傷が伝える住民の暮らし―封鎖のガザに募る不条理な思い

2018年03月13日掲載

海岸で海を見つめるガザ市民
海岸で海を見つめるガザ市民

封鎖――。パレスチナのガザといえば、何よりもまずこの言葉だ。土地は南北に42kmの細長い帯状で、幅は最も広いところで12.5km。北端から南端まで走っても車で1時間半しかかからない。西側は海岸、東側は「安全柵」という名で網目状のフェンスに有刺鉄線がつけられている。北は、高さ数メートルの壁が境界線を越えて来ようとする者を阻んでいる。壁は地下にもう1つ建設中で、ここに200万人近くが暮らしている。

国境なき医師団(MSF)は1989年からパレスチナで活動している。2000年に入ると、ガザ地区の人びとのニーズに応じて援助を軌道修正し、現在は3つのMSF診療所で、やけどや外傷を負った約5000人に手術後のケアを提供している。傷の保護や理学療法、機能回復など、医療活動をする中で、患者の傷、そして語る言葉に、ガザの日常を垣間見ている。

普通の人のように移動もできない

ガザ北部、イスラエルとの境界線に敷かれたトンネル
ガザ北部、イスラエルとの境界線に敷かれたトンネル

住民の多くはガザを出たことが一度もない。政党組織「ハマス」がパレスチナ立法評議会選で勝利し、2007年に封鎖が課されると、人びとは外へ出られなくなった。「私がガザを離れたのはこれまでに一度だけ。エジプトで手術を受けるためで、8歳の時のことです。何も覚えていません」。そう話すハサンさん(22歳)は、12月、境界線付近で銃撃された。

イスラエルは現在もガザからの出入りを極端に制限しており、2016年から2017年の間に許可の発行数は半減した。国連人道問題調整事務所 (OCHA)によると、2017年の上半期に出入りが認められたのは1日平均わずか240人で、商取引、教育、医療などの理由のほか、国際組織の一員としての通過だった。それ以外の往来はまず認められない。「他の普通の人たちのように移動する権利が、私たちにはありません。でも私たちだって人間です」ハサンさんは訴える。

MSFが2010年に再建手術プログラムを始めたのも、この移動制限によってもたらされた医療不足に取り組むためだ。他の国から集まった外科医と麻酔科医がパレスチナ人看護チームを補佐し、本来ガザでは望めない複雑な手術を執刀している。

1日数時間しか電力が使えず

ガザの人びとの日常的な困難をよく表しているのが、電力だ。昨年春、パレスチナ政府とハマスとの内輪もめで、状況はいっそう悪化した。ガザ住民は数ヵ月にわたって、24時間ごとに2~3時間、しかも大抵は暗い時間帯にしか電力を使えなかった。

ガザのMSF診療所で順番を待つ女性たち
ガザのMSF診療所で順番を待つ女性たち

この間、患者の妻たちは夜中に起きて料理をし、洗濯機を回していたという。ある患者は「うちの奥さんはスーパーウーマンですよ!」と感嘆した。ガザのプロジェクトでMSF医療顧問を務めるアブー・アベドは「うちの子どもたちも不要な選択を迫られていました。この2時間を携帯電話の充電に使おうか、アニメを見ようか、それとも、ジュースを冷蔵庫で冷やそうか、と……」。夏にはガザの気温は30℃を優に超え、食べ物の冷蔵さえできなくなってしまう。

現在、状況は少し改善されたものの、人びとはまだ、1日に長くても4~6時間ほどの電力供給で生活していかなくてはならない。

ある女性は、1歳2ヵ月の孫ウサイドちゃんが両手のやけどで病院に運び込まれた。「電力があるうちに、全て済ませようとします。そうやって急ぐので、子どもたちが危ない目に遭いやすくなります」と語る。MSF診療所の患者の35%は5歳未満児で、60%が15歳に満たない。

両手にやけどを負ったウサイドちゃんは、MSFで治療し2ヵ月後に退院した
両手にやけどを負ったウサイドちゃんは、MSFで治療し2ヵ月後に退院した

悪くなっていくガザの生活

ガザの住民は、隔絶された暮らしに順応し、現状を受け入れるしかない。だが何年も前から、ガザの生活条件はゆっくりと悪化の一途をたどり続けている。2014年のイスラエルによるガザ侵攻で押しつぶされた建物は、国際援助のおかげでほぼ全てが再建されたように見える。しかし現実は、人口の半数近くが食糧難で、あの手この手でやりくりせざるを得ない。家族のきずなが、順応と忍耐のための1つの礎となっている。

ガザの海岸沿いの通り
ガザの海岸沿いの通り

MSF診療所の患者、アブドゥル・ラヒムさん(30歳)は話す。「食べ物を買うお金が足りないときは、周りの人に頼みます。時々、義理の母が15シェケル(約460円)貸してくれて、申し訳なく思います。義母は、私たちは家族で、私も実の息子同然なのだから、支え合わなくてはいけないと言ってくれます」

海岸に沈む夕陽
海岸に沈む夕陽

清潔な水を手に入れることも、ガザ住民にとっては大きな問題だ。地下水の95%以上は人が使用するのに適しておらず、水道水は塩分が多過ぎる。民間の会社に水を届けてもらうこともできるが、これは解決策の1つに過ぎない。

使用後の水の排出と処理のシステムも、稼動しているとは言えない。汚水はパイプで海に捨てられるため、海水浴ができなくなってしまった。この環境汚染と、イスラエルが施行した漁業規制で、ガザ住民の生活の糧になり得るはずの海に人為的に制限が課されている。

それでも、ガザの暮らしは続く。多くの家族が小さな家に住み、食事で楽しいひと時を共に過ごす。中にはストーブや、たき火で料理をしたりお茶を入れたりする人もいる。こうした状況での家庭内事故で、重度のやけどを負った患者がMSF診療所へ運ばれてくる。原因の3分の2は、沸騰した液体だ。

熱したお茶でやけどを負ったシャヘドちゃん
熱したお茶でやけどを負ったシャヘドちゃん

そんな事故が、1歳3ヵ月のシャヘドちゃんの身にも起きた。家族の集まりの時、火にかけて熱したヤカンの中身を丸ごとかぶってしまったのだ。「娘がこんな目に遭って、かわいそうでなりません。あれ以来、我が家ではお茶を入れていません」。母親はそう語る。

また、6歳半の女の子アスマちゃんは、父親が自身の体を洗うために沸かしていたなべのお湯がかかってしまった。他にも、電力不足を補うために使った発電機の爆発や、火に直接触れてしまったことによるやけども多い。

アスマちゃんは手にやけどを負いMSFで診療を受けた
アスマちゃんは手にやけどを負いMSFで診療を受けた

「何かを得ても、全て失う」

イスラエルが人と物に課した移動制限は、ガザの経済を妨げている。建築資材は境界線で差し止められ、一部の医療機器も、悪用される可能性があるとして止められる。OCHAによると、2017年9~12月の失業率は46.6%で、若年層では64.9%だった。

境界線で足を撃たれたハサンさん
境界線で足を撃たれたハサンさん

境界線で銃撃を受けたハサンさんは会計学専攻の4年生だ。 「教育を受けており、無能ではありません。学位や資格も取得していますが、行き着くところは無職です。仕事がなければ、ろくに生活もできません」と語る。

アブデル・ラヒムさん(30歳)は、米大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認識していることに反発し、境界線付近でデモに加わった際に片手と片脚を銃撃された。以前は建設現場で働いていたが、今は体が動かない。週に3回、担架でMSF診療所に運ばれてくる。「1ヵ月間仕事があっても、その後の3ヵ月間は全くなかったりします。仕事のない月は銅の市場に通いました。20シェケル(約620円)分を買って、25シェケル(約770円)で売れないかと思って……。ただ、調理用ガスもボンベ1つが60から70シェケル(約1850~2160円)するんです」

ガザの若者は仕事に就くのも難しい
ガザの若者は仕事に就くのも難しい

2007年に、ハマスとパレスチナ政府の中核政党「ファタハ」という2つの勢力の支持者が衝突して以降、イスラエルからは2008~2009年、2012年、2014年と3回の攻勢をかけられ、10年に及ぶ封鎖で人びとは拠りどころを見失い、若者はガザ地区の未来をなかなか信じられずにいる。

MSF診療所で出会ったモハメド・ムバラクさんとファリスさん
MSF診療所で出会ったモハメド・ムバラクさんとファリスさん

多くの若者が臨時の仕事で生活し、無職の時も多い。「漁業も塗装業もやりました。建設作業と飲食店も。けがをしてからは働いていません。これまで7つの職に就きましたが、どの仕事でも運に恵まれませんでした」。そう話すモハメド・ムバラクさんは、2017年6月、パレスチナの旗を握りイスラエルとの境界沿いで抗議活動に参加している時に撃たれた。数週間の差で同じ目に遭ったファリスさんと、MSF診療所で知り合い、意気投合した。「ここでは何かを得ても、結局全て失うことになります」

危険な抗議活動は、気持ちを表す唯一の方法

20代中心の若い男性たちは、同じ思いを広く共有している。たびたびイスラエルとの境界線に赴き、重傷や死の危険まで冒しながら、怒りと不条理な思いをあらわにする若者たちだ。2017年12月以降は、ガザの行政当局が呼び掛けたデモに多くの若者が参加し、エルサレムはイスラエルの首都、という米大統領の認定に抗議している。

ガザにあるMSFの診療所では2017年11月に19人の負傷患者を受け入れたが、12月には162人、2018年1月には200人弱と急増した。けがの大半は腰より下の部分への銃撃が原因だ。

境界付近でイスラエル兵に撃たれたモハメド・ハッサンさん
境界付近でイスラエル兵に撃たれたモハメド・ハッサンさん

モハメド・ハッサンさんは、若い世代が暴力に囲まれて育った、と語る。「弾丸で引き裂かれたこの脚を見ても、気を失ったりしませんでした。私たちはそういうものに慣れているんです。戦争もありましたし、友達が傷つけられるところも目にしていますから」

銃撃され治療を受けるムスタファさん
銃撃され治療を受けるムスタファさん

若者の間では、失うものは何もないという空気がまん延している。アブデル・ラヒムさんが言う。「自分たちが存在している、ということを、自分自身が忘れてはなりません。他に誰が気づいてくれるでしょうか?」。同じく抗議活動中に撃たれたムスタファさんが言い添える。「それが私たちの気持ちを、そしてガザの気持ちを表す唯一の方法なんです。他に何ができるでしょう?」

彼らにとっては、ハマスとパレスチナ政府の融和や、政治的指導者、国際社会の働きかけも意味をなさない。「皆、自らの利益を追い求めているだけです」。ハサンさんが言い放つ。「ガザに希望はあるのか?」その問いに、ハサンさんが返したのは他の大勢のガザ住民と同じ一言だった。

「インシャラー(神の思し召し次第です)」

抗議活動中にイスラエル兵に撃たれた若者たち
抗議活動中にイスラエル兵に撃たれた若者たち

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