写真で振り返る国境なき医師団の活動――2015年

2015年12月31日掲載

国境なき医師団(MSF)は2015年も、世界各地の紛争地、自然災害の被災地、難民キャンプなど過酷な環境下で医療を受けられずに苦しんでいる人びとに手を差し伸べる活動を続けてきました。

エボラ出血熱への対応が続く一方、中東では武装勢力の拡大に伴って各地で紛争が激化。多くの人びとが傷つき、自宅を離れて難民・国内避難民となる人びとが相次ぎました。アフガニスタンのMSF外傷センター爆撃で患者・スタッフ42人が殺害される悲劇にも直面しました。

それでもMSFは、助けを必要としている人びとがいる限り、無償での医療・人道援助を提供し続けます。


このつらい生活から逃れられるなら……。15歳になったファティマは、家族にも告げずに家を出た。ソマリアから欧州へ、安心して暮らせるならどこの国でもかまわない。



終わりの見えない紛争、極度の貧困……人びとはやむにやまれず祖国を離れる。身動きが取れないほどゴムボートに詰め込まれ、闇にまぎれて出航する。命がけだということはわかっている。それでも……。



2015年10月3日未明、アフガニスタンのMSF外傷センターが米軍に爆撃された。 患者・スタッフ42人が暴挙の犠牲になったことを私たちは決して忘れない。米国はいまだに第三者による調査に同意していない。



アフガニスタンのMSF外傷センターでは、高度な外科治療や理学療法などを提供していた。紛争激化で病棟は患者で埋めつくされ、スタッフは24時間体制で対応にあたっていた。そこへ爆弾が降り注いだ。MSFは直ちに中止を要請したが、それでも爆弾は降り注いだ。



人工呼吸器をつけ、懸命の緊急救命措置が続く。シリア国内でMSFが支援する病院に運び込まれた赤ちゃん。塩素ガスの被害を受けたとみられている。



大勢のシリア人が逃れてきているレバノンのベッカー高原。内戦が始まって5度目の冬に突入した。夏は40度を超える酷暑地域だが、冬は凍えるような寒さが続く。



父親のひざの上でぐったりとする重傷の息子。イエメンの2015年3月に起きた武力衝突が全国に拡大、連合軍の空爆も始まった。以前から医療体制が弱いこの国で、人びとは過酷な現実に直面している。



爆弾がアパートに命中したあとの大穴を見上げるガリーナさん。第2次世界大戦、冷戦、旧ソ連の崩壊とさまざまな困難をくぐり抜けてきた。86歳を迎えた2015年、またしてもウクライナ紛争に巻き込まれることになろうとは……。



報道されることがめっきり少なくなってしまったエボラ出血熱。MSFはいまもスタッフを派遣し、即応体制を取っている。地元の多くの医療従事者が犠牲となり、エボラ以外の病気・けがへの対応も課題だ。



大喜びのベンツ・サンディはMSFのエボラ治療センターの心理カウンセラーだ。彼女が担当していた患者が回復し、退院できることが決まったのだ。元患者でもあるベンツ・サンディだからこそ、そのうれしさが人一倍よくわかる。



嫁ぎ先の兄弟たちに運ばれてMSF病院に到着した南スーダンのアレクさん。前夜に突然、頭痛と全身の痛みを訴え、薬草を飲ませてみたが効き目がない。そのうち嘔吐(おうと)が始まった。診断結果はマラリアだった。



コンゴ民主共和国・北キブ州では2015年初、前例がないほどマラリアが大流行した。最初に犠牲になるのはいつも、免疫力も体力も弱い子どもたちだ。MSFが支援している病院にも、患者が相次いで運ばれてきた。



カラアザール。病名さえもあまり知られていない"顧みられない病気"の1つだ。ルアイ・プオト・マロウさん(56歳)が妻と親類に支えられて歩いていく。 南スーダンの紛争地、ラカインのMSF病院に、5時間がかりで運ばれてきた。



ネパール大地震では、MSFは発生翌日には被災地に入った。援助が届いていない山岳地帯の孤立集落を重点的にまわり、診療や患者の移送を行った。その活動中、スタッフ3名が亡くなる痛ましい事故があったことも心に刻み込まれている。



暗く哀しい目をしたムスタファ君はまだ11歳、日本なら小学生5~6年生だ。パレスチナの一角で、親族21人と仮設小屋に住んでいる。 数学と理科とアラビア語が得意な彼の未来は、高くそびえる灰色の塀に囲まれている。

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