【世界エイズデー】HIVを乗り越え、いまを生きる。笑顔を取り戻した患者たちのこれまでとこれから

2017年12月01日掲載

お医者さんになりたい。 家族で母子感染プログラムを終えたウィニーちゃん(6歳)

かつて「死にいたる病」と恐れられたエイズ。いまや、適切に対処すれば克服できるようになった。国境なき医師団(MSF)は長年、検査やカウンセリング、教育、予防など包括的な対策に取り組んできた。

例えば、ケニアの首都ナイロビに位置するアフリカ最大級のスラム、キベラ。MSFの活動は1997年から続く。

これはそのキベラ・プロジェクトで回復した人たちの体験談だ。偏見にさらされながら、つらい闘病生活を乗り越えた。いま、みな明るく誇りに満ちた声で、こう話す。「私は大丈夫」

「私には生きる意志があります」

「周囲が働きかけなければ、患者は孤立してしまう」と語るカシムさん
「周囲が働きかけなければ、患者は孤立してしまう」と語るカシムさん

カシムさんは、キベラでMSFのHIV治療を受けた最初の患者だ。一度は、治療を断られたという。免疫状態を表すCD4値が1未満と非常に低く、治療薬が効くのか分からなかったからだ。

「私は訴えました。『違います。信じてください。私には生きる意志があります』と。そして、キベラでHIV治療薬をもらうMSFの患者第1号になりました……」

「診療所には毎日欠かさず歩いて通いました。天気が悪くても、体調が悪くても。治療薬を飲み始めて、人生ががらりと変わりました。タイムキーパーのように時間に厳しくなりました。1日2回、きっちり時間通りに薬を飲まなければならなかったからです。気が沈んで服薬を止めたくなるときもありました。そんなとき、ザイナさんというMSFのカウンセラーが家に来てくれました。治療を続ける勇気をくれたのは、あの人だけです。次女が生まれたとき、彼女にちなんで『ザイナ』と名付けました」

さらにカシムさんは、他の患者仲間と一緒にキベラ初の治療サポート・グループを立ち上げた。「患者を支援するグループに参加したことで、何に対してもやる気がでてきました。『1人ぼっちじゃない』と実感できたからです」

「私をおんぶして診療所に連れて行ってくれたんです」

オケッチさん(左)とフィービさん(右)
オケッチさん(左)とフィービさん(右)

MSFの患者としてHIV治療を受けたオケッチさん。回復後、MSFの衛生担当スタッフとして働き始めた。ある日、若い女性の具合が悪いと聞いて駆けつけると、椅子にもたれかかって動けずにいる女性がいた。フィービさんだった。

MSFの診療所で検査し、HIV、結核髄膜炎、認知症だとわかった。HIVのために免疫系がかなり弱っていたフィービさんの体は麻痺し、起き上がるのも大変だった。「二度と歩けないと思いました。でもオケッチさんは励まし続けてくれた。3年間、私をおんぶして毎週水曜と金曜に理学療法に連れて行ってくれたんです。片道徒歩2時間を超えていたというのに……」。

オケッチさんは振り返る。「大変だったけど、やらなければと感じました。他人事とは思えなかったから」。フィービさんがちゃんと薬を飲んでいるか確認するため、毎日訪問した。理学療法の予約がないときは、一緒に自宅で歩く練習をした。徐々に両脚に力が入るようになると、フィービさんが自力で診療所へ歩いて行けるよう介助した。「初めはごく短い距離しか歩けなかったので、露店のおばさんたちに椅子を借りて休みながら行きました。椅子から椅子へと伝い歩きをしてたどり着いたのです」

オケッチさんはフィービさんの人生も変えた。フィービさんはこう振り返る。

「オケッチさんが『地域のみなさんは、あなたが回復してきているのを見ていますよ。今度はあなたが他の人を助ける番です。健康について教えてみたらどうですか』と言ってくれたんです」

フィービさんは治療を終えると、MSFのスタッフとして若者にHIVについて教え始めた。出産後はメンター・マザーとして母子感染予防に関するカウンセリングを始め、現在、カウンセラーとしてキベラ南病院で働いている。

「ニコ・ポア。私は幸せです」

地元のMSFスタッフと話すカレンさん(左)
地元のMSFスタッフと話すカレンさん(左)

HIV/エイズと多剤耐性結核(MDR-TB)を併発していたカレンさん。2009~2011年、毎日診療所へ通った。治療は1日12錠の薬から始まった。朝に6錠、夜に6錠。それから1日24錠に増えた。

「最初のひと月は、治療ですごく気分が悪かった。痛みもひどかったし、なにも食べられず、薬の副作用で吐き気がしていました。それからちょっとずつ、体が薬に慣れてきて、気分がよくなっていきました」

計画を立てるのはすごく難しかった。田舎の母に会いたくなったら、かなり前に担当医師に伝え、現地の施設で治療を受けられるように電話で予約をとらなければならなかった。治療を投げ出したくなったときもあった。「治療についていけず亡くなったMDR-TB患者も知っています。自分で自分を励ましながら続けました。娘を遺して逝きたくなかったし、娘に感染してほしくもなかった。今は幸せ。ニコ・ポア。仕事もできるし、時間の使い方をまた自分で決められるようになって嬉しい」

カレンさんは両手の親指を立て、満面の笑顔で話してくれた。ニコ・ポアはスワヒリ語でこんな意味だ。「元気だよ」

キベラ・プロジェクトの20年

医療バッグを携えて患者の訪問に出かけるカウンセラーのザイナ(左) 医療バッグを携えて患者の訪問に出かけるカウンセラーのザイナ(左)

MSFがキベラでのプロジェクトを始めた1997年当時、HIV感染は"死刑宣告"に等しかった。薬は高額で治療を受けられない。人びとはウイルス感染にまつわる知識がなく、デマが広がった。HIV感染者は社会から締め出された。

MSFは地域住民と連携し、HIV治療とともに結核などの重複感染も治療している。また、治療薬が患者に広く行きわたるよう呼びかけてきた。MSFのカウンセラーは、活動初期を振り返ってこう話す。「偏見があまりにも強かったため、治療しようにも患者に面会すること自体が困難でした。そこで、MSFチームは在宅ケアを提案したのです。多くの患者さんは肉親にも見捨てられ、下痢まみれで不衛生な環境で生活していることもありました。体を洗ってお風呂に入れ、カウンセリングを始める前にさっぱりさせてあげていました」

キベラ内3ヵ所に診療所を置く キベラ内3ヵ所に診療所を置く

2003年以降ジェネリック薬(後発医薬品)がケニアでも市販されるようになり、最初のHIV診療所が開院。MSFは診療内容を広げ、HIVと結核に加えて、予防接種、基礎医療、栄養失調、多剤耐性結核(MDR-TB)、高血圧や糖尿病などの非感染性慢性疾患(NCD)などを治療した。

現在この地域の状況は安定しており、対応能力も上がった。MSFが取り組んできた診療を真に持続可能なものにしていくために、MSFは年内にこのプロジェクトをナイロビ郡保健局へ移譲する。

20年間、MSFと地域は密接に寄り添い、豊かな関係を育んできた。時には、MSFスタッフがメンターになり、時には地域の人びとが活動の舵取りをして、ともに診療の方向性を決めてきた。

MSFのプロジェクトが終了しても、これまでに出会った人たちを通して活動は受け継がれる。健康を最優先し、患者を分け隔てなく治療し、励ますMSFの精神はこれからもこの地で続いていく。

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