ルワンダ:恐怖にかられ避難する難民

2006年06月23日掲載

過去6ヵ月の間に、約2万人のルワンダ人が安全を求めてブルンジ北部に避難した。難民となった人びとは口々に脅迫、威嚇、そして暗殺について語り、国境なき医師団(MSF)のスタッフに、自分自身や親戚、近所の人が虐待され、制服の男たちに連行され、行方不明になった経験を訴えている。迫害の恐怖のあまり、人びとはあらゆるものを置き去りにして逃げざるを得なかった。MSFは2006年1月ブルンジ北部のムササ・キャンプに診療所を設置し、以来毎月1万1千件以上の診察を行っている。

「ある晩、夫が警察に連れて行かれました。その翌日には私も連行され、尋問されました。警察は夫が反政府勢力に協力していたと咎めたのです。私は否定し、夫は公務員ですと言いました。すると彼らは、逃亡しようとした夫を射殺したと告げました。夫はもうこの世にいなかったのです。夫の服を渡されましたが、血もついてなければ弾丸の穴もありませんでした。夫の遺体を見せて欲しいと言ったら、警官に殴られました。この一件を裁判で争おうとしました。しかし今度は警官が家に来るようになりました。毎日だったと思います。知っていることを話すように迫られ、お前は監視されていると脅してきました。とうとう夫の銀行口座が凍結されました。そのようなことが6週間続き、警官が再び私を探しにやって来た時、もう我慢できなくなりました。私は生後9ヵ月だった子どもを連れて逃げ出しました。

―ルワンダ人女性、25才―

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過去に怯えて

1994年4月6日にルワンダとブルンジの両首脳が乗っていた飛行機がロケット弾で撃墜され、ルワンダの虐殺として広く知られている一連の暴力が発生してから、今年で12年になる。わずか3ヵ月の間に80万人のルワンダ人が虐殺された。その大多数はツチ系の人びとだった。人びとは家族を失い、子どもたちは孤児となった。命を取り留めた人は逃亡したか、行方不明になった。この虐殺に関わったとされる主な容疑者数人は中央裁判所で審理を受けている一方、政府は他の容疑者も告発するために地方法廷を設置している。「ガカカ」と現地語で呼ばれるこの地方法廷は、虐殺を行った側と生き残った側、両者の和解をもたらすことを目的としている。地元のいざこざや論争を解決するために設けられる、村の伝統的な裁判制度がもとになっている。

しかしながら、ガカカ方式の公平性は批判の的となっている。幾人かのルワンダ人はMSFのボランティアに、弁護のために発言する機会が与えられず、暴力をふるわれ、脅迫されたと語っている。MSFにはこのように語る人びとが有罪か無罪かを判断することはできない。中には有罪となり、遺体を掘り返し、骨を洗い清める刑を宣告された人もいる。襲撃や行方不明、逮捕、公的な文書もないまま刑務所に拘留され、「この国はツチ族のものだ」と言われたことなどについて語る人もいる。多くのルワンダ人にとって、公正な扱いというものは遠くにある希望でしかない。

「私たちは1994年の大虐殺による遺体を掘り起こさなくてはなりませんでした。私はある日、誤って遺体の骨を折ってしまい、ひどく殴られました。数日後に警察が私の村にいたツチ族の男を逮捕しました。彼はやりを持っており、「フツ族の時代は終わりだ」と言いました。その翌日、彼は釈放されました。怖くなり、夫と4人の子どもを連れて逃げました。何ひとつ持ち出すことができませんでした。」

―ルワンダ人女性、36才―

安全な場所を求めて

この数年で大勢のルワンダ人が避難したのは、これが初めてではない。2005年5月には1万人のルワンダ人難民がブルンジ国境を越え、差別を受けていることや殺すと脅されたこと、そして実際に殺人が起きていることを訴えた。ブルンジ・ルワンダ両国は難民を数ヵ所に移動させ、国に戻るように説得した後、数千人を強制送還した。これは、安全と避難場所を求めている人を追いやって迫害に直面させてはならないとする国際法の追放・送還禁止原則(ノン・ルフールマン原則)に背く行為である。

現在、ブルンジに避難した2万人のルワンダ難民は、ブルンジ北部のンゴジ州にある2ヵ所のキャンプで運命に身を任せる日々を送っている。キャンプは過密で、地面は雨季に入ってぬかるみと化し、気温は急激に冷え込んでいる。しかし国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、ルワンダからの「難民流出の原因となっている明らかで客観的な要因*」が存在するとは認めておらず、そのため避難してきた人びとは自動的に難民として認定されるわけではない。

  • "readily apparent, objective circumstances giving rise to exodus": UNHCRが定義する人口の大量移動の際の集団難民認定要件のひとつ。

難民か、移民か

結果として、故郷を離れ、隣国のブルンジに徒歩や国境の川を泳いで入ったルワンダ人は各自が難民認定の手続きを受けている。30~45分の面談に基づいて調査が行われる。現在までに52名が認定を受けたが、1200名は却下された。難民として受け入れられた人びとは、直ちにルワンダとの国境から遠く離れたブルンジ南部に移送された。却下された場合、今度は移民とみなされる。彼らはブルンジ政府によって故郷に送り返される。彼らが無事ルワンダに到着し生活を再開することが出来たかどうかを確認する組織はほとんどない。

「私は混乱し、絶望しています。ルワンダに戻れないことは分かっていますが、折り合いをつけるのは難しい問題です。夜は眠れず、自分が石になってしまったように感じます。どうしたらいいのか分かりません。」

―ルワンダ人女性、25才―

UNHCRによれば、5月第2週には約千人のルワンダ人の「自発的な」帰還が手配された。UNHCRとブルンジ政府が今後さらに、希望者および難民申請を却下された人びとの帰還手配を行う可能性もある。

キャンプ内でのMSFの活動

MSFはルワンダ人難民約1万5千人が滞在しているムササ・キャンプで診療所を運営し、難民と、4~5時間の道のりを歩いてやってくるブルンジ住民の双方に治療を行っている。派遣ボランティア2名とブルンジ人・ルワンダ人スタッフ合わせて65名からなるMSFのチームは週に2千人の治療を行う。現在4500人の難民が身を寄せているソンゴレ・キャンプでは、トイレの設置を支援している。このキャンプは本来は800人用に設置された。

MSFのブルンジにおける活動責任者バヌ・アルトゥンバスは語る。「キャンプに暮らす人びとの健康を心配しています。太陽が出ている昼間は気温が26度になります。しかし夜は6度くらいの寒さです。ムササ・キャンプで私たちが治療を行うルワンダ人難民の病気は、発熱、呼吸器感染症や下痢がほとんどです。伝染病が流行する恐れも常にあります。しかし、難民認定を受けられずに、恐怖から逃げ出してきた国へと送り返される人びとのことも非常に心配しています。」

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