コンゴ民主共和国:4人の子どもを連れた24歳の母、避難中に何が?

2013年06月12日掲載

2013年5月下旬、北キブ州の州都ゴマ近郊で発生したコンゴ民主共和国軍と反政府グループ「M23運動」の武力衝突で、ビクトリーヌさんとその家族は自宅から退避。ゴマ郊外のソトラキ競技場に避難した4500人のうちの1家族となった。そのとき何が起きたのか。ビクトリーヌさんに聞いた。

同国東部の北キブ州ゴマ周辺に設置された複数のキャンプには、現在、10万人余りの人びとが避難している。国境なき医師団(MSF)は、ブレンゴおよびムグンガ第3キャンプの2ヵ所で活動。1次医療、予防接種、はしか・コレラなどの感染症予防に重点を置いている。

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3度目の避難、そのとき夫は……

4人の子どもを連れて避難しているビクトリーヌさん

ビクトリーヌさんは地面に座っていた。24時間、同じ場所だ。ほこりにまみれた黒いTシャツとスカート姿で、細い身体をフェンスにあずけ、時折4人の子どもの方に目をやる。末っ子は2歳、一番上は10歳。ゴマ近郊の競技場に滞在する大多数の人と同様、ビクトリーヌさんも疲労困憊している。競技場には、数日間移動を続けてたどり着いた人が多い。その他の人びとは戦闘を避け、学校や教会に隠れていた。

ビクトリーヌさんはゴマの北にあるキバティ村に住んでいた。家族は夫と4人の子ども。「爆音が聞こえ、怖かったです」と振り返る。銃弾が飛び交い、あちこちの家に爆弾が落ちた。隣人が流れ弾に当たり、亡くなった。

一家が避難を余儀なくされたのは、2008年以降で今回が3度目。前回の避難はわずか半年ほど前の2012年11月で、M23運動がゴマを攻撃したときのことだ。学校に避難し、そこで戦闘が収まるまで2週間を過ごした。

このときは無傷で済んだが、今回はそうはいかなかった。避難の際の混乱で夫が命を落としたのだ。ビクトリーヌさん自身と子どもたちは地元の学校にたどり着き、5日間身を潜めたのち、ソトラキ競技場に向かった。住んでいた村は戦線にある。ビクトリーヌさんは、治安が回復して帰宅できるまで長い時間がかかることを覚悟している。

持ち物は1包みの衣類だけ

MSFの移動診療を受ける避難者たち

キバティ村周辺では数ヵ月前から、緊張が高まっていた。ビクトリーヌさんは「危険と隣り合わせの生活で苦労しました」と続ける。村の外れの畑で大豆とインゲン豆を育て、生計を立てていた。「畑に行って働きたくても、反政府グループの妨害に遭うのです」。脅迫、恐喝、強姦も珍しくなかったという。

競技場で事態の改善を待つビクトリーヌさんの最大の心配事は、子どもたちの食べ物だ。「お金があれば、お店で食べ物を買うこともできるのですが……」と話すが、避難の際に自宅から持ち出せたものは、1包みの衣類だけだった。

今回のインタビュー前日、ビクトリーヌさんはMSFの移動診療所に、4人の子どものうち2人を連れてきた。移動診療所はテント仕立てで、避難者に基礎医療を提供している。2人とも栄養失調と下痢を患っており、キバティ村からの退避以来、劣悪な環境にいたことが原因である可能性が高い。十分な食糧もトイレも、清潔な水もなかったのだ。診察を受けた晩も、一家は屋外で就寝した。「ここで寝ました」。ビクトリーヌさんが、座っている地面を指差す。

4人の子どもをどう守っていくか

ビクトリーヌさんは13歳で結婚。夫に連れられ、ルチュルからゴマへやって来た。そして、24歳にして夫を亡くし、まだ幼い子ども4人を抱える。再婚の見込みも薄いと考えている。「再婚相手が子どもたちを大切にしてくれるかどうか……」とやつれた笑顔を見せる。畑と自宅の状態も気がかりだ。爆弾を免れたとしても、略奪に遭っているかもしれない。

ただ、一番の気がかりは、いかに子どもを守り、今後の苦難の日々を生き抜けるように支えていくかということなのだという。

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