バングラデシュ・インド:サイクロン「アイラ」被災者たちの証言

2009年07月17日掲載

サイクロン「アイラ」の被害を受けてから一ヵ月半が経ったインド・西ベンガル州の農村地域でMSFは緊急援助を行っています。被災者たちの証言をご紹介します。

ウシャ・モンダル(23才/トンタラ村在住)
「サイクロンの直撃によって土手がいくつか破壊されて、水位がとても上がって村は浸水しました。ほとんどの家が倒壊しました。私の家もです。私たちの避難生活はもう1ヵ月半になりますが、まったく改善の兆しは見えません。ここから自宅の屋根が見えますが、まだ水に浸かっているので戻ることができません。飼っていたヤギも、調理器具、衣類、食糧、それに財産のほとんどが水に流されてしまいました。

グラム・パンチャーヤト(※インドの村落自治体のこと)の援助を得て作ったこの仮小屋に、夫、2人の子ども、夫の母と共に暮らしています。これまでにビニールシートと食糧の配給を受けましたが、この11日間は何も配布されていません。息子は下痢をおこし、嘔吐が続いています。地元の保健担当者が週に1度様子を見に来ますが、水は汚染されて黄色く濁っています。泥混じりで、しかも今は毎日雨降りです。もし家に戻れなかったら今後どうすればいいのかわかりません。連日の高潮で村の浸水は続いています。

ここに住んで8年になりますが、これほどの洪水は初めてです。これから自分たちがどうなるのか、あとどれくらいこの泥の中での生活に耐えられるか、私にはわかりません。悲しいし、恐ろしいです。今も水位は高いままです。もし新たな洪水に襲われてこの仮住まいが破壊されてしまったら、一体どこに行けばよいのでしょう?」

ジョイサヤ・マイクとソララ・マイク(カルマカリ村在住)
「ここは住民およそ350名、漁業で生計を立てている集落です。サイクロンに襲われてから家屋の90%は浸水したままで、私たちは漁をするための網も、衣類も、そして財産も失ってしまいました。漁業も農業もできないので、経済活動はストップしています。政府からビニールシートの配布がありましたが、足りないものはまだたくさんあります。その日その日を生活してゆくことに必死です。ビニールシートの下はとても暑く、いたる所が水浸しです。自宅を修理できた人はほとんどいませんし、今でもかなり高い水位の浸水が続いています。」

クリシュナパダモンダル(クルタカリ村在住)
「私は農民で、村のホメオパス(伝統医)でもあります。サイクロンが直撃したとき私は村を離れていたので、翌日戻ってきて、信じられないほど甚大な浸水被害を目の当たりにしました。腰まで水に浸かるほどで、私の家も含めてほぼすべての家屋が浸水していました。食糧や調理器具は押し流されてしまっていましたが、いくらかの衣類はどうにか手元に残すことができました。娘の家がレンガ造りでより高台の土手にあり、私は近所の他の5家族といっしょにそこで暮らしています。4つある部屋にはそれぞれ5人が生活しています。

ここは今でも土手の両側から水に取り囲まれていて、毎日2度ある高潮の際には首の高さまで水が来て、何もかもが浸水してしまいます。高潮が来るのは朝の6時頃と午後3時頃です。全員が2階に上がり、毎回3時間ほどそこで待たなければなりません。浸水の時間は変わることもあり、ある時は6時、次は7時、さらに翌日は8時という場合もあります。」

こうした高潮が起こるようになったのは、サイクロンに襲われてからです。嵐によってこの周辺でいくつかの土手が破壊されたため、ひどい高潮が発生するようになったのです。こうした生活がもう1ヵ月半も続いています。いつ家に戻ることができるのかわかりません。

ここは中州で洪水が起こりやすいのですが、これほどひどかったことはいまだかつてありませんでした。

食糧や住居が不足しています。もう10日も何も配給されていません。土地はすべて浸水しています。水田も台無しです。水が引いて再び土地が耕作可能になるまでは、生活を安定させることはできません。海水が土地に浸みこんでいるため、耕作を再開するのに2年はかかると思われます。今後、私たちは一体どうなってしまうのでしょう。事態がすぐに好転しなければ、息子たちを出稼ぎに出さなければなりません。」

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スクマール・パイエク(32才/プルアパラ村在住)
「嵐は未明に始まり、30分もたたないうちに水が胸まで上がってきました。あっという間のことで、物を持ち出すことはほとんどできませんでした。私は子どもの1人を肩に乗せ、妻は娘を抱いて一緒に水の中を歩き高台へと避難しました。水の流れは激しく、私たちは運良く助かりましたが、他の村では押し流されてしまった人びともいました。

周りを見てください。サイクロンに襲われてから1ヵ月半が経ちました。周りに見える水の下はすべて、かつて農地だったところです。私は米と野菜を作っていましたが、今ではみな水没しています。泥でできていた私たちの家は崩壊してしまいました。お金も、衣類も、穀物や農作物もすべて失ってしまいました。手元に残すことができたのは、家畜といくらかの食糧、ダル(レンズ豆)、わずかばかりの米だけです。

私たちは本土にある学校の中に避難し、そこで10日間過ごしました。その巨大な建物には私たちのような境遇の人びとが500家族ほど避難しており、周囲一帯にも数多くのテントが張られていました。政府から食糧や仮住まいが提供されましたが、私たちは10日後にここに戻りました。水はまだ引いておらず、その後ずっと私は妻と3人の子どもと共に土手の上の仮小屋で暮らしています。

自宅をいつ建て直すことができるのかはわかりません。まずは水が引かなければなりませんが、現在も毎日高潮で浸水しています。問題だらけです!こうした状況が続いたらどうやって生き延びていけばよいのか、どこへ行けばよいのか、私にはわかりません。モンスーンの季節が始まったこともあり、また大洪水に見舞われるのではないかととても心配です。」

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