「金がなければ殺された」 おじも…そして自分も…暴力の犠牲になった

2018年09月11日掲載

MSFのソーシャルワーカーが新しく到着した移民らを前に援助概要などについて説明する様子(2017年撮影)MSFのソーシャルワーカーが新しく到着した移民らを前に援助概要などについて説明する様子(2017年撮影)

2010年8月、メキシコタマウリパス州サン・フェルナンドで「サン・フェルナンドの虐殺」が起きた。男女含む72人が拉致され、殺害された。被害者は首を撃たれ、遺体は牧場に遺棄されていた。みな移民で、米国に向かっているところだった。

この虐殺事件は、海軍が遺体を発見して明らかにした。襲撃者が遺体を埋葬する前だった。また、人びとに、メキシコ国内の移民が受けている激しい暴力や残虐行為を知ってもらうきっかけとなった。だが8年がたった今も、状況はほとんど変わっていない。

「暴力はとどまることなく広がっています」とメキシコで国境なき医師団(MSF)の移民プロジェクト・コーディネーターを務めるマリア・エルナンデス・マタスは話す。

「MSFの活動の大部分は、彼らの心や身体のケアです。出身国かメキシコで暴力を受けたものによるものです。常に脅迫や危険と隣りあわせで生活しています。拉致や強盗、性的虐待などの被害者でもあります」

「お金を持っていなかった人たちは殺された」

「サン・フェルナンドの虐殺」でおじが犠牲となったホンジュラス人の患者(22歳)も、拉致と暴力の被害にあった。患者は、亡くなったおじに触れ、「おじと同じ目に遭いたくなかった。まさに悪夢だった」と恐ろしい体験を振り返った。

患者が拉致されたのは4年前。メキシコからの脱出を目指して、米国とメキシコ国境にいた時だった。他にも拉致された人が大勢いて、皆が縛られたり、目隠しをされたりした上、殴られた。3000米ドル(約33万円)の身代金の要求を目的に、ホンジュラスと米国にいる家族や親戚の電話番号を聞かれたりもした。

「金を持っていなかった人たちは殺された。奴らは身代金を払えた人を何人か手元に置き、さらに多額の現金を要求した。実家は貧しいから金はない、と答えたが、家族が金を出してくれなければ殺す、と言われた。奴らが人を殴る様子も見た。女性も暴力を受けていた」

拉致された他の人と共に、米国との国境近くの街からサン・フェルナンドまで車で連れて行かれた。食べ物はなく、与えられたのは水だけ。拉致されてから2ヵ月くらいがたった頃、明け方に銃声が聞こえた。「海軍だ」との声を聞いた時、起き上がって目隠しを取り、泣きながら走り出した。海軍士官に「拉致された。ホンジュラスから来た」と話し、逃げのびることができた。

その後も、苦労の連続だった。別の場所でまた拉致されたが、なんとかMSFが活動する「移民の家」にたどり着いた。

患者はまた、米国に向かうつもりだ。「もう自分の国には住めない」と感じているからだ。政府とギャングのせいで仕事もない上、戦争のための税金を取られるのがホンジュラスだ。

「今はもう大丈夫。怖くて一歩も進めなかったとき、MSFの心理療法士に出会った。そして前に進む勇気をもらったから」 

MSF活動概況

MSFは2012年から、メキシコの移民・難民の援助をしている。暴力の被害者も多く、医療と心理ケアの活動をしている。タバスコ州テノシケにある、難民用の保護施設と、ベラクルス州コアツァコアルコスの「司教・移民の家」と連携して、MSFは診療と心理ケアを担っている。

最優先にしているのは、保護者がいない未成年者や、単身で移動している女性、暴力を振るわれた被害者らだ。激しい暴力や拷問、残酷、非人間的で自尊心を傷つけられるような扱いなどによる最重症例や目撃者に対し、MSFはメキシコ市にある包括ケアセンターで、チーム医療(医療スタッフ、心理ケアスタッフ、ソーシャルワーカー)を通じて、完全なリハビリを目指した専門診療をしている。

MSFは移動診療チームも配置。タマウリパス州レイノサでは医師、看護師、心理療法士が移民・難民保護施設を訪問している。 

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