シリア:戦争の重荷を背負って(1)――村が爆撃された日

2013年07月31日掲載

シリア内戦は、空爆と市街地での戦闘を"日常"にし、保健医療体制を崩壊させた。家族や友人・知人を亡くした話があちこちで聞かれ、あらゆる人びとが被害者となっている。

シリア北部の病院のベッドで横たわるアリア・モサさんもその1人だ。両脚を包帯が包む。怒りと失望から、体験を語らずにはいられない。「朝5時でした。ミサイル攻撃が始まり、私の家は全壊。子どもを4人失くし、私もけがをしました。助かったのは、娘1人と夫だけでした」

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初老の女性、道路を横断中に……

シリア内戦の爆撃で破壊されたマンション

アリアさんは何日か前まで住んでいたシリア北部の都市・アレッポに戻るつもりはないという。家族を引き裂いた空襲のことを世界に知ってほしいとは思うが、身元が明らかになることが不安なため、写真撮影には消極的だ。

アリアさんのような体験談は、MSFの運営する病院内で非常によく聞かれる。病院の所在地はアレッポ州内の反政府勢力支配地域。けがをした民間人と戦闘員がときに隣り合って横たわる病棟は、外壁の向こうの状況を映す鏡だ。あらゆる社会層の人が戦争の被害者となっている。

同じ病棟の向かい側にいる初老の女性はノラ・アルジャセムさん。道路を横断中に腹部を撃たれた。手術を受け、回復を待つ日々だ。「アレッポ市での戦闘に巻き込まれたのです。路上で銃撃に遭いました」と振り返る。

シリア北部の保健医療体制は、内戦勃発後に壊滅状態となった。医療はますます受けにくくなっている。以前なら病院で出産していたはずの妊婦も、現在は自宅出産だ。しかも、戦時下のストレスから、早産も多い。糖尿病や高血圧などの慢性疾患のある人は、必要な薬やケアをほとんど受けられなくなってしまった。こうした人びとはシリア内戦のもの言えぬ被害者だ。

国内にとどまるか、国外へ逃れるか

MSFがアレッポ地域で運営している病院

アラビア語で"飛行機"を身意味する"タヤラ"という単語は、空襲と戦闘が"日常"になってしまった地域では、誰もが口にする言葉だ。2年余り前に内戦が始まってから、約425万人のシリア人が国内避難民となった。

アレッポはトルコと国境を接する。避難キャンプには1万人が滞在しており、トルコへの出国の機会をうかがっている。キャンプ内のあるテントで、人びとがレンズ豆のスープとスクランブルエッグを食べながら、今後のことを語り合っていた。

「トルコに入ればいくらか落ち着けるだろう」とムスタファさん。青唐辛子に塩をつけながら、「ここよりましなのは間違いない。ここはひどい。どう思います?」と隣の女性に尋ねる。女性の答えは「神の思し召しなら、何とでも」。ムスタファさんはさらに尋ねる。「でも、トルコのほうがここよりいいでしょう?」「それはもちろんそうでしょうね」

政治談議で拘留、釈放まで11年

そのかたわらでムハマドさんは黙ってたばこを吹かす。キャンプに来たのは、子どもの学校や近隣の住宅が空襲で破壊され、アレッポ市を離れたためだ。「外に出ると、ほこりが舞い上がり、何も見えませんでした。子どもたちを探し回りました。ほこりがおさまってやっと、子どもを見つけ、連れ帰りました」。さらに、感情をあらわにこう続けた。「連中は民間人を標的にしています。学校や、パン屋に並ぶ人の列、そしてモスクを攻撃しているのです」

"ムハマド"は本名ではない。写真撮影は構わないが、名前は伏せておきたいという。懸念の原因は今回の内戦ではなく、20年前にある。1993年以来、ずっと不安を抱え、生きて来た。当時、友人たちと政治について話し込んでいた。その発言が通報され、11年も拘留されたのだ。ようやく釈放されたのは2004年。「11年間ですよ。政府は、私と家族を11年間も会わせなかったのです。ほんの二言か三言のために11年間です」

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