イラン地震:スタッフの日記

2003年12月26日掲載

被災地への医療チーム派遣の流れ

2003年12月26日 日曜日
「午前10時、ザヘダンのチームからの電話で、バムで地震があったと聞いた。規模や犠牲者の数はわからないまま、すぐにテレビをつけた。

驚いたことに、地震のことを報道していたのはイランのテレビ局IRINNだけだった。つぎつぎとショッキングな映像が現われた。イラン建築の至宝、バムの城塞はただの瓦礫と化し、人々は慌てふためいて、どうしていいのかもわからないようだった。嘆き悲しむ男性が映り、そばにあった毛布をめくると、2人の子どもの生気を失った顔が現われた。私も気が動転していたが、被害は甚大で、救援活動を始める必要があることはわかった。報道では、20人くらいの医療隊が10団体ほどすでに現地に到着していると言っていたように思う。

11時、事務所で活動責任者のジャン=フランソワと合流する。彼はすでに、調査チームを派遣するよう指示を出していた。私たちは、ここテヘランからすぐに送れる物資のリスト作りに取りかかった。医療と災害救援キットが17セットあった。その後モハメッドといっしょに、翌日すぐに発送するための医療物資の発送準備をした。すべての物資を段ボールに入れて用意し終わったときには、夕方6時になっていた。その間、知らせを受けたパリの事務局は、緊急医療・ロジスティックチームを編成し、物資を空輸するのに全力を尽くしていた。また、イラン周辺国で活動している、たくさんのMSFチームが支援を申し出てくれたこと にとても励まされた。

27日からの3日間は、時間とのたたかいだった。被災地に入るための許可の取得、通関手続き、緊急チームがバムに飛ぶための切符の確保などをしなければならない。航空会社は、バムに向かうイランの人々とNGOの襲来を受けたようなさわぎだった。到着するチームの受け入れ、イラン人スタッフの雇い入れ、医療 物資の輸送の手配も待っている。

イラン人だけでなく、アフガニスタン人までが協力して助けあう姿には感動を覚えた。料理や掃除のためにMSFが雇った人々まで、手伝いを申し出てくれた。

ここの人々の結束はとても強い。現金、毛布、衣料、食糧などの支援が届いて、事務所は一気に倉庫のようになった。ちょっと現実離れした光景だが、人々の厚意を断わるわけにはいかない。これらの支援は、医療物資と飲料水用の物資とともにトラックで運ばれる。物資だけでなく、事務所には人もあふれている。エル ハン、モハメッド、プイヤン、カンビズは、臨機応変に対応をしてくれている。

結局、テヘランからは15トンの高タンパクビスケット、ドバイからは毛布6000枚、フランス・ボルドーのMSFロジスティックセンターからは医薬品と医療機器あわせて10トンが空輸され、バクダッドからは水・衛生キット6000セットがトラック10台で送られた。なすべきことはまだたくさんある。生き残った人々に医療を届け、大切な人を失った彼らの苦しみを和らげ、彼らを支えていかなければならない。」

初の派遣地ザヘダンからバムに調査におもむいた医師、エリックの報告

2003年12月26日 金曜日
「地震が起きた日の夕方にバムに着いた。街は石ころの山と化し、この世の終わりが来たかと思うような光景がひろがっていた。重傷を負った人が少ないかわりに、死者数が非常に多いことに衝撃を受けた。

その翌日から、国際援助団体、とりわけ赤新月社は迅速かつ効率的な援助活動を開始した。たくさんの簡易診療所が作られ、救急医療や外科手術ができる施設もいくつか立ち上げられた。

一方MSFは、救急医療の提供より、少しでも多くの人に一般医療を届けることに重点をおいた。救急医療は他の団体が十分行っていたからである。MSFボランティアは小さなチームに分かれて、診療所から離れたところにいる人々のもとへ行き、医療を提供した。私は、イラン人の看護師アザデとともに、バムの郊外 にある村々を回った。ひとつひとつのテントを訪問し、支援を申し出た。ある日の午後、通りがかりの運転手から、援助が届いていない地域に案内するから車に 乗らないかという申し出を受けるということもあった。

毎朝7時30分から夕方18時30分まで、休むことなく80人以上を診察する。心的外傷・外傷・ほこりによる肺感染・ストレスによる胃炎など、地震に直接起因する症状が多い。一方で、喘息・糖尿病・高血圧症・てんかんなどの慢性疾患の患者も地震により治療を受けられなくなってしまったため、彼らを診ること も大切な仕事である。

また人々は家族や大切な人を失い、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しめられている。彼らのそばで話を聞き、心理ケアを行わなければならない。これほどの人々がわたしたちを必要としていることを思うと、この仕事をやり遂げなければという責任を強く感じる。」

広報担当者、ズイナの報告

12月28日 日曜日
「医師1人とともにパリを発つ。翌日29日の早朝3時、テヘラン着。バム行きに乗るため、国内線ターミナルに向かう。驚くほど多数の乗客と援助物資をのせ、飛行機は13時にバムに着いた。

空港には、たくさんの貨物機とヘリコプターが駐機していた。いろいろな国から援助物資が大量に届けられ、空港の周囲にはテントがいくつか張られていた。人と物でごったがえしていたが、イラン赤新月社とイラン軍がいるのが分かった。また、遺体をカメラにおさめようとするジャーナリストの一団がいた。」

12月30日 火曜日
「イラン当局の指示で、バムに到着したすべての援助・報道関係者が市の中心にあるスタジアムに集められた。国連のさまざまなセクション、消防、各国の災害救援機関、そして報道機関。繰り広げられる支援の規模から、今度の地震の被害がいかに大きかったかを実感した。」

12月31日 水曜日
「バラヴァトに行く計画を立てる。バラヴァトは、バム市街と空港のあいだに位置する人口1万7千人の町だ。

町の16ヵ所で計75家族(392人)に会ったが、1家族を除いてすべての家族が、家や畑の近くにとどまることを希望した。テントはすべての家族に行き渡っていて、1つのテントに平均5人が暮らしている。ツナ缶・いんげん豆・パンなどは十分に配られているが、米・油・卵・砂糖が足りていないようだ。毛布 は赤新月社によって配られた。人々は、せっけん、歯ブラシと歯磨き粉、洗剤、暖房、そして燃料が必要だと言う。

飲料水は計画的に配給されているが、体を洗ったり、洗濯をしたりするための水はない。おおまかにいって、空港から見てバラヴァトの右側の地区にはレントゲンや外科設備の整った病院があり、移動心理ケアチームも活動しており、十分な医療が提供されているようである。風邪、筋肉の痛み、傷などの症状を訴える 人、気が滅入って鬱のような状態にある人が多い。

バム北部周辺の巡回診療チームの報告

1月1日 木曜日
25家族(約238人)のうち15家族は自分達の家があった場所のそばにとどまることを望み、数家族は親戚をたよってバムを去った。

看護師のイザベルと医師のベフダッドは18名の診察を行い、うち2名の患者が骨折と感染症で病院へ搬送された。毛布や食料、飲料水は十分にあるが、洗濯や体を洗うための水が半分の家族には不足している。また暖かい衣服も必要だ。栄養を補うために10歳未満の子ども全員に高タンパクビスケットを配給した。この地域は保健センターや巡回診療により医療面の支援は受けており、衛生キットや暖房器具なども十分に提供されているようだ。我々はこの地域にある3つの無料診療所を視察した。これらの診療所では1日40~150人を診察しており、呼吸器感染症、咽頭炎、肺炎、感冒などの疾患のほか、傷口が化膿したり縫合が必要な負傷者が多く見られ、下痢の症状を訴える患者も数名見られた。また震災による心理的なストレスを抱えた人々も多い。診察件数は増加傾向にある。

オレンジやナツメヤシの実があふれる農作物の恵まれた地方の古都バムは、美しいヤシの木々に囲まれている。バムの住民は庭付きの大きくてきれいな家に住んでいた。

高水準の保健システムが機能しているイランでは、自然災害やその被災者への援助に関し十分なノウハウが備わっている。イラン赤新月社は緊急事態に善処したものの、極限の状況ではやはり噂や批判が沸き上がり、不足しているものもある。被災者はとりわけ寒さ(気温は零下にまでなる)に苦しみ、体を洗うための石 鹸などがなかなか手に入らないと不満を募らせている。

1月2日 金曜日
イザベルとベフダッドはバム周辺部を再訪問。被災者たちはこの恐ろしい現実を徐々に理解し始め、取り乱したり落ち込んだりしている。応急処置を受けた被災者は、瓦礫と化した家の前にいつまでもとどまっていることはできないと徐々に納得し始めているものの、今も埋まっている家族の遺体を見つけ出したいという 希望を捨てることができず、当局が設置したキャンプへ行くことを拒んでいる。

被災者の証言

MSFが収集した被災者の証言の一部をそのままの形で以下に紹介する。

「私は仕事のおかげで難を逃れたんです。月曜日から金曜日はケルマン(バムから約180Km北方)で仕事をしています。私はラジオでその恐ろしい知らせを聞きました。家の前に着くと、28体もの遺体が見つかりました。それは私の家族でした。私はひとりで埋葬しました。」

「最初の揺れのことを覚えています。私は妻や両親、子どもたちに外で夜を過ごそうと提案しました。そのとき妻は『神が私たちの死を望んでいるのなら、それも神のご意志でしょう』と答えました。今生きているのは私だけです。」

男性が我々にテントを見せてくれた。男性4人がそのテントで共に暮らしていた。「我々は皆同じ境遇にあるんです。皆、妻と子どもを失った。今後の人生は寂しいものになります。」

「この悲劇に私は強い衝撃を受け、寝込んでしまいました。あのすばらしい城塞は我が国の誇りでした。今や記憶の中にしか存在しないのです。」

ある少女は、テレビで地震が報じられたとき、町から離れた場所に叔母さんと一緒にいた。それで急いでバムに戻ることにした。彼女が両親の家の前に着いたとき、すべてはすでに失われていた。以来少女は何も口にせず、何も言葉を発することもなく一日中ベッドに横たわる人形のようになってしまった。

今後MSFの活動目的は、基礎医療へのアクセスの改善、トラウマ(心的外傷)を負った人々へのケア、そして被災者の住環境の改善に絞られる。


MSFの活動内容(1月4日現在)

  • 医療支援:バラヴァト南部に開設した診療所とバムの多くの地域で医療援助を行っている。診察や看護ケアのほか、助産師が妊産婦検診や婦人科の問題などに対 処している。また巡回診療チームが診療活動をする傍ら住民の需要を調査している。避難キャンプでの医療プログラムも行っている。
  • 心理ケア:トラウマに苦しむ人々へのケア。保健省の協力を得て、4つのテントからなる心理ケアセンターを設置。心理療法士がセンターや巡回診療を通して心理ケアプログラムを進める。
  • 物資援助:高タンパクビスケット、毛布、衛生キット、生理用品の配給のほか、医療用器具などを含む援助物資を保健省に寄付。
  • 衛生環境の整備:バムとバラヴァトにおいてトイレ、シャワーの設置及び修繕。

イラン地震の被災地バムでは、約20人のMSFスタッフが救援活動にあたっている。そのうちの3人が、地震発生以来の日々で経験したこと、感じたことを以下のように語っている。人々は悲しみにうちひしがれるだけでなく、強い結束をもってこの惨事に立ち向かっていることが感じられる。

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