北朝鮮内における食糧援助に関する議論

2003年02月24日掲載

(※この文章は2001年8月7日に作成されたものです。)

国境なき医師団(MS)は1995年に、洪水により食糧事情の悪化した北朝鮮国内で援助活動を開始しました。北朝鮮政府の要請に基づき、食糧や医薬品の供給、栄養補給センターの設置、医療スタッフのトレーニングなどが行われました。しかし政府によるプログラムへの介入や制限が著しく、活動の自由が認められなかったため、1998年には国内での活動を断念し撤退する結果となりました。

一方この時期、世界食糧計画(WFP)が北朝鮮に対して行った食糧援助が論争を呼びました。援助は目的地に間違いなく届けられているとWFPは述べているが、MSFは食糧が実際に必要としている人たちの元に届いていないばかりか、国連機関の活動が結果として北朝鮮の圧政に加担していると考えています。

2001年8月24日、MSFフランス支部会長のジャン=エルヴェ・ブラドルとWFPのスポークスマン、クリスチャン・ベルティオームは、フランスで放送されたラジオ番組の中でこの問題について意見を交わしました。以下はその抜粋です。

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援助の有効性について

ジャン=エルヴェ・ブラドル(MSF):人道援助はどんな場所ででも可能というわけではありません。為政者が、援助者の活動する空間を認め、必要性の調査や末端まで援助物資が届いたかを確認する自由を援助者に保障することが必要です。これらの条件が満たされていない国はいくつかありますが、北朝鮮は目下そのうちのひとつに数えられます。

クリスチャン・ベルティオーム(WFP):援助物資の100%を完全に必要としている人々へ届けることは不可能でしょう。それは北朝鮮だけでなく世界中どこも同じことです。WFPは今年、北朝鮮の人口の3分の1に当たる700万人以上に80万トンの援助物資を送っています。食糧が人々に届くよう管理もしています。実際のところ、管理する場所を報告するよう義務づけられているのです。しかし我々がアクセスできない場所では食糧配給は行いません。211の行政区のうち、67ケ所に届けていますが、これで国土の約79%をカバーしています。

ジャン=エルヴェ・ブラドル(MSF):1995年から現在までの間に、北朝鮮では何十万、何百万の人々が亡くなっていると言われているのに、他方では援助は効果を挙げており、人々を救っていると言われているという矛盾があります。1995年以来、この国で効果的な援助を行う団体を北朝鮮政府が受け入れてきたというなら、現在これほど多くの犠牲者は出なかったはずでしょう。北朝鮮の体制は全体的な目的のためには人民を犠牲にするという政策を継続してきました。しかし、体制に有用と判断された人間ならばいとも簡単に援助食糧を受けとることが出来るのです。

援助の限界

クリスチャン・ベルティオーム(WFP):北朝鮮に生まれた子供を5歳で死なせるわけにはいきません。我々の仕事は犠牲者を助けることです。人道主義の父といわれるアンリ・デュナンは、戦場で誰にも介抱されない犠牲者を目の当たりにしました。政治、宗教、民族、人種を問わず、苦しんでいる人を助けることが人道的援助なのです。

ジャン=エルヴェ・ブラドル(MSF):アンリ・デュナンですか、赤十字国際委員会ですね。赤十字国際委員会は、第2次世界大戦とヨーロッパのユダヤ人収容キャンプについて、超えるべきでない限界があることを認めました。アンリ・デュナンの後継者たち、彼ら自身もここから次のような教訓を得ています。つまり、場合によっては人道援助には限界があることを認めないと、人道という名のもとに極悪非道な所業を犯してしまうことすらあるのだと。WFPは確かに素晴らしい援助を成し遂げています。しかし、政治的な理由から質の高い援助のための活動空間が充分に保障されていない状況もあったでしょう。こうした状況では極端な場合には、人道援助が行えないばかりか、それをすることが逆に受益者を裏切る結果になるということ、これは援助者がなかなか認めにくい事実です。 95年から98年まで3年間にわたり、我々も北朝鮮で活動しようと試みましたが、結局否定的な結論に達しました。「Action contre la faim」や「German Doctors」といった独自に活動していた組織も同一の見解に達しており、同国での活動を停止しています。従ってこれはMSFのわがままではありません。にもかかわらず国際組織や関係諸国は、北朝鮮における援助物資の分配、そして中国における北朝鮮難民の存在という二つの問題に関して、示し合わせたかのように盲目を装っています。

クリスチャン・ベルティオーム(WFP):無条件の人道的援助は行われるべきではありません。1990年以前に北朝鮮が初めて我々に援助を要請してきたとき、我々は現地へ赴き、状況を見極めて、管理体制をとるという条件で承諾しました。ところが相手方は「援助物資を送ってください。管理、分配はこちらでやりますから。」と返答してきました。これは問題外です。1995年にもう一度こちらの条件を提示し、今度は北朝鮮もこれを承諾したのです。

北朝鮮の人々への援助をどのように行うか

ジャン=エルヴェ・ブラドル(MSF):国を逃れた北朝鮮の人々が、この問いに対する部分的な答えを与えてくれています。スターリン式の独裁体制の国では往々にして住民が国外へ逃亡することがあり、今日の北朝鮮では、その行き先は中国です。おそらく、10万から30万の人々が中国へ逃れ、極度に不安定な状況におかれていると我々は推測しています。こういった難民とは個別に接触することができるので、我々が彼らに提供した援助がどうなったか確認することが出来ます。 私たちの目的は正しい方法で人々を援助することです。私はどんな場所でもどんな状況下でも自分の活動のやり方が通用すると考えるほど傲慢ではないつもりです。北朝鮮の国外で難民となった人々を対象とする他、北朝鮮の人々に確実に役立つ独立した援助の方法がないのならば、私は何もかも常に可能ではないことを認め、目標をいくらか制限する必要があるのです。

クリスチャン・ベルティオーム(WFP):私たちの役目は要請があったときに直ちにそれに応えることです。56人が現場に出動しており、毎月300回の監視を行います。私たちは人の命を助けているのです。共謀しようと誘われれば、できないと答えます。病院へ行くことを止めたのは、お芝居を見せられているように感じるからです。私たちが管理できない場所へは行きません。理想的でない状況ではこうすべきなのです。

状況好転あるいは事実の操作?

クリスチャン・ベルティオーム(WFP):飢餓が話題になった1997年に比べ、状況は好転しています。当時は本当に深刻な状況でした。しかし食糧は未だに欠乏しています。北朝鮮はアジアで最も栄養不良の率が高い国です。難民の多くは、私たちがアクセスできない場所に住んでいるため、援助を受けられない人々です。

ジャン=エルヴェ・ブラドル(MSF):1995年から今日に至る好転というこの考え方について少し述べたいことがあります。飢餓の場合、その犠牲者が死ぬと事実上状況は好転するという構造があります。1995年が深刻な状況であったのは、食糧補給を受けられない軍の部隊がいくつもあったからです。一旦弱い立場の人々が犠牲になった後、事態は好転したといい、−さまざまな証言から、おそらくこの間、死者の数は100万を越えたといわれているのに−、それが援助の成功によるものだというなんて、理屈が間違っているでしょう。国連は二枚舌を使っています。一方でWFPは北朝鮮で何でもできるといい、他方で脱北者については沈黙を守っています。これは大国中国を刺激しないためです。脱北者の存在を否定するのは現在のアメリカ国務省の立場でもあります。残念ながら、こういった非常に地域戦略的な問題に関しては、国連の人道援助機関はその活動に出資している超大国の意思に従わざるを得ないというのが、我々の印象です。

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