健省が医療提供を続けています。MSFはスタッフを一時退避させ、安全確認などを含む調査を行っています。

8月15日を振り返るといまも、ひどく心が揺れます。民間人や病院を標的にしてはなりません。たとえ戦争であっても、踏み越えてはならない一線があるはずです。

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