南スーダン:「家族を殺され、一人娘をさらわれ、胸が張り裂けそう」――襲撃を生き延びた女性の証言
2012年01月26日掲載
地域の民族対立が激化する南スーダンのジョングレイ州ピボール郡で、国境なき医師団(MSF)は住民に医療を届ける活動を続けている。襲撃を受けた村から逃げた住民が、スタッフにその状況を語った。ピボール郡の町レクウォンゴルで2011年12月27日に起きた襲撃で、脚と頬に銃弾を受けた24歳の女性。3歳になる一人娘は拉致された。

「娘の身に何が起きたのかもわからず、とてもつらい」と語った女性。
母子4人が目の前で殺された
私たちの村は最初に攻撃を受けた村の1つでした。私は2人の女性と一緒に、子どもたちを連れて逃げました。3つになる私の娘と、ほかのお母さんたちの子どもで10歳と11歳の男の子2人が一緒でした。私たちは、子どもたちの分の水しか持っていけませんでした。食べ物も、着るものもなしです。
みんなで走って、丈の高い草むらにようやく隠れたかというとき、彼らが近づいてくるのが聞こえました。でも彼らは娘が泣いているのを聞きつけ、私たち3人の女性と子ども3人を見つけたのです。彼らは娘をさらい、2人の男の子の喉を私たちの目の前で切りました。それから私たち3人の女性に走れと言いました。10m走ったところで彼らは銃を撃ち出しました。ほかの2人の女性はすぐに殺されました。私は脚を撃たれて転びました。彼らは私のところにやってきて間違いなく死ぬよう頭を撃ち、死んだものと思って立ち去りました。でも弾丸は頬を貫通しただけだったので、助かりました。水を飲もうと川まではっていき、それから7日間そこに一人でひどい痛みを抱えたまま留まりました。家族はどこにいるか、たった1人の子どもである娘に、何が起きたかもわかりませんでした。
2週間後の生還

襲撃で焼き払われたレクウォンゴルの
MSF診療所の内部。
8日目に、もうそこに一人ではいられなくなって、棒を支えに立ち上がり、2時間歩いたとき、近所の人たちに偶然出会いました。7日の間、私のことを心配してくれていたそうです。みなさんから、私の母が行方不明だと聞かされました。それからみな、私の所在を家族に伝えるために戻って行きました。その後また2日間一人きりでした。また川まではって水を飲みに行きました。そのとき、夫の兄だいが私を見つけ、3日間私を運んでレクウォンゴルに連れて行ってくれました。歩けませんでしたし、くたびれていたのに加えて本当に痛かったです。
それからMSFがレクウォンゴルに戻ってきて、私をピボールの町まで車で連れてきてくれました。次の日、母が行方不明になっただけでなく、亡くなったことを知りました。本当に独り取り残されたように感じました。母は亡くなりましたが、少なくとも娘が一緒であれば大丈夫だったでしょう。でも大丈夫ではありません。子どもに何が起きたかさえわからないのです。
これからどうなるか、だれにもわからない
私の家族のうち10人が殺害されました。女性4人と男性6人です。夫の家族では、8人が命を奪われました。彼らは6つになる私の甥(おい)もさらいました。家族がみな殺され、胸が張り裂けんばかりの思いがします。たった1人の我が子も連れ去られて独りぼっちになり、本当に苦痛です。
将来もし仕事がみつかればやりますが、どうなるかはだれにもわかりません。人びとはいまや何もないままここから動けずにいるのです。
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