創立40周年記念インタビュー:ロニー・ブローマンが振り返る、国境なき医師団(MSF)の軌跡(その3)

2011年12月20日掲載

ロニー・ブローマンが振り返る、国境なき医師団(MSF)の軌跡(その1)
ロニー・ブローマンが振り返る、国境なき医師団(MSF)の軌跡(その2)

MSFの「独立独歩」の伝統はこうして育まれた

1985年、エチオピアの強制移住問題を告発して国外退去処分を受けた当時のMSFパリ事務所の様子 1985年、エチオピアの強制移住問題を告発して
国外退去処分を受けた当時のMSFパリ事務所の様子

思い返せば、「国境なき自由(Liberté Sans Frontières)」の哲学は新保守主義的で、私たちの発言のすべてが正しいわけではありませんでした。イデオロギーを非難する一方で、私たち自身は真理を語っていると主張していたのです。多くのナンセンスを語りましたが、それも有益なことだったと、いまでも考えています。論争を呼ぶあまり、私たちはだれも頼ることができなくなり、人道援助の世界で親しい他団体もありませんでしたが、それが私たちを強くしました。それが、MSFの独立独歩の伝統の由来です。

当時の論争に加わった人間にとっては、この上なく実りの多い経験でした。「国境なき自由」の長として、そして、MSFフランスの会長として、私はその論争の最前線に立ち、主張と反駁(はんばく)の仕方を学びました。1985年のエチオピアの飢きんと強制移住問題を巡る論争でも渦中におかれました。この一件で私たちは、エチオピアでの事態のように高度に政治的な状況で人道主義の核となる問題群を扱う私たちのやり方を、世間やメディア、そして私たち自身に説明することを、また対外的な声をもつことを促されました。

ロジスティックも強化、想像できなかった成長を遂げる

1986年、ソマリア。MSFのロジスティック能力は格段に進化を遂げていた 1986年、ソマリア。MSFのロジスティック能力は
格段に進化を遂げていた

財務に関しては、改善が見られていました。コンピューターとダイレクトメールが普及し始めた頃で、米国で機能していた資金調達の方法に刺激を受け、MSFが完全に自立できるようなシステムを作り上げました。人道援助の世界では目新しい、非常に強力なロジスティック部門を設置し、現在でも使用している、大きなバンパーとアンテナの付いた特別仕様の四輪駆動車を導入しました。医療・人道援助活動のための特別な研修方法を模索した成果は、MSFの疫学研究部門であるエピセンターに現れています。アメリカ式のEBM(Evidence-Based Medicine: 医学的根拠に基づいた医療)のアプローチを導入し、活動方法の変革と改善を始めました。MSFは、外部から多くのことを取り入れました。たとえば、私たちが緊急対応で使用しているさまざまなキットのコンセプトはオックスファムから借用したものです。

MSFは規模と名声の両面で成長し、かつてだれも想像していなかったほど大きく、成功した団体になりました。1990年までにパリの事務所では、フルタイムの職員が100人になっていました。援助活動と人権という概念が、ごく一般的になり、確かな勢いが生まれ、私たちは人びとから大きな支持を受けました。

そして未来は―変化しつづけるべきもの、変わらないもの

エチオピアの国内避難民キャンプで診察を行うブローマン医師(1985年撮影) エチオピアの国内避難民キャンプで
診察を行うブローマン医師(1985年撮影)

私は社会活動団体というものには寿命があると信じています。永遠に存続する必要はありません。私が見る限り、MSFに迫っている主な脅威は、その組織の大きさです。広く世界に浸透しようと、規模を拡大しつづければ、傲慢になる恐れがあります。後退して規模を縮小しろというのではなく、ただ、MSFが持っている資源の使い道を再検討すべきだろうということです。

MSFが今後さらに40年存続するのであれば、きっと、私たちがいま知っているMSFではなくなっていくでしょう。絶え間ないこの世界の変化に、MSFは適応していかなければなりません。60~70年代に若い日々を過ごした私の世代は、いまの若者とは非常に異なった展望を持っています。しかしそれでも、MSFに参加する人びとの深い部分にある熱意、つまり、人を助けたいという願望は、根本的に変わることはないと確信しています。

関連情報