リベリア:緊急援助の20年―看護師長の回想録―
2010年07月06日掲載
今年、国境なき医師団(MSF)はリベリアで最後の運営病院を現地保健省に移譲した。以下は、それまで現地で活動を続けてきたリベリア人スタッフ、看護師長のアメリア・クフロモの回想録である。MSFがリベリアで緊急医療援助を行った20年の間、リベリア人スタッフは14年間の過酷な内戦の時期を含めて長年にわたり、注目を集める出来事をMSFとともに経験してきた。
MSFは、リベリア国内で無償の医療提供と性暴力の被害者への支援を推進し、内戦中に数え切れないほど多くの人びとの命を救い、改善をもたらした。この功績はリベリア人スタッフの献身的な貢献により成し遂げられた。MSFは、自国の人びとに医療を提供することに情熱を傾けたリベリア人スタッフへ、深い感謝の意を捧げたい。
尊厳や人間性のない抜け殻のように扱われた戦時下

モンロビアにあるアイランド病院の救急処置室。
1994年、私はMSFに参加し、今年モンロビアにあるアイランド病院が移譲されるまで活動を続けてきました。戦時のことでまず思い出すのは空爆です。私は空爆を心から憎んでいました。1993年のある夜のこと、爆撃機が辺り一面を空爆し、みなはパニック状態で逃げ惑いました。私はまだ赤ん坊だった子どもを抱えてバナナの木の下に飛び込み、子どもを奥に押し込んで守りました。見ると、私の靴には血がにじみ、ズボンには血が滴っていました。
私は、あの爆撃機を毒ヘビに例えた詩を書きました。私は心を落ち着かせるため、よく文章を書いたり、絵を描いたりします。戦争について書くときは、それをトラと呼びます。どちらも命を奪っていくからです。戦争中のリベリア人のことは、中身のない貝殻(抜け殻)と表現します。私たちは兵士や避難先の国の人たちから、尊厳や人間性のない抜け殻のように扱われたからです。
命を救う大きな取り組みの一員に
2003年に内戦が終わったとき、私はギニアの難民キャンプでMSFの活動に参加していました。キャンプにはリベリア人難民が溢れ、マラリアがまん延し、私たちは難民の命を救うために日夜働き続けました。私は、キャンプや病院の救急処置室や病棟で、命を救う大きな取り組みの一員になれたことに感謝しています。
こうしてMSFが撤退することになり、私としてはちょっと複雑な気持ちです。MSFが活動してきた数年間は、無償で医療や治療を受けることができ、リベリア人にとっては本当に恵みでした。でも、MSFが去ってしまうと、とても寂しくなります。スタッフだけでなく、国中の人びとも同じ気持ちだと思います。
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