2002年、10の語られなかった人道的危機

2003年01月14日掲載

アンゴラ ~戦争の終結、明らかになった食糧危機

4月の停戦で27年に及ぶ激しい内戦は終結したが、アンゴラの人々の極度の苦しみはまだ終わりをむかえていない。和平により、この10年間のアフリカにおける食糧危機のなかでも最悪の部類に属する危機の姿が明らかになった。停戦以前にはアクセスすることができなかった地域から食糧と援助を求めてやってきた人々を待ち受けていたのは、彼らの窮状にはおよそ興味を示さない政府と、国際社会からの緩慢で効果をもたらさない反応であった。何年ものあいだUNITA(反政府勢力)、政府勢力双方から振われた暴力(強制移住、強姦、略式の刑執行など)をかろうじて生き延びた住民は今、この途方もない人災のなかで生じた病気と飢えで死にかけている。たとえば政府が支配していたシピンドでは、昨年前半でおよそ18,000人の住民のうち4,000人近くが死亡したと地域の長老は語る。マレンゲにあるMSFの集中栄養治療センターで5月に行われた調査によれば、それまでの4ヶ月間で10人中6人の母親が飢えのために子どもを失っている。2002年末までに食糧事情は多少改善したが、400万人にのぼる避難民、破壊されたインフラ、何百万もの地雷が埋められた国土(昨12月にはMSFスタッフ4人を含む人道援助団体職員と患者の計7人が地雷による事故で命を落とした)、不十分な地雷除去活動、政府の非妥協的態度などから、アンゴラの人々の苦闘はまだまだ終わっていない。

コロンビア ~激化する暴力に苦しむ住民

政府と反政府勢力コロンビア革命軍(FARC)のあいだの和平交渉が破綻し、2002年、コロンビアの紛争は著しく激化した。貧困の蔓延、公共サービスの機能低下に追い討ちをかけるように、この戦争は都市部でも農村部でも人々の生活を脅かしている。国土全体で毎年25,000人が殺害され、さらに3,000人が誘拐されている。1985年以来推定200万人が、農村地域で増加する暴力を逃れて都市中心部に流れ込んできている(その半数は過去2年間で流入した)。農村に残った人々は極度に孤立した状態に置かれているが、その孤立度は年々厳しくなっている。農村部の保健施設は放置され、医療サービスが受けられる機会が減少し、多くの住民は移動にともなう危険を承知で診療を受けるために農村を離れる。結果としてはしかのような予防可能な病気がぶり返し、マラリアの流行も記録されている。右翼の準軍事組織、左翼の反政府主義者、そして政府軍の対立がより根深くなったため、市民をとりまく環境は今後下降線の一途をたどるだろう。

コンゴ民主共和国 ~戦争と保健の欠如

和平交渉、そしていくつかの外国軍隊の撤退にもかかわらず、コンゴ民主共和国では戦争による大混乱が続いている。その影響は停戦ライン付近と東部でとりわけ激しく、東部では4人に1人の子どもは5才になる前に命を落としている。生き残った者に対しても、戦争は冷酷に犠牲を強いる。約250万の人々が家を追い出され、各地の住民たちは何年ものあいだ殺害、誘拐、強盗といった無差別に振われる暴力にさらされてきた。脳脊髄膜炎、はしか、マラリア、そして結核によって毎年何万人もの命が失われた。北キブ地方では栄養障害の水準が危機的な域に達した。カタンガ州では2001年9月以来コレラが流行し2万5千人が感染した。荒れ果てたインフラでは急増する医療ニーズに応えることはできない。この国の各所で病院の多くがすでに機能しなくなっており、人口数万人につき医師が1人~2人しかいない地区もある。

リベリア ~内戦による何十万もの避難民

テイラー政権の軍と「和解と民主のためのリベリア人連合」(LURD)のあいだでの激しい内戦が北部のロファ地方で2002年を通じて続いた。戦闘によりこれまでに25万もの人々がギニア、シエラレオネ、コートジボワールなどの近隣国への避難を余儀なくされた。2002年だけで9万人の難民が生じている。また少なくとも8万人が国内の避難民キャンプで生活しており、戦闘が続くロファ地方に今も足留めされている人の数は何人とも知れない。多くの人々がLURDや政府軍の手に落ちて苦しみ、過去10年間に住み慣れた土地から何度も引き離されている。しかしLURDも政府軍もともに国際人道法を侵しているにもかかわらず、国際社会の無関心を盾に実質的に責任を免れている。難民や避難民らはロファ地方全土で続く強奪、強姦、強制徴兵、強制労働、戦闘地域への強制帰還、むち打ちの刑、投獄などについて語ってきた。彼らは農村地域、とりわけ治安が悪くて人道援助団体が入れない地、ロファ地方で必死に生き残ろうとしている。首都モンロビアの多くの建物は90年代初期の内戦で破壊され、今も廃虚のままになっている。公立病院や保健行政は国際的支援を受けているものを除き長らく機能していない。また飲料水が極端に不足している。国家予算の大部分が住民の生活環境の向上のためではなく紛争に充てられている限りは状況の好転はないといえるだろう。

ソマリア ~戦争、疾病、餓え、そして医療の欠如により上昇する死亡率

12年間ほぼ絶えまなく続く紛争でソマリアの住民は負傷、病気、移住、餓えにさらされて疲弊している。何百万の地雷をはじめとして戦争による死傷者は、過去10年間一貫して多数生じてきた。MSFはガルカイヨ病院だけでも毎月約500人の戦争による負傷者を診ている。コレラ、結核、マラリア、カラアザールなどの感染症の流行に加えて食糧が常時不足しているため、国連によれば4分の1近くの子どもが5歳を迎える前に死亡し、平均寿命も46歳という低さに留まっている。莫大な需要を抱える公共保健システムはぐらつき、訓練を受けたスタッフ、医薬品、機器の不足も深刻である。資格のある医師は国民100万人あたり15人未満しかおらず、既存の保健設備で何十万もの患者を診ているとMSFは考えている。常に治安が悪いためおよそ200万人が国内で移住し、44,000人は近隣諸国への避難を余儀なくされた。人道援助団体や保健施設への攻撃、人道援助団体が支援を必要としている人々のもとへ行く権利を戦闘当事者はほぼ認めていないこと、国際社会からの関心の低下と援助の政治化が重なり、もっとも脆弱な人々が支援を受けることなく取り残されている。たとえば2002年10月、Middle Shabelle地方のAden YabalにあるMSFの診療所で、銃で武装した男たちが患者と見舞い客に対して発砲し、1人を殺害、3人を負傷させたため、このプログラムは中断された。

スーダン ~暴力、健康、援助へのアクセス

スーダン政府と同国南部の大部分を支配している反政府勢力とのあいだでの和平交渉が、「有意義な発展と進歩」へとつながる「正義、公正、民主、そして自由に基づき持続する平和」を推進したにもかかわらず、西アッパーナイル地方の住民はその対極を生きてきた。彼らは継続的な暴力とそれにともなう生活全般、つまり社会基盤であるシステムやインフラの悪化を経験してきた。過去数年間でさまざまな要因から住民の移動が生じた。民族性を基盤にした民兵組織からなる不安定な同盟勢力と政府軍との戦いが激化し、不毛になった地方の住民たちは、わずかとはいえ所有する家財を焼かれたり強奪されることになろうとも逃げなければならなかった。さらにひどいことにスーダン政府は、軍用機を繰り返し使って外資系石油会社のために建設中の道路の先に住む住民たちを爆撃し、何千もの人々が移動させられたり殺されたりした。最近では暴力は収束したが栄養障害と疾病がそれにとって代わった。強制移住により、食糧不足と医療へのアクセスの欠如という悪循環が生じただけでなく、カラアザール、マラリア、眠り病など適切な治療が受けられなければ死に至る感染症も増加した。

チェチェン ~戦争から逃れる住民に対して高まる圧力

2002年を通じて、継続する暴力と治安の悪化によりチェチェン住民の安全は脅かされ、もっとも援助を必要としている人々に対する支援も妨げられた。当局はこの春以来おびただしい回数にわたって、とりわけ隣国のイングーシ共和国に居住するチェチェン人避難民に対し、戦闘が続き公共サービスの不備のために日常生活もままならないチェチェンに帰還するよう圧力をかけてきた。7月にはチェチェン北部のズナーメンスコエでおよそ2,200人が居住していたキャンプが閉鎖されたが、そのために組織的な嫌がらせと強制が行われ、住民には移住する以外の選択肢は残されなかった。この地域で活動するMSFを含む国際人道援助団体は、難民・避難民のチェチェンへの強制帰還を非難した。それにもかかわらず12月にはロシア南部Aki Yurtに近いキャンプが閉鎖され1,700人の住民が追い出された。当局は2002年末までにコーカサスにあるすべてのチェチェン難民キャンプを閉鎖するつもりだと警告している。現在、キャンプ、個人宅、共同センターなどで11万人が避難生活を送っているとみられている。またチェチェンに戻った人々に対する支援も十分ではなく彼らの安全も保障されていない。この地域での人道援助の需要の必要性は大きいと見られているが、行政からの圧力、誘拐などによって活動が妨げられている。ロシアのNGO、Druzbaの責任者が7月に誘拐されたのに続き、(2003年1月10日に168日後に解放された。)8月12日にはダゲスタンのMSFの活動責任者であるArjan Erkelが誘拐された。彼らの解放を求める声明が何度も出されているが、Arjan Erkelは依然数カ月にわたって拘束されたままである。

ミャンマー ~バングラデシュのロヒンギャ難民

1992年、25万人のロヒンギャ人は迫害によってミャンマーのRakhine州を追われ、庇護を求めてバングラデシュへと移動した。その後23万2千人は国連の監視下で実施された難民帰還プログラムに従いミャンマーに帰国したが、10年が経った現在も、2万人以上がバングラデシュの難民キャンプでの仮住まいを強いられている。 キャンプでの生活条件は、緊急事態とも呼べる程に劣悪で不健康であり、住民には自由な外出が認められていない。仕事や農業に従事することは出来ず、子供たちには教育の機会も与えられていない。MSFが2001年末に実施した調査によれば難民の子供の58パーセント、大人の53パーセントが慢性の栄養障害に陥っていた。 ミャンマー国内ではロヒンギャ人は市民として認められておらず、移動の制限や土地の没収、強制労働などを強いられてきた。一方バングラデシュのロヒンギャ人難民にはこの10年間、数々の激しい圧力がかかり、多くが祖国に強制送還された。国連は、人権団体の報告などからミャンマー国内でロヒンギャ人の置かれた状況は改善していないことが明らかであるにも関わらず、治安は回復し帰還に問題はないと主張し、現在も最善の策として難民の帰還を進めている。 祖国ミャンマーでも避難先のバングラデシュでも歓迎されないロヒンギャ人たちの未来は不安定だ。国際社会はミャンマーに帰ることの出来ない難民について長期的な解決策を検討する必要がある。

薬がないために命を落とす世界の貧しい人々

製薬業界がエイズ治療薬の価格低下を喧伝し、マラリア寄生虫ゲノムのマッピングの発見のような科学の進歩がなされ、感染症と闘うための史上最大の資金供給システムが確立されたにもかかわらず、HIV/エイズ、マラリア、結核、その他感染症に苦しむ人々の大部分は今も治療薬を手に入れることができずに命を落としていく。これらの治療可能な病気に苦しむ数百万の人々が直面している現実と、各国政府や国際機関、製薬企業の誇張的言説とのあいだのギャップが2002年ほど深刻になった年はなかった。HIV/エイズに感染している4,200万人のうち95%が開発途上国に居住しており、少なくともそのうち600万人は延命可能な抗ウイルス薬による治療を直ちに受ける必要がある。プログラムの数が増加し資源の乏しい場所でも治療が可能なことが証明されているが、薬の価格の高さと行動を起こそうとする政治的意思の欠如により途上国の数百万のエイズ患者は治療から遠ざけられている。結果として毎分6人がエイズのため死んでゆく。先進国はエイズ対策のために毎年70~100億ドル必要だと見積もられている額のほんの一部を負担しているにすぎない。たとえば米国がThe Global Fund to Fight AIDS, TB and Malariaに拠出を約束している額はとるに足らないものである。さらに米国とヨーロッパ連合は、2001年にカタール・ドーハでのWTO閣僚会議の間に医薬品へのアクセスについて得られた重要な成果を後戻りさせようと通商交渉を利用してきた。またマラリア、結核、カラアザール、眠り病といった致死的な感染症の新しい治療薬の研究開発はひどく不十分なままである。40年前に比べてマラリアによる死亡者数は現在増加しており、また結核に関しては、WHOの推測によればもしこのまま何もなされなければ今後10年間で35万人がこの病気のために命を落とすというところまで危機は拡大している。

人道法の軽視で、戦争で被害を受けた人々の保護が阻害される

国際人道法にも書かれている戦時中の暴力行為から市民を守る法は、昨年を通じて危険なまでに犯された。このことはアルカイダのようなテロリスト集団が明確に示している。彼らは多くの国で市民に対する直接の攻撃を行ったように国際人道法にほとんど関心を払わない。米国とその同盟国はこれに対する答として、「テロリズムに対する戦い」のためにはこれらの法的保護措置から離れる必要があるかもしれないという懸念すべきサインを出してきた。アフガニスタンでの作戦展開中、米国の同盟国であるパキスタンがアフガニスタンの紛争から逃れてくる人々に対してイランと同様にその国境を閉鎖し、事実上彼らを紛争のなかに閉じ込めたときもほとんど抗議を受けなかった。米国に支援された北部同盟が降伏した捕虜たちを窒息死させたことは明らかであるにもかかわらず、この国際人道法違反に対する責任追求を求める声は無視されてきた。1年前にトラボラで行われたような甚大な被害をもたらす空爆は数知れない一般市民を殺してきたが、独立した監視者がいないため、一般市民の犠牲を最小限にとどめるようすべての適切な予防措置がとられたかを調べることは、不可能とはいわないまでも困難になっている。これらの行為はとりわけ国際人道法の適用に例外がありうるとする考えが正当化されることによって世界中に大きな影響をもたらしてきた。たとえばコロンビア、チェチェン、イスラエル、パキスタン、中国、リベリアなどの軍部は、暴力の濫用を糊塗するためにグローバルな「対テロリズム」作戦というレトリックを使ってきた。戦争行為に対する制限とは、大変な困難の末に獲得され、ときには脅かされてきた成果である。米国を含む西欧諸国は、とりわけ第二次世界大戦後のジュネーブ条約の強化の際にこの原則を勝ち取るのに重要な役割を果たした。今日地球上で戦争による被害を受けている数百万の人々にとって、すべての国がこの根本的な権利を擁護・尊重することが必要不可欠である。

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