ザンビア: HIV患者たちのストーリー

2008年10月28日掲載

南アフリカの国、ザンビアでHIV/エイズとともに生きる人びと、それぞれのライフ・ストーリー。同国で国境なき医師団(MSF)の治療を受けている4人の患者が、治療、家族との関係、そして前向きに生きるための姿勢について語っています。

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ムワバに授かった赤ん坊

HIV/エイズについて説明するMSFの医師と患者 HIV/エイズについて説明するMSFの医師と患者

「2005年、夫と私はとても重い病気にかかっていると感じていました。私はあまりに具合が悪くて衰弱し、まるで死んだようでした。私たちはまじない師に診てもらおうと思い、夫の母親に相談しました。彼女は、カピリにある団体が運営している診療所があるから、まずはそこへ行きなさい、それで治らなかったら、まじない師に会いに行けばよいと言いました。診療所までの道はとても長かったです。まず、カピリ行きのバスが出る停留所まで、徒歩で10時間もかかりました。体力が衰えていたので、何度も休憩をとりながら歩き、やっとの思いで停留所にたどり着きました。カピリに到着したときはすでに日が暮れていて、診療所も閉まっていました。そこで、私たちはまた長い道のりを歩いて知人のいるカフワカまで行き、そこで泊めてもらいました。

次の日、診療所へ行ってHIVの検査を受けました。検査結果が陽性だと聞いて、何時間も泣きました。もうこれで死んでしまうと思うと、涙が止まりませんでした。カウンセラーは、涙がかれるまで、そのまま泣かせてくれました。その後、彼女は治療が可能であることを説明し、私に希望をもたせてくれました。そして病院を紹介してくれました。

病院で、私は性病にもかかっていることを知りました。下腹部と背中にひどい痛みがあり、立ち上がることもできませんでした。結核にもかかっていたので、私の免疫力はとても弱っていました。結核治療を始めたのですが、治療薬はとても強い薬でした。2ヶ月分の薬をもらい、また診察を受けに来るように言われました。2ヵ月後に診療所に行ったときには、体調はかなりよくなっていました。村の人たちは、私がHIV陽性だというので私を笑いものにしました。でも、診療所で聞いた話は私に自信を与えてくれました。私は9ヶ月かけて結核の治療を終えることができました。

それから医師は、抗レトロウイルス薬による治療を始めよう、と言いました。抗レトロウイルス薬(ARV)を飲み始めても、すぐには体調はよくなりませんでした。ほんとうに健康になったと感じるまで、8ヶ月かかりました。2007年10月、私たちはカピリの診療所の近くに引っ越しました。妊娠したとき、私はまだ治療を受けていました。赤ん坊が産まれたとき、6ヶ月経ったら授乳を止めるように診療所で言われたので、その通りにしました。赤ん坊が1才になったときにHIVの検査を受けましたが、結果は陰性でした!1才半になったらまた検査を受けるようにと言われました。今、私には希望があります。患者同士の支援グループに参加し、活発に活動し、地域にも貢献しています。自分に自信を持っています。病気だったときは目もほとんど見えなかったのに、今ではまたよく見えるようになりました。」

ボイド「偏見は私たちの心の中にある」

「私は2005年に病気になりました。慢性のマラリアにかかっていて、よくなったりわるくなったりを繰り返していたのですが、何かがおかしいと感じました。妻は2004年に亡くなっていました。彼女は糖尿病でした。私はカウンセリングとテストを受けるため、カピリの診療所を訪れました。姉が付き添って、世話をしてくれました。

私はHIV陽性ではないかと疑っていたので、心の準備もできていました。病気は深刻で、CD4値も15というとても低い値でした。診療所でARV治療を始め、4日間入院し、5日目に退院しました。最初は副作用があって足が痺れたので、第二選択薬に切り替えることになりました。

私は同じ問題で苦しむ仲間を励ますために、タゴメジアの支援・グループに参加することを決めました。私がHIV陽性だという理由で偏見を持つ人びとのことは、気にしません。私の人生は私のものです。HIV陽性であろうと陰性であろうと、偏見は私たちの心の中にあるのです。」

ギブソン 「ポジティヴに生きる」

HIV/エイズをめぐるさまざまな俗信・迷信について話し合う、支援グループの人びと HIV/エイズをめぐるさまざまな俗信・迷信について話し合う、
支援グループの人びと

「私はカピリから車で1時間のところにあるカブウェに住んでいます。2000年に妻が病気になり、とても遠くにあるモンゼ病院に連れて行きました。病院で検査を受けるように言われ、その結果二人ともHIV陽性であることがわかりました。当時、私自身の体調はわるくありませんでした。私は初期の段階で検査を受けたので、CD4値も低くありませんでした。2003年3月2日に妻が亡くなりました。彼女は、自分の家族にHIV陽性であることを信じてもらえなかったので、治療を受けられなかったのです。私は、彼女がなぜ自分が陽性であることを信じられず、受け入れられなかったのか、理解できませんでした。

妻が亡くなった後、私はカブウェからカピリに引っ越しました。私のCD4値は2005年に低くなりました。それまで、陽性だとわかってからの5年間、私はよく食べ、よく運動をしていました。病院で「あなたはHIV陽性(ポジティヴ)なのだから、前向き(ポジティヴ)に生きなきゃね」と言われ、その通りに生きてきました。2003年にカピリに引っ越したときに、国境なき医師団(MSF)が運営している診療所に行ったのですが、私があまりに健康そうだったのでHIV陽性だとは信じてもらえず、再度検査を受けました。

2005年に診療所の医師からARVをもらいました。それ以来、毎日朝晩2回、錠剤を飲んでいます。私は元気で健康で、畑でもよく働いています。トマト、キャッサバ、トウモロコシを育てていて、家畜も飼っています。

2006年には再婚しました。妻もHIV陽性です。2007年3月に女の子が生まれましたが、彼女は陰性でした!妻は妊娠中、ARVを服用していました。診療所で、妻の治療薬を変えることと診療所で出産することを勧められました。診療所で赤ん坊が生まれ、スタッフは赤ん坊にシロップを与えました。6ヶ月後、赤ん坊の検査結果は陰性でした。1才半になったら再検査します。妻は2ヶ月の間だけ授乳しました。でも、この子が私の最後の子どもになるでしょう。次の子が陽性で生まれるリスクは避けたいのです。

私は病院で、患者の治療への積極的な参加を手助けするボランティア活動もしています。HIV/エイズとともに生きる人が積極的に生きられるよう、助言し、励ましています。ARV治療を始めても途中で止めてしまう患者を追跡するシステムも作っています。その患者を知っている人々を訪ねて、居所をつきとめるのです。そして患者に会い、治療を中止するのは自殺に等しいことを説明します。服用により体調が良くなったからというのが、薬を途中で止めてしまう理由のひとつです。別の理由は、病気が治るように祈祷してもらっているから、それで治ると思ってしまうことです。私は支援グループにも参加しています。お互いに励ましあい、情報交換をすることで元気になれます。偏見について言えば、世界を変えることはできませんが、世界の見方を変えることはできます。」

グラディス 「症状は驚くほど改善しました」

「私は病気でした。食欲がなく、ものを食べられなくなっていました。身体中に湿疹ができて痒く、帯状疱疹にかかっていました。体が震え、耳もよく聞こえず、嘔吐をしていました。北西部にあるカセンパに住んでいる姉のヒーダが、遠路はるばる見舞いに来てくれました。姉の息子が、電話をかけて私が重病だということを知らせてくれたのです。それで2008年2月に姉はバスに乗って訪ねてきたのです。

私たちはまずルサカへ向い、6月まで滞在しました。でも具合がいっこうによくならなかったので、姉は私を自宅のあるチャンコモに連れ戻しました。6月にカウンセリングと検査を受けに行き、7月にARV治療を始めました。治療を始めてから2週間経ちましたが、症状は驚くほど改善しました。今では人の言うこともよく聞こえ、湿疹も治まりました。疱疹はまだ痒いですが、前ほどではありません。食欲も回復しました。私は栄養治療も受けています。カピリの医師の診断で大豆粉と食用油を受け取っています。」

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