理不尽に“ふるさと”を追われる人たちの悲劇 どこへ逃げろというのか

2018年07月06日

メキシコ・テノシケの保護施設「La 72」には、家族全員で避難の旅をする移民・難民の姿があるメキシコ・テノシケの保護施設「La 72」には、家族全員で避難の旅をする移民・難民の姿がある

今、中米諸国からの移民・難民が「ぜったいにたどり着きたい」場所は、米国とは限らない。米国政府の不寛容な移民政策が話題にあがるなか、多くの人びとが「最終目的地」として目指しているのが、米国への中継地だったメキシコだ。

しかしメキシコでは、増え続ける移民・難民を受け入れる準備も、保護政策も整っていない。国境なき医師団(MSF)が医療を提供している保護施設には、母国で暴力に遭い、逃げた先のメキシコで犯罪組織の餌食となる人びとの姿があった。
 

北へ進めば強制送還、南へ戻ればギャングの暴力に遭う

人びとは「La 72」で身体を休め、この先の経路を確認する人びとは「La 72」で身体を休め、この先の経路を確認する

保護施設「La 72」は、グアテマラとの国境近くの村、テノシケ・デ・ピノ・スアレスにある。ここは、中米諸国からの移民・難民が旅の途中で体力を回復し、情報収集し、家族と連絡を取るためのオアシスだ。MSFはこの施設で、治療や心理ケアを提供している。

40歳のアブラハムさんは、2017年末に米国から母国エルサルバドルへ連れ戻された。強制送還は「人生の行き止まり」のようだったと語る。18歳から米国で暮らし、1998年からテキサス州ヒューストンの建設会社で働いてきた。母、従兄弟、伯父もヒューストンで暮らしており、14歳と16歳の娘たちは米国生まれだ。

ある日、交通違反をした親戚を捜して警察がアブラハムさんの家にやってきた。滞在許可書類を求められ、アブラハムさんは逮捕された。2017年12月、150人のエルサルバドル人と一緒に飛行機に乗せられ、もはや故郷と思ってもいない国へ強制送還された。「エルサルバドルでは警察とギャングがつながっています。到着して数日のうちに、ギャングが電話をしてきました。私の名前、家族が米国に住んでいること、何年米国にいたかも知っていて、24時間以内に2500ドル(約27万5000円)を払うように言われました。もし払わなかったら…」
 

「La 72」に歩いて到着した人を治療するMSFのスタッフ「La 72」に歩いて到着した人を治療するMSFのスタッフ

アブラハムさんはすぐにエルサルバドルを出た。だが、米国に戻ればまた強制送還される可能性がある。「メキシコで避難場所を探すほうがいい。タコスの商売でも始めて、5年もすれば上の娘が21歳になるので、そうしたら米国へ呼び戻してくれるでしょう」 

犯罪組織に誘拐され、北上を断念

「La 72」の近くにあるテノシケの駅。電車は移民・難民を北へと運んでくれる「La 72」の近くにあるテノシケの駅。電車は移民・難民を北へと運んでくれる

29歳のアレックスさんはホンジュラス出身だ。電車の上によじ登って北へ向かっているときに、木の枝にぶつかって落ち、松葉杖の生活だ。2014年、アレックスさんはメキシコ・シティの北、サン・ルイ・ポトシで、一緒にいた15人とともにメキシコの麻薬カルテル「ロス・セタス」に誘拐された。ロス・セタスは2010年、カルテル間の勢力争いで72人の移民を殺害した組織だ。この事件は保護施設「La 72」の名前の由来でもある。

「殴られ、粘着テープでぐるぐる巻きにされて、線路に置き去りにされました」。そう語るアレックスさんは、これ以来、北を目指すのをやめた。この日は、グアテマラ国境を越えてメキシコにやってくる予定の妻を待っている。
 

「La 72」で人びとに活動の情報を配るMSFスタッフ「La 72」で人びとに活動の情報を配るMSFスタッフ

「La 72」で活動するMSFのソーシャルワーカー、カレン・マルチネスは「メキシコはもはや、米国への中継地ではありません。多くの人が、家や農場を売ったり手放したりして生活できなくなり、親戚などからお金をもらって、国を離れています。危険な故郷を後にして、彼らが望むのはメキシコに落ち着くことです」と語る。
 

女性は性暴力の被害にも

グアダルペさんは子どもたちを連れてメキシコに入る際、国境で危険な目にあったグアダルペさんは子どもたちを連れてメキシコに入る際、国境で危険な目にあった

5人の子どもの母親、グアダルペさんはホンジュラスからやってきた。14歳の長男がギャングに目を付けられ、見張り役に引き入れられそうになったため、子どもたちを連れて国を離れた。暴力的な夫とは別居中だ。

一家は夕刻に歩いてグアテマラの国境を越え、メキシコに入った。「上の子どもたち3人が前を歩いていて、私は8歳と5歳の子どもたちと後に続いていました。突然、3人の男たちが近づいてきて、娘にさわり始めたんです。何もしないでくれと、膝を突いて懇願しました。私は髪を引っ張られ、道を外れたところに連れていかれました。そこで2人の男に、口でさせられました。子どもたちが目の前にいて、つらかった…」
 

移民・難民が家族で移動中に暴力に遭うケースも少なくない移民・難民が家族で移動中に暴力に遭うケースも少なくない

MSFのキャンディ・エルナンデス医師は、「La 72」で診療をしている患者について「炎症、脱水、熱などの症状のほか、なたで切りつけられたり、殴られたり、虐待や性暴力を受けた影響も見られます。残酷で非人道的な話ばかりです」と語る。

グアダルペさんも、これより北へ行くつもりはない。ここに残って、他の移民や女性たちを助けたいと思っている。
 

足止めは、さらに暴力にさらすこと

「La 72」に集まる移民・難民の若者たち「La 72」に集まる移民・難民の若者たち

ここ数ヵ月、若い男性だけでなく、女性や子どもを連れて一家全員で逃げてくる人が増えている。彼らの目的は「米国へ行く」というより、母国での暴力から逃れることだ。しかし、保護制度の整わないメキシコは安全に暮らせる場所ではない。テノシケでは地元住民の移民・難民への風当たりは目立って強くはないが、少しずつ反感も見えてきている。

MSFのコーディネーター、バートランド・ロシエは「2017年にはボンジュラス、グアテマラ、エルサルバドル出身者が10万人以上、米国で保護を求める手続きを開始しました。メキシコには、暴力を逃れた人びとに医療を提供する施設もありません。移民をメキシコに足止めすることは、彼らをますます暴力にさらすことになるのです」と語っている。

MSFはホンジュラスグアテマラ、エルサルバドルからメキシコを通って移動する移民・難民に、心理ケアを含む医療を提供している。移民・難民の保護施設のほか、線路沿いの地域で移動診療を行い、メキシコ・シティでは2016年から激しい暴力に遭った被害者に包括的なケアをするセンターを運営している。 

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