イエメン:救命救急の現場から――MSF日本人医師の現地報告

2016年01月21日掲載

紛争が続くイエメンで、国境なき医師団(MSF)日本から派遣した渥美智晶医師(外科医)は、現在も新しい病院の立ち上げに携わっています。現地からの報告です。

救命救急の現場から/渥美智晶(外科医)

紛争が続くイエメンのタイズ市近郊のイッブで、新病院を立ち上げる活動に参加しています。首都サヌアから車で5時間ほど南下したところにある街です。サヌア到着時の報告はこちら

イッブでは保健省と連携し、中核病院の救急救命室(ER)での活動や医薬品確保の支援を行っています。また、外科集中治療室や手術室を訪問し、国境なき医師団(MSF)が立ち上げる病院では対応が難しいと判断された症例を受け入れてもらう体制の確認と協力要請のため、現地の担当責任者に面会をしました。

限られた移動・滞在のなかで活動を進める

さらに、美しい景観の山岳路を車で1時間ほど走り、アルカイダという街に行きました。ここでは1月18日から3日間の滞在が許可されました。治安上の問題で、移動回数は週3回までの制限があります。前回は日帰りでした。少しでも早く救急救命の外科診療を主とする医療提供を行うため、限られた移動回数・滞在期間の中で進めていかなければなりません。

手術室を稼働させるために必要な器材やその配置・設置・清掃の打ち合わせを行い、ERや病棟では、現地スタッフへの衛生指導や、前回の訪問時に引き続き、医療廃棄物の分別や患者への手指消毒に関する啓発パンフレットの掲示も行いました。

到着したその初日の夕食時、街からすぐ近くの検問所へ2回連続で空爆が有りました。比較的間近での空爆は爆撃音だけではなく、衝撃波もからだに大きく感じ、不安な初日の夜となりました。

ERの手伝いに入ったが……

2日目も手術室の準備や器材の移動・清掃などを行いました。その合間にERでの診察を手伝い、2人の30代の銃創患者を診察しました。1人目の症状をレントゲン写真で確認すると、弾丸が左の太ももから骨盤の右側にむかって入り、体内でとどまっていて、左側の股関節が痛みで曲げられない状態でした。

バイタルサインは落ち着いていましたが、ぼうこうや消化管の損傷を起こしていると思われました。しかし、手術室はまだ稼働しておらず、残念ながら開腹して治療方針を判断する試験開腹もできません。破傷風と抗生剤投与を行い、局所麻酔をして弾丸が入ったところの傷を処置して、手術ができる病院へ転送としました。

もう1人は頭部からの大量出血を布で覆われた状態で運ばれてきました。両耳からも流血していました。意識障害の程度を測るグラスゴー・コーマ・スケール(GCS)は深昏睡(こんすい)とみなされる3点で、瞳孔が開き、あえぐような呼吸をしていました。

布を取り除くと頭部を左右に貫通した銃創がありました。残念ですが、手の施しようがありませんでした。できることは、弾丸が入ったところと出たところの傷を処置して包帯を巻き、流血にまみれた顔面をきれいにしてあげることだけです。現地スタッフの救急救命医に促され、ふたりで「アラー・ヤッハモ(アラーの慈悲を、の意味)」とお祈りを捧げました。家族は泣きながら患者を抱えて帰って行きました。ERを手伝ったあとは産科病棟を回り、助産師と緊急の帝王切開の症例対応について協議しました。

近隣の民間診療所も視察

最終日は手術室の稼働準備を続けつつ、病院周辺でまだ診療を行っている民間診療所を3ヵ所訪問しました。訪問は、患者の受け入れ状況や器材・病室の確認と、協力体制の構築が目的で、私を含めた4人で視察させてもらいました。

滞在許可の延長が認められないため、プロジェクトは遅々として進みません。それでも、薬品庫や倉庫の手術用物品のチェックや、スタッフ採用のための履歴書のチェックや面接などを行っています。近日中に救命外科の分野で貢献できることを願いつつ、活動を進めています。

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