アブハジア:薬剤耐性結核

2006年04月21日掲載

国境なき医師団(MSF)の旧ソ連地域広報担当者が、黒海に面した南コーカサス地方のアブハジア自治共和国を訪れ、MSFの結核プログラムを視察しました。以下はその報告です。

スフミ湾の壮大な景色を眼下に望み、樹木の生い茂る険しい斜面にしがみつくようにして立っているのは、今では廃墟と化した結核療養所だ。ここは、かつてソビエト連邦が誇った結核対策システムの輝かしい成果とされていた。現在、国境なき医師団(MSF)がアブハジア自治共和国における結核プログラムの拠点としているグーリプシ結核診療所の頭上に見えるこの廃墟は、この忘れられた土地における結核治療の崩壊をまざまざと示すシンボルの役目を依然として果たしている。

MSFは、アブハジアの結核患者を治療する現地当局のプログラムを1996年から支援している。2001年以降は、このプログラムに旧ソビエト諸国を悩ますもっとも恐ろしい病気のひとつである薬剤耐性結核(DR-TB)の治療も加わった。MSFはグーリプシ病院を復興し、薬剤や医療器具、検査用機器を供給している。医師3人、看護師1人、心理療法士1人の外国人派遣ボランティアと、看護師1人、薬剤師1人、健康教育士3人、ソーシャルワーカー3人からなる8人の現地スタッフが、保健省の職員と連携して活動している。

アブハジアにおける活動責任者、トーマス・バリヴェットは次のように説明する。「グーリプシ結核診療所におけるMSFのプログラムでは、通常の結核患者および薬剤耐性結核患者を、集中治療段階の間、すなわち感染性が強く常時監視が必要な期間中、入院させて治療します。感染性がなくなれば患者は退院できますが、退院後は継続して、アブハジア各地に配置された8ヵ所の外来診療所のネットワークを通じて直接監視下短期療法(DOTS)を受けなければなりません。」保健省はこれらの外来診療所に職員を配置しているが、薬剤はすべてMSFが提供している。さらにMSFは、現地保健省の看護師を慎重に監督しながら治療を見守っている。

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困難で不快な薬剤耐性結核の治療

痛々しいほどやせて、日焼けした顔に深いしわがきざまれ、実年齢の57才よりも年老いてみえるサシャは、グーリプシ結核診療所に入院して5か月半になる。耐性のない通常の結核患者である彼は、すでに、自宅に戻ってDOTSによる継続治療を受けることが可能な治療段階にある。しかし、アブハジアにおける彼の「自宅」とは、今は使われていない崩れかけた工場労働者用簡易宿泊所であり、水道も電気もない。彼はそこで大酒を飲むため、チームは彼を病院に留めておくべきだと判断した。彼は1日1回、抗結核薬を3錠服薬しなくてはならない。治療には前向きに取り組んでいるが、治療のために「食欲がまったくなくなり、味だってわからなくなります。今では1日1回、かゆとミルクだけの食事をなんとか飲み込めるだけです。」とこぼしている。だが、彼は治療プログラムを受けられたことに感謝している。火事でパスポートをなくしてしまったのだが、普通ならば身元確認の書類がないと医療を受けるのにひどく苦労するからだ。彼は今、治療を受けて退院した後の自分の将来を心配している。

結核は難病だが、治療することができる。空気感染し、感染性はきわめて強く、治療は長期にわたる。2~3ヵ月の入院が必要で、その後は数か月にわたり地域の訪問看護師の監視下で混合薬を服用しなければならない。1996年以降1,500人を超える結核患者がMSFのプログラムで治療を受けたが、その多くが過密状態の刑務所で結核に感染していた。MSFの医師ダニエル・ハインリッヒは説明する。「この治療に使われる第一選択薬の多くは、1960年代以降変わっていません。それに、新しい代替治療や信頼のおけるワクチンについては、ほとんど研究されていないのです。現在のワクチンは1921年から変わっていません。こうした研究が、この病気の蔓延を食い止めるために極めて重要であるにもかかわらずです。」

結核治療は治療が長期にわたることや、薬の味がまずいという以外にも極めて難しい問題を抱えている。最後まできちんと投薬を遵守しないと、結核菌が第一選択薬に対して耐性を獲得してしまう点だ。だが不幸なことに、アブハジアでは戦後の荒廃に加えて、旧ソビエト各国および刑務所内における不十分な治療が原因となり、薬剤耐性結核が蔓延している。MSFの推定では、アブハジアでMSFが発見する結核症例の5~13%が薬剤耐性結核である。

ほとんどの患者は、最初に適切な結核治療を受けなかったことが原因で薬剤耐性結核に感染する。だが不運にも少数の患者は、最初の結核感染のときに耐性菌に感染する。50才の患者、バンドールによると、薬剤耐性結核は「病気の王様」と呼ばれているそうだ。「3年間治療を受けるうちに、この病気の威力を尊敬するようになりました。この病気のことを呼ぶとき、私たちは"ti"(ロシア語で"君")でなく、"vi"(ロシア語で"あなた")を使うようになりました。」

薬剤耐性結核の治療は3年以上かかることもあるが、それでもかならず治癒するとは限らない。MSFの医師エイドリアン・マルトーは、これまでの成果をこう説明する。「2001年以降にMSFのプログラムで治療を開始した患者100人のうち、多くが既に通常の結核の治療に失敗した経験をもっていました。このうち38人が現在も治療を継続し、25人が完治、6人はプログラム対象外となりました。そして18人が治療や副作用に我慢できず、あるいは他の個人的な理由により脱落し、13人が亡くなったか、あるいは効果のないまま治療を終了しました。私たちはWHOが定めた手順に厳密に従って治療していますが、この病気の診断法と治療法がともに救いようのないほど時代遅れであることに、強いいらだちを感じています。」

薬剤耐性結核の治療に際して、一般的に見られる副作用のリストは驚くほど膨大で、それだけで別の病気であるかのようだ。副作用には下痢、食欲不振、強い胃腸不快感、脱力感、めまい、頭痛、精神錯乱および精神病、関節痛、聴力喪失、視力喪失、神経遅滞、肝・腎機能障害、発疹、不整脈、血液疾患が挙げられる。

マルトー医師は説明する。「薬剤耐性結核には、患者によってさまざまな種類があります。そこで私たちは、耐性のパターンを分析するためにヨーロッパの委託研究所に通常の喀痰サンプルを送ります。そして個々の患者の結果に基づいて、その患者に適した治療法を計画するのです。」この耐性の分析結果を受けて、薬剤耐性結核の治療計画に用いる12種類の薬剤のうち5種類を混合するため、その副作用は多岐にわたる。これらの二次選択薬には、パラアミノサリチル酸やストレプトマイシンなど、50年以上にもわたり用いられている抗生物質も用いられている。多くの薬剤は不快な粉末や錠剤の形でしか利用できず、患者は1日15錠もの錠剤を服用し、さらに毎日の注射が必要である。この治療を最低6ヵ月は続けなければならない。

患者が薬剤耐性結核プログラムを開始する基準のひとつとして、患者は治療を最後までやり抜くという誓約書に署名する必要がある。しかし、なかには、治療そのものや強い副作用に耐えられない患者もいる。脱落率は高く、多くの患者は病気が完治していないにもかかわらず、調子が良くなるとすぐに服薬をやめてしまう。薬剤耐性結核に感染している36才の患者は、ロシアやグルジアの各所で治療を5回開始したが、いつも最後までやり遂げることができなかったと語った。

MSFの心理療法士ナタリー・セヴェリーは語る。「薬とその不快な副作用があまりに強烈なのです。そのため、どんなに治療を望んでいても、どうしても薬を服用できず、見たり匂いをかいだだけで吐いてしまうまでになる患者もいます。」

入院中、そして退院後と数ヵ月にわたり苦闘したのち、治療をやめるという苦渋の決断を下した場合、患者には確実に死が待っている。

治療にきわめて熱心な患者でさえ、服薬は体力を消耗させる。37才のイリーナはこう主張する。「心のなかの恐怖と闘わなければならないのです。もし挫ければ、病気に負けてしまいます。」

MSFが運営する患者支援グループに属する患者のひとりは語る。「2年間、こうした錠剤を我慢して飲み続けることは不可能です。体が受けつけないのです。体の一部を治療する一方で、別の部分を破壊しているように感じるのです。まるで自分が実験台になっているみたいな感じです。」

胸にレーニンとスターリンのペアの入れ墨を入れた薬剤耐性結核患者の1人は、使われなくなった教会の、聖像が散らばりネコが群がる小さな部屋に住んでいた。彼は、日曜日を除いて毎日彼のもとを訪れるDOTSの看護師にこうまくしたてた。「どうして私はまっとうな週末を送ることができないのですか?私の体は2日の休みが必要なのです。あなたは私の体にプレッシャーをかけ過ぎです。」看護師が「休み」をとれば耐性を獲得してしまうことを丁寧に説明しようとすると、彼はうんざりした様子で、彼女の話をつっぱねた。

結核患者に着せられる汚名

多くの患者にとって、結核につきまとう汚名や屈辱は、もっとも堪え難いことのひとつだ。病院の規則は、感染の事実をまざまざと思い起こさせる。たとえば、スタッフは全員、感染を予防するためにマスクを装着しなければならない。病院の環境は明るく、それほど混み合ってもいないが、画一的で無味乾燥だ。MSFは各部屋を修復し、共有スペースには鉢植えの植物や卓球台を数台置いて雰囲気を明るくしようと試みたが、刑務所からまっすぐ病院へと送られてくる多くの患者は、再び外界から遮断され、隔離されたように感じてしまう。

MSFのソーシャルワーカーや教育担当は患者の家族を支援し教育しようと努力しているが、退院した患者たちは、たとえ完治した場合でも、その多くが地域社会から孤立してしまう。外来診療所を訪れたある患者は語った。「みんなが自分の子どもたちを私から遠ざけるのです。もし私が近づこうものなら、そして万が一子どもたちが結核に感染しようものなら、真っ先に私のせいにされてしまうでしょう。」

その他にもさまざまな誤解が、感染や治療そのものに対する態度に影響を与えている。多くの患者が、風邪をひいたため、あるいは冷たい水のなかで泳いだために結核に感染したと説明する。注射や点滴が肝臓に良いと固く信じる患者もいるが、MSFの医療チームは科学的根拠がないと説明する。

現行の治療システムへの疑問

アブハジアで採用されているロシア式の治療システムは、十分に機能していない場合も多々あり、そのものが薬剤耐性を生み出しているとも考えられる。困ったことに、それでも人びとは相変わらずこのシステムに対する誇りと信頼を捨てていない。MSFチームの医療はアブハジアで通常採用されているものと異なるため、疑いを抱く患者もいる。とりわけ、治療中に病気がぶり返した場合に、患者は懐疑的になる。ナタリー・セヴェリーはこう語る。「多くの患者にとって真の問題は、自分の病気について、それから、自分がなぜ、どのように感染したかについて説明を受けていないという点です。患者たちは罪の意識を抱くか、あるいは漠然と戦争のせいにしています。患者たちは、私たちの治療をなかなか信じられないのです。」

患者に深く根づくこの誤った考えに立ち向かうだけでなく、MSFチームは共に働く現地保健省スタッフの態度を変える努力も行っている。患者に対する治療上の責任は分担されているが、病院内での交差汚染や再感染を防ぐために不可欠な、保菌者、結核患者、薬剤耐性結核患者の厳密な隔離を実行に移すのはきわめて難しい。「血液を洗うため」の過度の輸液注入、そして看護水準の低さや医療の守秘義務、人間的な治療などの点もまた、繰り返し議論となる分野である。

70才になるティナは、薬剤耐性結核プログラムで治療を受ける患者の中でも特に高齢である。2000年に結核の治療を受けたティナは、治療に大変熱心で服薬を遵守する、模範的な患者だった。退院後に息子と同居したが、チームはこの息子が母親に薬剤耐性結核を感染させたのではないかとみている。だが息子は治療を拒否した。現在、再び入院しているティナは、朝の分の薬として色とりどりの錠剤7錠を、お手製のヨーグルトといっしょにすばやく喉に流し込んだ。「健康なバブーシュカ(おばあちゃん)になるために!」と呟きながら。私たちが帰ろうと立ち上がると、ティナは孫のことを話し始めた。おばあちゃんはどうしたの、といつも尋ねている孫たちに会えないのが、とてもさびしいのだ。彼女は言う。「この病気を治すためならなんでもします。」

アブハジア自治共和国について
ソビエト連邦時代のアブハジアは自治共和国であったが、グルジア領に属していた。アブハジアの国民はつねに独立を願っており、ソ連崩壊後の1992~3年に、グルジアとの間に激しい分離独立戦争を起こした。この戦争により地域の保健基盤は荒廃し、政治的にはこう着状態に陥った。アブハジアは現在、独自の政府と政治制度を有しているが、国際社会には認知されておらず、したがって国外からの援助を受ける資格を持たない。平和維持軍が国境地帯をパトロールしており、MSFなどの人道支援組織が、弱体化した国家機能を補うために不可欠な援助を行っている。

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