セルビア・クロアチア:誰もが望む普通の生活を求めて――シリア人難民の体験

2015年10月20日掲載

セルビアからクロアチアへ入るために、国境で待機する人びと セルビアからクロアチアへ入るために、
国境で待機する人びと

セルビアとクロアチアの国境の町、バプスカ。国境なき医師団(MSF)がここで運営している診療所に、2人の子どもを連れた女性がやってきた。シリアの首都ダマスカス出身のランドさん(30歳)だ。

連れてきたブラヒム君(8歳)は、まだシリアにいるときにキックスケーターで転んで唇を切り、数針縫っていた。その傷の経過を医師に診てもらう必要があったのだ。一方、ジュリちゃん(2歳)にはかぜの症状が出ていた。

ランドさんはシリアを離れ、トルコから欧州を目指して知人たちと一緒に旅してきた。子どもたちはそのグループの一員だ。診察を待つ間、心境を語ってくれた。

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校舎に爆弾、目の前で子どもたちが犠牲に

左から、ランドさん、ジュリちゃん、ブラヒム君 シリアから欧州を目指して旅を続けている 左から、ランドさん、ジュリちゃん、ブラヒム君
シリアから欧州を目指して旅を続けている

シリアにいたときのことです。学校沿いの道を歩いていると、校舎に大きな爆弾が落ちたのです。私の目の前で子どもが3人亡くなりました。思わず「いい加減にして!」と叫びました。

祖国を離れたくありませんでしたが、内戦が5年も続き、もう無理だと思い知ったのです。ダマスカスを離れたのは1ヵ月前です。レバノンに向かい、半月前にレバノンでトルコ行きのチケットを購入しました。

「僕たちは死ぬの?」

私たちは両親の友人の一行に加わっています。このグループには子どもが3人いて、そのうちの2人がジュリとブラヒムです。子どもたちにとっては、わけがわからない状況でしょう。常におびえていて、「警察が来て、刑務所に連れて行かれるの?」とか「僕たちは死ぬの?」と聞いてきます。

銃を持った人、軍服の人、さまざまな種類の大きな音。そのたびに身をすくませる子どもたちに、大人はこう言い聞かせます。「ここはもうシリアじゃないんだよ」。

私には子どもがいません。自分の子をこんな旅に連れて来ずに済んだことを、神様に感謝しています。道端で食べ物や温かい寝床を求めるわが子の姿は、きっと見るに堪えなかったことでしょう。

深夜に国境を越え、なお歩く

昼夜を問わず歩き続ける状況で、足をけがしている人も多い 昼夜を問わず歩き続ける状況で、
足をけがしている人も多い

トルコから欧州までの船旅は、子どもたちにとって特にこわかったようで、ずっと泣いていました。ついにはお祈りをはじめ、「お祈りしていれば死んでも天国に行けるから」と言っていたほどです。昨日もずっと泣き通しでした。午後11時半ごろに国境を越え、真っ暗な農村地帯を歩き続けました。子どもたちが歩くには大変な道のりです。ぬかるみに足を踏み入れては泣き、滑って転んでは泣き……。

私たちはその日、軍が提供しているテントで宿泊しました。食糧も水も照明もありません。幼い子どものために毛布を貸してほしいとお願いしてみましたが、残念ながら1枚も用意がないと丁重に断られました。そう遠くない場所に環境のいいキャンプがありましたが、子どもたちが空腹で泣くので、それ以上の移動は断念しました。

子どもたちは状況を理解できていません。「シリアがいい。家に帰って自分のベッドと枕で寝たい」と言います。このつらい旅よりも、内戦の渦中にある自宅の方がましだと考えているのです。安全に生活できる国を目指していることが、子どもたちにはわからないのです。

新しい生活を始めるために

私自身は友人がいるオランダを目指しています。オランダではまず、特技の英会話を活かした通訳ボランティアから始めたいと思っています。私はダマスカスで英語教師をしていましたから。夢は英文小説をアラビア語に翻訳する翻訳家になることです。私の父は外国人にアラビア語を教えるかたわら、文筆家でもありました。私はその遺伝子を受け継いでいるのでしょうね。

夢は夢として、新しい生活を始めるためにはどんな仕事でも喜んでやります。友達も彼氏もつくりたい。30歳の女性なら誰でも望むことをしたい。人を人として扱う政府があり、投票権が認められ、声の届く国で暮らしたい。そうした生活を経験してみたいと心から願っています。

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