ジンバブエ:人生が変わるとき――HIV移動診療の一夜

2014年09月16日掲載

MSF・移動診療チームのHIV検査に並ぶ人びと MSF・移動診療チームのHIV検査に並ぶ人びと

全世界に3500万人いるとされるHIV感染者のうち、半数以上はHIVに感染していることを自覚していないとみられている。抗レトロウイルス薬(ARV)治療は、HIV感染者の健康状態の悪化を防ぎ、他者に感染させるリスクを劇的に減少させる。しかし、自分の感染状況がわからなければ治療を受けることもできない。

ジンバブエの農村部にあるグツ地区では、国境なき医師団(MSF)とジンバブエ保健省のスタッフが巡回し、治療を必要としている患者を捜す活動を行っている。今日もまた、地元の人がMSFのもとにやってきた。

17時55分

HIVの検査が実施される場所には、白いテントが2つ、闇夜に灯りを揺らめかせて立っている。しかし10mも歩けば、深く、冷えきった暗闇に飲み込まれてしまう。今夜は月も出ていない。木々がまばらに生えた田舎の風景を照らしているのは、きらめく星だけだ。100mほど先にある数軒のバーからは、音楽が大音量で鳴り響いている。

道路脇の空き地に駐車したMSFのトラックの前には、男たちの人だかりができている。ここは、夜間の移動診療所。男たちは大声をあげ、ジョークを飛ばし、互いに小突きあっている。1人が私の腕をつかみ、ショナ語で話しかけてきた。
「名前は?」
「ソレンです。はじめまして」
「ソレン(太陽の光)か。この地球を照らす名前だね、ダーリン」
息がかなりビール臭い。

18時02分

トラックの中は3部屋に仕切られ、その1部屋では保健省のアイリーン・マティングイナ看護師が、血中のCD4値を測定する機械を準備している。CD4は、HIVが体内でどれだけ“大暴れ”したかを示す数値だ。この数値が低いほど、結核のような日和見感染症に対する抵抗力が弱くなるため、CD4が一定の数値を下回れば、抗レトロウイルス薬(ARV)治療を開始することになる。

検査機は、黒っぽい小さな箱だ。基本的な応急処置キットを入れた救急箱ほどの大きさしかない。マティングイナ看護師が、正常に作動しているかを確認するために何度かチェックする。血液サンプルを入れ、ボタンを押すだけのこと。簡単なので、こうした農村部の現場ではとても実用的だ。

18時10分

HIV検査を受けてもらうことが、HIV撲滅の第1歩だ HIV検査を受けてもらうことが、HIV撲滅の第1歩だ

2つのランプが点滅した。検査機はオーケー、準備完了だ。私たちはトラックから降りた。さっきの酔っぱらいは、どうしても外国から来た女性を口説いて友人たちを感心させたいようだ。私は、礼儀正しく微笑みかけてから、慌てて近い方のテントに走った。

MSFのカウンセラーであるトコジレ・ドードーは、プラスチック製の椅子に丸くなって座り、刻々と寒さが増す中、手をすり合わせて肌を刺すような冷気と闘っていた。髪を短い三つ編みにした優しい彼女は、難しい仕事を任されていた。男性たちに検査結果を伝え、状況を理解してもらえるよう説明し、HIV陰性であれば陰性のままでいる方法を指導するのだ。

「彼らをコントロールするのが難しい時もあります。でも、本当に必要な人に検査を受けてもらうには、ここは最適な場所です。ほら、男性って、診療所には行かないものでしょう?でもここにMSFが居るのを見ると、背中を押しあい、勇気づけあって、検査を受けてくれます。ほとんどの人にとって、初めてのHIV検査なんですよ!」

ジンバブエでは、成人6人に1人の割合でHIVに感染している。ジンバブエ人がHIV陽性になるリスクは、統計的に言えば、日本人が糖尿病になるリスクの2倍だ。こうした現実に反し、HIV検査を受けていない人が大勢いるのだ。

18時14分

検査結果が届いた。小さな紙切れに「プラス」か「マイナス」のサインが書かれている。
「こちらは陽性ね」と、トコジレが言った。

18時15分

テントの近くの草むらに足音が聞こえる。結果を聞きに来たのだ。どうしよう!入ってきたのはさっきの酔っぱらい、アンドリューだった。

彼は私に向かってうなずき、「そこにいていいよ」と言った。そしてアーセナルのロゴ入り野球帽を取り、プラスチック製の椅子に前のめりに腰かけ、手を組んだ。私はその場から消えてしまいたかった。本人もまだ知らない秘密を知っているのに、見ているなんてつらい。

18時16分

「さぁ、結果を教えてくれよ。教えろよ!陽性なんだろう?陽性ならそう言って、さっさと次に進もう」とアンドリューがまくしたてた。

トコジレは、彼を見つめると、少し間を置いてから声を落としてこう聞いた。「あなたは検査を受けました。受ける意味もわかっていますね。結果を聞く準備はできていますか」。アンドリューは急に真顔になり、うなずいた。 「陽性です」。急に足元から人生が崩れ去った時、人はこんな表情を見せるものなのだと、その時初めて知った。

18時17分

2人の話し合いは続いた。リスクについて、彼の生活について、性行動について。彼は40歳で、5年前に離婚してからは数人の女性と付き合ったという。決まった性交渉の相手はいるかとトコジレが聞くと、彼は精一杯強がって、冗談めかして私を指差した。「今のところ、こいつだけさ」

18時32分

アンドリューは、CD4値の結果を受け取りに出て行った。“理想的”な世界、たとえば、先進国なら、彼はすぐに抗レトロウイルス薬(ARV)を貰えるだろう。世界全体のHIV感染者のうち、先進国の居住者が占める割合はわずか6.5%。患者数が少なく、薬の在庫は十分にあるから、すぐに治療を始められるのだ。

しかし、ジンバブエでは……?アンドリューもARV薬が必要だとわかっている。「薬はどこで手に入る?」これが彼の最初の質問だった。しかし、乏しい資源を慎重に分配しなければならない途上国では、身体の免疫機能が弱っている人が優先される。

ARV治療は、HIVによる健康状態の悪化を防ぐだけでなく、ガールフレンドへの感染リスクを劇的に減少させる。羽目を外し、たとえコンドームを忘れたまま一夜を過ごしたとしても。最近の研究で、推定4万回の無防備な 性行為を分析したところ、HIV陽性とHIV陰性のカップルであっても、ウイルス量が検出不可能なほど微量(治療効果が適切であることを示す)ならば、HIV陽性の人から陰性の人へと感染したケースは1例もなかった。

しかし、アンドリューはARV治療を受けられるほど“深刻”な段階ではなかった。アンドリューは、ブッシュの闇の中へ足を引きずるように消えていった。ほんの数分前に検査をけしかけてきた友人たちに、会う気にもなれないまま。

18時44分

トラック内の2つ目の部屋では、10代の少年が検査を受けている。人差し指に針を刺す。彼はピクリともしない。マティングイナ看護師が指を圧迫すると、1枚の紙の上に血液がゆっくりと滴り落ちた。それを検査機に入れたら、後は結果を待つだけだ。

18時49分

私たちは、少しその辺を散歩することにした。まるで、ハリウッドの西部劇映画の中にいるような気分だった。土ぼこりと砂で荒れ果てた広い大通りの周囲には、低い建物が数軒ずつ肩を寄せ合って建っている。私たちはトラックの光から離れ、通りに並んでいる4軒のバーから漏れ出している黄と青の光の輪へと、まるで蛾のように移動していった。

1軒目は、子どもが1人、コンクリートの床で遊んでいた。店主はもう店仕舞いを始めていた。通りの向こう側では数人の男たちが、くたびれた台でスヌーカー(ビリヤードの一種)をしていた。この辺りで一番人気の店は、通りをもう少し下ったところにある。音楽が鳴り響き、大声が聞こえてくる。1日の農作業を終えた男たちには、良い気晴らしだ。

18時59分

アンドリューが、トコジレのテントに戻ってきた。彼のCD4値は465。ジンバブエ政府は世界保健機関(WHO)の最新ガイドラインに従って、CD4値500を治療開始の基準値としている。アンドリューも、診療所へ行けばすぐに治療を始められる。トコジレは念のために、アンドリューの携帯電話の番号を書き留めた。

19時14分

少年の検査結果は陰性だった 少年の検査結果は陰性だった

先ほど検査を受けたばかりの10代の少年が、トコジレのテントに入ってきた。「準備はいい?」とトコジレが聞く。「はい」と答える。「陰性よ」

彼は、鼻筋をつまみ、目を閉じると、大きく音を立てて息を吐いた。鼓動が聞こえるようだ。彼は17歳で、ガールフレンドが1人いる。一度もセックスはしていないと断言し、「でも、生まれた時から感染している人もいるからね」と付け加えた。そして「今後もセックスはしないから、絶対に感染したりしない。僕は自分をコントロールできる!」と宣言した。

それでもトコジレは、MSFが無償でコンドームを提供していると伝えた。17歳の本能的な衝動によって彼の誠意が押し流されないとも限らない。

19時41分

ようやくブッシュから出てきたアンドリューが、友人たちに陽性だったと打ち明けたと、マティングイナ看護師が教えてくれた。お兄さんがアンドリューを抱きしめ、相談に乗っていた。「とても良い兆候よ。検査結果を受け入れたということだから」とマティングイナ看護師は言う。HIVとの闘いの中での、小さな勝利だ。

20時24分

検査を受けに来る人はもういない。そろそろ片づける時間だ。ゆったりとした夜だった。検査を受けたのは33人。そのうちの2人が陽性だった。1人はアンドリュー。もう1人は47歳の女性。夫と子供たち全員に検査を受けさせようとしているのだが、てこずっているのだという。夫は、何人か別の女性と関係を持っているらしい。近いうちに必ず夫を診療所に連れてくると、約束して帰って行った。

21時06分

グツの町に戻ってきた。明日もまた、別の場所にトラックとテントを設営し、治療が必要な人を捜さなくては。治療が必要なのだと、まだ気付いていないかもしれないけれど。

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