南スーダン:襲撃を受けたピボールから――プログラム責任者の報告
2012年01月26日掲載
昨年末から地域間の民族対立による衝突が激化し、襲撃を受けたジョングレイ州ピボール郡。いったん避難を余儀なくされた国境なき医師団(MSF)のチームは、現在、現地に戻り、住民に医療を提供しようと努めている。1月23日、ピボール郡で活動中のMSFのプログラム責任者カレル・ジャンセンに、現地の様子を聞いた。

焼け野原と化していたレクウォンゴルの町。
焼き尽くされた町

プログラム責任者
カレル・ジャンセン
ここピボール郡で、MSFは3ヵ所の診療所で医療を提供しています。1つはピボールの町にあり、1つはレクウォンゴル、もう1つはグムルクにあります。そしてこれら3ヵ所の施設だけが、ピボール郡に住む16万人にとって唯一の医療を受ける手段でした。
ピボールにいる私たちのチームは、レクウォンゴルとピボールへの攻撃が目前に迫っていることを知り、12月23日に避難しました。そして12月25日にレクウォンゴルが襲撃され、その2日後にピボールも攻撃を受けました。
1月7日に、MSFはピボールに戻って医療活動を再開しました。その数日後の1月13日に私はレクウォンゴルに行ってみましたが、町の中央にあるMSFの診療所は完全に焼き払われ、壁と屋根は残っているものの、それ以外は焼かれたり、放り出されたりしていて、まったく目茶苦茶でした。レクウォンゴルの町はゴースト・タウンと化しています。建物はすべて焼け落ち、トゥクル(スーダンの伝統家屋)1軒、小屋1つ残っていません。迷子になった犬、数羽の鳥、何人かの人が、その不気味な風景の中をさまよっていました。
森に逃れた住民に医療を提供

再開したピボールの診療所で子どもを診察する医師。
医療チームを連れて現地に戻ろうと決めたのは3日前のことで、私たちはここ3日間レクウォンゴル周辺に残っている人びとに診療を行ってきました。避難した住民は危険を冒してまで町に戻ったり留まったりしようとはしないからです。町には何も残っていませんし、また攻撃があることを恐れているためです。人びとは町の周囲の森から食料を探して飛行場までやってきます。そして、私たちが戻ってきてからこの3日間は、診療を受けるために森から出てくるようになっています。
活動を再開するにあたって私たちが抱えた大きな制約の1つは、MSFの現地スタッフも、この地域の他の住民と同じくらい今回の暴力の影響を受けているということです。いまもスタッフのうち27人が行方不明です。
負傷者、マラリア――暴力の影響

患者であふれる外来部門で子どもの体重を量る看護師。
攻撃から3週間たったいまも、私たちは銃創や暴力から逃げるときに負ったけがで来る人びとを診ています。けれども、マラリアの症例も多いのです。ここで診る患者の半数弱はマラリアにかかっています。下痢や呼吸器感染の患者もいます。それは人びとが暴力を逃れて森のあちこちに逃げ、蚊帳なしに戸外で寝ていたからにほかなりません。その結果がいま表れているのです。
これはここピボール郡が受けた中でも大規模な攻撃です。私自身3日前は南へ避難の途にありましたし、見かけた村の半数は焼き尽くされていました。
同時に、ジョングレイ州ではこのような攻撃はこれが初めてではないということも付け加えておく必要があります。昨年はここピボール郡だけでなく、このピボールの北に位置するピエリでも数回攻撃がありました。現地にいたMSFのチームはここと同じ問題に直面しました。病院は略奪を受け、多くの人が避難し、負傷し、負傷者の間には多くの女性と子どもがいたことを。これが初めてではありません。これはジョングレイ州全域で繰り返し起きている問題なのです。
(このインタビュー収録後、行方不明になっていたMSFのスタッフのうち2人は居所が判明した。残る25人の安否はいまも不明である。)
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