アフガニスタン:病院爆撃の記憶――理想と現実の間で

2016年04月08日掲載

アフガニスタン・クンドゥーズ州で、国境なき医師団(MSF)が運営していた外傷センターが爆撃され、42人が殺害された2015年10月3日から半年以上が過ぎました。外傷センターは現在も閉鎖されたまま。地域で唯一の機能を持っていた病院を破壊され、大勢の住民が医療を受けられない状況が続いています。

本記事では、爆撃を受けた患者やスタッフの証言や、現地で活動している日本人スタッフの寄稿などを収録しています。医療施設への攻撃は収まるどころか、むしろ激しさを増しています。私たちの証言を1人でも多くの方に伝えることで、この暴挙への抑止力となることを願っています。

病院爆撃の現場を歩く

2015年10月3日未明、米国による"精密な"爆撃が何度も繰り返され、外傷センターの主要施設が破壊されました。攻撃中止の要請もむなしく、患者24人、付き添い4人、MSFスタッフ14人の計42人が命を奪われたのです。負傷者も数十人に上りました。

「何もかも変わってしまった」――爆撃を生き延びた家族の証言

外傷センターは2011年に開設し、無償で質の高い外科処置を提供していました。患者は主に、交通事故などの一般外傷や紛争による負傷でした。アフガニスタンの北東部一帯にはこの種の医療施設がほかになく、クンドゥーズ州のみならず、近隣州からも来院していました。

外傷センターは病院としての機能を全面的に果たしており、国際人道法に基づく保護対象でした。爆撃は被害者、その家族、MSFスタッフ、そして地域社会全体に壊滅的な打撃を与えたのです。

紛争地での活動――理想と現実の間で

MSF日本からアフガニスタンに派遣し、2015年12月からプロジェクト・コーディネーターとして活動する井田覚が、外傷センター爆撃の真実、再開の可能性、そしてMSFの活動のあり方について寄稿しました。

無秩序な時代に国際人道法と人道的精神を守るということ――井田覚(プロジェクト・コーディネーター)

2015年10月3日は、国境なき医師団(MSF)の45年に渡る歴史の中でも最も暗たんたる日として、永遠に記憶に残るでしょう。1時間にも及ぶ、米軍の爆撃は42人の命を奪い、女性や子どもも容赦なく殺されました。センターは今も閉鎖されたままです。

止まぬ攻撃、明かされぬ真実

私は米国およびアフガニスタン、それぞれの政府と軍から安全の保証を得るべく懸命に交渉を行いましたが、懸案は山積みです。両政府も北大西洋条約機構(NATO)も内部調査を全面公開しません。

2016年2月には、外国軍の後援を受けるアフガニスタン治安部隊が、NGOの支援する診療所から患者2人と15歳の付き添い人1人を連行し、処刑。この加害行為は免責され、国連からいっそう非難を浴びました。

米国とアフガニスタン政府は、国際人道法ではなく国内の反テロ法にのっとった作戦行動を治安部隊に認めていると主張。国際人道法侵害の有無についての第三者的調査には、当事者の同意が求められます。そのため、イエメンとシリアのMSF支援先医療施設に対する昨今の一連の攻撃についても調査は望めなさそうです。私たちが真実を知ることはないでしょう。

活動再開を待つ現地の人びと

クンドゥーズの人びとは、外傷センターの再開を望み、強く求めています。私が出会ったクンドゥーズ州知事、イスラム教師、長老、代表者は皆、MSFにそう訴えてきました。署名活動も自発的に始まりました。MSFは現地で対処されていない外傷治療のニーズを把握しており、終わりの見えない紛争の被害者に対する援助を望んでいます。

ただ、活動地の現実から目を背けることもできません。軍は軍事目標を前に、ルールをねじ曲げたり、抜け穴を見つけたりしようとします。国際人道法には理想が記されていますが、今日では1枚の紙切れでしかなく、人道援助従事者を銃弾から守ってはくれません。そのリスクを注意深く測りつつ、MSFは紛争被害者への奉仕という使命達成の道を模索する必要があります。

その一方で、米国、ロシア、サウジアラビア、そして安全保障関連法を施行した日本など、各国の政府が国際人道法の原則に立ち返り、政策と国益にとどまらない責任を果たすべきではないでしょうか。無秩序なこの時代において、人道的な精神を守るために。

忘れられない夜、眼差し、そして言葉――爆撃の記憶

エヴァンジェリン・クワ医師はフィリピン出身の外科医です。アフガニスタン・クンドゥーズ州にある国境なき医師団(MSF)の外傷センターが米軍に破壊された2015年10月3日、この病院で活動していました。患者・スタッフが合計42人殺害され、数十人が負傷したあの夜。クワ医師が目撃した事実を綴りました。

  • この記事には紛争被害の過酷な実態を描写した内容が含まれています。
  • 「目が覚めると泣いていた」閉じる


    また夜が来た。

    ――頭を切り落とされた2羽の鶏のように、あてもなく真っ暗闇の中を走り回っている。1人は私、もう1人は助手を務めていた外科医。今の今まで一緒にいた看護師たちが建物の外に走り出て……

    上空から一斉射撃を浴びる危険にさらされる。ほこりが渦巻き、息が詰まりそうだ。マスクに覆われた口の中は砂を押し込められたようにジャリジャリとしている。自分でも耳障りなほど荒い呼吸だ。あちこちから煙が立ち上って自分たちのいる場所もよく見えない。

    炎が建物をなめるように広がり、揺らぎ、火花を散らし、庭の木の枝を飲み込もうとしている。集中治療室が燃えている。上空では飛行音が間断なく響いている。何かの存在を示している。飛行機?空爆?この病院を?私たちが?なぜ?

    突然、耳をつんざくような巨大な爆発で建物が揺れる。天井が崩れ、照明が消え、完全な闇に包まれる。ワイヤーで床に突き刺されて、恐怖で悲鳴を挙げる――

    目が覚めると泣いていた。
    自分がどこにいるかも分からなかった。

  • 「老人に伝えた声は、乱れていただろう」開く


    アフガニスタンから帰国して何ヵ月も経った。消えかかっている右ひざの傷跡と同じく、外傷センターで起きたすさまじい爆撃の記憶は徐々に薄らいでいた。帰還報告、精神科の受診、瞑想、日記療法、あの夜の記憶という重荷を下ろしていく……。その作業の積み重ねが、花火を目にした途端、吹っ飛んでしまう。その夜、また悪夢が押し寄せる。

    ――本来なら残り2週間で、少し拍子抜けするほど静かだった派遣期間が終わるはずだった。当時、政府軍と反政府勢力間の激しい戦闘の結果、突然、クンドゥーズは全ての地獄から解き放たれていたのだ。14年ぶりにタリバンがこの地を掌握し、戦闘が終息しつつある意味において。

    外傷センターで、時間を意識することもなかった。壁時計だけが、もう午後遅い時間であると示していた。遠くで弾幕射撃と爆発の音が続いている。その日、6件目の手術を終え、洗浄エリアでゆっくりと両手を拭いていた。

    切迫した声がした。「先生、救急救命室に来てください。手術の優先順位の判断が必要です」

    「今?」
    「はい、今です」

    救急救命室には少なくとも12人が、床に寝かされていた。さらに多くの患者が、待合ロビーの両側に停められたストレッチャーに寝かされている。女性たちの民族衣装は血で汚れている。1人は妊婦、もう1人は放心状態で天井を見つめている。そのそばの男性の服も血に染まり、ぼろぼろに破れている。小さな男の子がうめき声をあげる。坊やの足があるはずの場所には血だまりができていた。

    ふいに呼び止められた。口から頬までひげをたくわえ、優しい目をした老人。腕をつかもうとしている。アフガニスタンの文化では珍しいことだ。たどたどしい英語で話しかけてくる。

    「先生、お願いです。息子がそこにいるんです。診てやっていただけないでしょうか。いい子なんです、先生。末っ子なんです」

    必死の口調で、でも堂々と、物事を頼むときのかすかな笑みを浮かべることも忘れずに。息子は壁際のストレッチャーに寝かされているという。近づいた瞬間、声を上げそうになってどうにかこらえた。胸がぱっくりと割れていて、肺の一部が見えている。眼はすでに虚ろで、脈は測れない。何でもいい、何か、何かしよう。彼の腕につながっている点滴の器具を調節する。胸部を布でそっと覆う。「私は次の患者さんのもとへ向かいますが、看護師があとを引き継ぎます」――

    老人に伝えた声は、乱れていただろう。老人から向けられた感謝の眼差し。息子の命を少しでも延ばしてくれたとの思いがこもっているようで。事あるごとに浮かんでくるあの眼差し。

  • 「それでもこの紛争を続けるのか、答えてみろ!」開く


    また夜が来た。

    ――耳をつんざく音。降り注ぐ板。あちこちからの悲鳴。私の悲鳴。床に打ちつけられる。

    「起きろ!こっちだ!」

    身体が激しく痛む。ゆっくり立ち上がり、闇の中で目を凝らす。斜めの屋根が見える。地下室だ!

    2人で走って穴に飛び込んだ……違う。地下室じゃない。地下室の排気装置の中だ。壁は厚いセメント。地下約2m。でも、天井は薄い屋根板1枚だけ。行き止まり。本当の地下室はこの壁の向こう側だ!

    頭上の窓の中からも外からも炎が噴き出している。彼がためらうことなく壁をよじ登り、屋外へと消えていく。暗闇に残され……1人きりだ。

    パニックだ。腹が立つ。誰でもいい、殴りたい。愚かな紛争、当事者が憎い。外傷センターに運び込まれるおびただしい数の患者たちを見せてやりたい。自分の家族だったらと考えてみろ!と言いたい。それでもこの紛争を続けるのか、答えてみろ!と。

    怖い。生きたまま焼かれるのか。涙が止まらない。あらゆる負の感情がこみ上げてくる。

    突然、正気に戻る。外科医の私に。壁の右隅から鉄片が突き出ている。握ると熱いがかまわない。穴からはい出し、一息ついた先に、闇に消えた彼が大の字になっている。バラ園近くの地面に伏せ、こちらを見てにやりと笑って。

    一斉射撃の音が止んだ隙に、ほふく前進で建物へ向かう。数mの距離を半分ほど進んだとき、人の気配。怖い!炎から逃げ出したと思ったら拉致か!勘弁して、頼むから……。

    アフガニスタンの伝統衣装を着た男性が言う。
    「ついて来なさい、こっちが安全だ」――

    この男性の言葉を、一生、忘れることはないだろう。

繰り返される医療施設への攻撃

国際人道法の順守を!医療施設の保護を!――すべての紛争当事者に繰り返し訴え続けるMSFの活動地で、現在も、医療を標的とした攻撃や、民間人居住地への無差別攻撃が繰り返されています。2016年3月、MSFが伝えただけでも下記の被害を受けました。

シリア国内で、MSFが運営・支援している医療施設を通じて行った調査からは、意図的に医療を攻撃対象としている実態が浮かび上がってきます。

「"手違い"ではすまされない」と訴える特集記事を掲載してからわずかの期間に、事態はさらに悪化したと言わざるをえません。

アフガニスタンの外傷センターを再開するためには

爆撃される以前の外傷センター 事故で足に重傷を負った息子を看病する父親 爆撃される以前の外傷センター
事故で足に重傷を負った息子を看病する父親

MSFは現時点で、外傷センターを再開するかどうかについて何も決めていません。それは、第1に、紛争のすべての当事者が患者、スタッフ、医療施設を攻撃対象としないと確約するべきだと考えているからです。クンドゥーズをはじめとするアフガニスタン国内のいずれの地域でも、MSFの任務を全面的に尊重することが明らかにされなくては、再開の議論には入れません。

MSFが憲章に掲げている中立・独立・公平の原則と国際人道法に則り、人物や所属陣営の別なく、治療が必要な全ての患者を安全に治療できる確信を持てること。アフガニスタンをはじめとする世界の紛争地で、MSFが医療施設を運営できるかどうかは、この根本原則の再確認にかかっています。

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