ヨルダン:「幻」のプロジェクト――シリアとの国境地帯で何が?

2016年08月18日掲載

バームで避難生活を送る人びと

ヨルダンとシリアの国境を示す長大な土塁「バーム」。2本のバームにはさまれた地域に、紛争から逃れてきた人びとが滞在している。その数は6万人とも10万人ともみられている。

国境なき医師団(MSF)のナタリー・サートル救急医は、医療リーダーとして2016年7月にこの地域に赴任した。しかし、到着した彼女が目にしたのは「幻」となったプロジェクトだった。サートルが現地の状況を証言する。

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いくつものゼロの間に隠れているのは

MSFのナタリー・サートル救急医

シリア――11,000,000人が住まいを失い、400,000人が死亡。これはおおよその数にすぎない。危機的状況では、死者と避難者はいくつもの0を並べた数字で表され、個々の姿は消えてしまう。

2015年11月、シリア南部・ヨルダン北東部の国境取り締まりが強化された。シリア内戦から命からがら逃れてきた人びとは、国境の2本の土塁の合間に身を寄せ合うようになった。現地では「バーム」と呼ばれている。バームは難民キャンプではない。トイレも、水源も、安定した食糧供給も、医療体制もない。そんな状況下で生活している避難者は推計6万~10万人にのぼる。

いくつものゼロの間に隠れているのは人間、個人、あとにした世界にも向かう先の世界にも存在しない「幻の人びと」。生と死のはざまに捕らわれた人びととも言えるかもしれない。

自動車型爆破装置が国境地帯に

バームの住人たちに基礎医療を提供できるよう、国境なき医師団(MSF)をはじめ複数の団体が、何ヵ月にもわたって交渉を続けてきた。主な課題は安全保障だ。人道援助活動が国境の機能を弱め、ヨルダンが隣国の命運に引きずり込まれていくリスクを懸念していた。

2016年5月16日、ようやくMSFに対して、バームの傍らの援助区域で基礎医療活動を始める許可が下りた。しかし、1ヵ月が過ぎた6月21日、自動車を改造してつくられた爆破装置が国境付近で爆発し、ヨルダン兵7人が死亡。バームへの人道援助の立ち入りが即刻、無期限差し止めとなった。

事務的な引き継ぎの業務のなかで

その翌月、私は首都アンマンに到着した。断食月「ラマダン」もあと数日のみという時期。バーム・プロジェクトの医療リーダー職を引き継ぐことが任務だ。

早速、1人の女性と面会した。医療リーダーを数ヵ月担当してきた経験豊富な臨床医。彼女は私なりの表現でいう「涙腺のゆるい目」になっていた。正確には泣くというより、話しながらも、目からこぼれる水分を止められないのだ。人がそうなるのは、緊張が緩んだ時だ。

その日はずっと、彼女と、同じくアンマンで休暇中のバーム・プロジェクトの助産師と、3人で過ごした。医療援助を立ち上げることになるのか、もしくは臨機応変な活動体制を整えることになるのか……との私の疑問には、解決済みだと単純明快な答えだった。最善の仕事だ。手元のわずかな余地の中でなし得た、きめ細かく、この上なく整っていて美しい仕事。

臨床医と助産師は私に、トリアージ(※)と患者登録のやり方や、気温40℃の環境で1日平均数百人を診察していることなど、プロジェクトの体制を言葉と図解で引き継いだ。事務的な引き継ぎに彼女たちが体験した物語が加えられ、人間味を帯びる。

  • 重症度、緊急度などによって治療の優先順位を決めること

診療した3500人は全体ニーズのごく一部

赤ちゃんをとり上げる喜び。危篤状態のかわいい少女を国内の医療施設に転送させられない無念。全てを瞬時に暗闇へと包む砂嵐。砂漠に肌を焼かれた人びと。プロジェクト・チームも大変な苦労で、その窮状を目にし、人びとの顔を見つめ、肌に触れてきた。

過去形の言葉と現在形の言葉を交わす。奇妙な引き継ぎ。引き継がれているのは、私の赴任の直前に中断されて「幻」となっているプロジェクトだ。

プロジェクト・チームは1ヵ月で3500人以上の栄養失調、下痢、皮ふ病、不衛生と貧困に起因する疾患を診療した。しかし、その人数よりはるかに多くの人が受診すらできていない。

MSFとして、はっきりしていること

バームの現場は、車やトラックが姿を消し、薬局は閉鎖され、砂ぼこりで覆われていた。最低限の人員だけがこの場に残る。看護師、プロジェクト・コーディネーター、そして医療リーダーの私だ。

砂漠に腰を下ろすと、東がイラク国境、北がシリア国境。バームは北東へどこまでにのびている。がらんとした宿舎で寝返りを打ちながら、むせかえるような暑さの中、人びとの「幻」が目に浮かぶ。どのように生活しているのか?私たちがいなければどうなるのか?彼らと接触する方法は?次善の策は?

はっきりしているのは、撤退するわけにいかないということだ。まだできない。ここにとどまり、バームに入れるように努めることが重要なのだ。そして、その活動を世界中に広く伝えることが重要なのだ。それが「証言活動」であり、証言活動はMSFの根幹なのだ。

バームの人びとは生と死のはざまに捕らわれている。このプロジェクトは幻となるかもしれないが、彼らは幻ではない。私たちと同じ人間だ。彼らのために道を切り開かなければならない。

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