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南アフリカ共和国:カエリチャ地区、HIV/エイズとともに生きる人びと

2010年06月21日掲載

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南アフリカ共和国

カエリチャ地区は、南アフリカ共和国ケープタウン近郊の50万人以上が暮らす広大な黒人居住区で、成人の約3人に1人がHIV陽性です。南アフリカにおける流行の中心地であるこの国では、実に570万人もの国民がHIV/エイズとともに生き、その数は世界のどの国よりも多いのです。国境なき医師団(MSF)は、他の援助団体とともにカエリチャ地区の患者1万5000人にHIV治療を提供しています。
ここでは、HIV陽性者、看護師、カウンセラーなど、HIV/エイズとの闘いの先頭に立つカエリチャ地区の人びとの証言をご紹介します。

体感型バーチャルサイト「HALF-TIME – the HIV/AIDS crisis is not over!」

下記の証言は、体感型バーチャルサイト「HALF-TIME – the HIV/AIDS crisis is not over!」と合わせて見ていただくことで、より現地の雰囲気を身近に感じていただけます。詳しくは特集「ハーフタイム HIV/エイズ危機は終わらない」をご覧ください。
>>特集「ハーフタイム HIV/エイズ危機は終わらない」

ウブントゥ診療所

カエリチャ地区のウブントゥ診療所の待合室は、いつものように患者で一杯です。この日は雨模様の冬の日で、人びとは寒さと湿気から身を守るために厚着をしています。これまでのところ、同診療所では約6000人の患者がHIVと結核の治療を無料で受けました。ここは、アフリカで最も早くからHIVと結核の治療を1ヵ所で受けられるようにした診療所の1つです。

アンディシウェ・ララララ(23歳)、HIV陽性者

「HIV治療のおかげで人生を取り戻しました」
アンディシウェ・ララララ(23歳)、HIV陽性者

「去年医者に行ったとき、妊娠していることとHIV陽性であることを告げられました。同じ日に2つの『陽性』結果が出たことはショックでしたし、とても怖くなりました。でもウブントゥ診療所のカウンセラーがいろいろ助けてくれました。おなかの子どもへの感染を防ぐため、すぐに治療を始めました。子どものために祈りましたが、その祈りは通じたようです。息子はHIV陰性だったのです!治療のおかげで体調は随分よくなり、いまでは自分の家を建てて息子にいい暮らしをさせてやりたいと夢に描いています」

ノムフンディソ・ノンバリ(49歳)、HIV陽性者

「治療が無料でなかったら、いま頃は死んでいました」
ノムフンディソ・ノンバリ(49歳)、HIV陽性者

「陽性の結果が出た後はすっかり気持が沈んでしまいました。私には養うべき大家族があります。私が面倒を見られなくなったら、だれが見てくれますか?2005年に治療を始める前の病状は深刻でした。いまでは随分とよくなり、いろいろ手助けをしてくれたサポート・グループには感謝しています。治療が無料でなかったら、きっと生きてはいなかったでしょう。だって、食べ物を買うお金すらないときもあるのですから」

ヴヨカジ・ンザラ(26歳)、HIV陽性者

「科学者がHIVの治療法を発見してくれることが私の夢です」
ヴヨカジ・ンザラ(26歳)、HIV陽性者

「医者が私にHIV陽性だと告げた時、この病気のことは何一つ知りませんでした。治療を受けて2年になりますが、抗レトロウイルス薬(ARV)治療のおかげで体調は良好です。治療していなければ、今日ここにはいなかったでしょう。治療の必要なHIV陽性者のだれもが治療を受けられるようになればと思います。科学者がHIVの治療法を発見してくれることが私の夢です。これほどの苦しみを抱えて生きるなど、あってはならないことです」

ザンディスウェ・デュメデ(25歳)、HIV陽性者

「治療を必要とするすべての人が受けられるようにすべきです」
ザンディスウェ・デュメデ(25歳)、HIV陽性者

「私は25歳で、治療を受けて18ヵ月になります。治療を始める前は副作用が心配でしたが、いまは大丈夫です。治療の必要なほかの患者が受けられずにいるのがとても気がかりです。治療していなければ、私の人生は人生とは言えなかったでしょう。いま頃は死んでいたかもしれません」

エリザベス・ランゼラ、ウブントゥ診療所カウンセラー

「この仕事で最高なのは、治療を受けている患者が仕事に復帰するのを見るときです」
エリザベス・ランゼラ、ウブントゥ診療所カウンセラー

「私の仕事は患者がHIV陽性だという事実、そして本人と家族やパートナーに対してどんな意味があるのかを説明し、理解してもらうことです。検査と治療に関することなら、あらゆる支援を提供しようと努めています。また、非常につらい結核の治療を受ける患者も支援しています。仕事が大変な時もありますが、治療を受けている患者が回復して仕事に復帰するのを見ると、とてもやりがいを感じます」

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サポート・クラブ

HIV/エイズ治療の支援
ファネルワは毎日、服薬指導を行う「サポート・クラブ」で患者にアドバイスを行っています。彼女も患者と同じようにHIVに感染しています。ここでは患者同士で、それぞれが決められた薬を飲む手助けをしているのです。ARV治療は生涯にわたり続けなければならず、責任も重大です。薬は1日2回、決まった時間に欠かさず服用しなければなりません。

ファネルワ・グワシュ、MSFの服薬指導のサポート・クラブ、グループリーダー

「HIV/エイズ危機は終わっていません」
ファネルワ・グワシュ、MSFの服薬指導のサポート・クラブ、グループリーダー

「ときどき怖くなりますが、年齢を重ねるのを楽しみにしています。私は6月に38歳になりますが、ARV治療とその機会を与えてくれたMSFに感謝しています。HIV/エイズ危機はまだ過ぎ去っていません。私たちには山のように課題があります。たとえば、私たちはより新しく効果の高い薬を入手することができません。貧しい人びとが、もっと豊かな国なら手に入る薬がないばかりに死んでゆくのは痛ましいことです」

ノンプメロロ・マンタンゲナ、元MSF看護師、現在はウブントゥ診療所の施設管理者

「かつてHIV治療は民間診療所だけのものでした」
ノンプメロロ・マンタンゲナ、元MSF看護師、現在はウブントゥ診療所の施設管理者

「MSFが2001年にこの国に入った時の状況は劣悪でした。ARV治療は非常に高額で、民間診療所でしか受けられませんでした。HIV陽性者は、医療を受けられずに死んでいったのです。MSFは小規模な活動から開始して、現在カエリチャ地区では約1万5000人が治療を受けています。その多くは結核にも感染しているため、私たちはHIVと結核の診療所を統合して開設することで、遠方からやってくる患者が1ヵ所で治療を受けられるようにしています」

モニカ・ボーイ(30歳)、HIV陽性者

「もう怖くありません」
モニカ・ボーイ(30歳)、HIV陽性者

「2人目を妊娠した時にHIV陽性だとわかりました。最初はとてもショックで怖かったのですが、もう怖くありません。事実を知って治療を受ける方がいいです。正しく治療を受けている限り、私はいままで通りの私でいられます。仕事は警備員ですが、以前のように働くこともできます。妊娠中は子どもがウイルスに感染しないように薬を飲んでいましたから、娘はHIV陰性です。このサポート・クラブに来るのは本当に楽しみです。いろいろ助けてもらえます」

ノルタンド・ムツァウ(34歳)、HIV陽性者

「新薬はここでは手に入りません」
ノルタンド・ムツァウ(34歳)、HIV陽性者

「6年もの長い間、私は同じ治療を続けています。これほど長期になると、多くの患者は治療に失敗します。南アフリカではさらに効き目のある新薬が手に入らないため、その後の選択肢はほとんど残されていません。私を頼りにしている子どもが2人いるので、薬を正しく飲むよう細心の注意を払っています。服薬指導のサポート・クラブも助けてくれます。いまはカエリチャ地区の粗末な小屋に住んでいますが、いつかは自分の家を建てるのが夢です」

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ネリスワの家で

新居を得るための長い順番待ちリスト
新居のために10年間順番待ちを続けていたネリスワ・ンカリは、ようやく粗末な小屋からカエリチャ地区郊外のこの小さな煉瓦の家に引っ越すことができました。しかし同地区の住民の70%は、いまなお水も電気も衛生設備もないまま掘っ建て小屋に暮らしているのです。

ネリスワ・ムカリ、HIV陽性の治療教育担当

「サポート・グループが私の治療を助けてくれました」
ネリスワ・ムカリ、HIV陽性の治療教育担当

「2002年に発病したとき、身の回りには同じ患者がたくさんいましたが、自分自身がこの病気と関係があるとは思ってもみませんでした。私のパートナーはHIV陽性であることを隠していましたが、ずっと前から感染していたのです。私の検査結果が陽性とわかったときから、私は何年もの間パートナーに憤りを感じていました。子どももいましたし、HIVとどのように付き合っていけばよいのかわかりませんでした。お互いの経験を分かち合うサポート・グループが、私の治療を助けてくれました。将来のことですか? 楽じゃないですね。私が家族でたった一人の稼ぎ手で、家族と自分自身を支えていますから。でも、看護師かソーシャルワーカーになるために、学校に戻る日を夢見ています。私の目標は命を救うことです!」

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HIVと結核

最後のチャンス
結核はHIVとともに生きる人びとにとっての主な死因です。カエリチャ地区では、国内の他の地域と同様にHIV患者の70%以上が結核に二重感染しています。リゾ・ノバンダ結核ホスピスは、極端に重度の多剤耐性結核を発症した患者にとって最後のチャンスなのです。他の病院で治療に失敗した患者が、このホスピスに移送されてきます。

ルラマ・ジェームズ(40歳)、HIV陽性者

「死を待つばかりだということで退院させられました」
ルラマ・ジェームズ(40歳)、HIV陽性者

「2005年にHIV陽性だとわかり、同時に結核と診断されました。病状はとても重かったのですが、最初に結核治療を行う必要があったため、ARV治療を始めることができませんでした。しかも、不幸にも私の結核は多剤耐性だったので、都市部の診療所に18ヵ月間も入院していました。しかし治療は成功せず、私は死を待つばかりだということで家に帰されました。私は自暴自棄になり、家族に感染させることを恐れていました。ですから、このホスピスに来られてとてもうれしいです」

ググ・ムドゥレツェ、MSF看護師

「私たちは、患者への支援を決してあきらめたりしません」
ググ・ムドゥレツェ、MSF看護師

「カエリチャ地区では結核は深刻な問題です。患者は幅広い支援を必要としているのに、さまざまな汚名を着せられ、時には家族から排除されることもあります。この診療所では、患者が家族や子どもとより親密になれるように、MSFは人びとの近くで活動しようと努めています。また、治療の効果がない患者の世話もしています。ここに来る患者の中には、死を待つばかりだということで他の病院から自宅に帰された人もいます。ここでは決してあきらめずに、できる限りのことをして患者を支えます」

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看護師による医療

ゾーラ・マラウは看護師ですが、カエリチャ地区では医師の仕事を行っています。彼はHIV患者を治療するための研修を受け、自身の診察で重症の症例と判断した場合にのみ医師に相談します。こうした看護師による医療システムは、医療従事者が深刻に不足する中で、より多くの人びとがHIV治療を受けられるようにするという課題を克服するための鍵となっているのです。

ゾーラ・マラウ、サイトCユース・クリニックの看護師

「ここで働きたいと思う南アフリカ人医師はほとんどいません」
ゾーラ・マラウ、サイトCユース・クリニックの看護師

「ここに来ている多くの患者がHIV陽性です。患者には薬を取りに来て、ウイルス量を調べてもらいます。HIV陽性者の中に、いまでも安全なセックスを実践していない人がいるのは嘆かわしいことです。私たちは毎日説明会を開いて、自分たちの身を守るよう語りかけています。MSFは私たちを幅広く支援しています。ここで働きたいと思う自国の医師はほとんどいませんが、いまでは毎週MSFの医師が来て、重症患者を診察してくれます。MSFは看護師がHIV陽性者を治療できるように研修してくれるので、私たちはさらに多くの患者を治療できるのです」

ントムヒコ・ブスク(20歳)、HIV陽性者

「食べ物がないと治療はつらいです」
ントムヒコ・ブスク(20歳)、HIV陽性者

「はじめての子どもがお腹にいた時、HIV陽性だとわかりました。残念ながら子どもへのウイルス感染を防ぐには間に合わず、息子は生まれつき感染していて、わずか1歳で亡くなりました。いまはARV治療を続けていて、経過はとても良好です。薬は食べ物と一緒に飲まなければならないのですが、いつも食べる物があるわけではなく、副作用もひどいので、治療がつらいときもあります。ボーイフレンドが助けてくれていますが、もう子どもは産みたくありません。だれかをまた失うのが怖いのです」

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ユース・クリニック

若者に検査を
カエリチャ地区のサイトCにあるユース・クリニックでは、新しく寄贈されたプラズマテレビの画面に教育番組が流れています。また、日替りの説明会、心理・社会面の支援、音楽の聴ける休憩室などもあります。これらは、リスクの高い世代として知られる若者が、HIVの検査と治療により多く通ってもらえるように考えられた計画の一つです。

ヤンディスワ・ノンベウ、ピア・エデュケーター*

「若者がHIV/エイズと上手に付き合う手助けをしています」
ヤンディスワ・ノンベウ、ピア・エデュケーター*

「私は毎日診療所に来て、HIVとその予防法や治療について来所者に話しています。男の子はほとんど来ません。診療所に来るのが苦手なのだと思います。私は若者がHIVと上手に付き合うための手助けしようとしています。多くの若者はHIV陽性だと知ってもどうしていいのかわからず、きちんと考えられません。私は彼らに、HIV陽性でも何も変わらない、ただ血液中のウイルス量が増加しただけだと話しています。セックスするときは予防をしなければならないこと、そして治療を正しく受けることに注意するよう伝えています」

*年齢や立場の近い仲間を支援するための訓練を受けた人

センビサ・マケレニ、MSF看護師

「若者相手の仕事は一工夫いります」
センビサ・マケレニ、MSF看護師

「若者相手の仕事は一工夫いります。彼らには何のことなのか本当にわかっていないからです。検査を受けても逃げていきます。彼らに必要な治療を受けてもらおうと居場所を探してみても、私たちは嘘の住所と電話番号を彼らから受けとったという事実がわかるだけです。そういう理由で、私たちは検査やカウンセリング、治療やサポート・グループを含めた総合的なプログラムを用いているのです」

シジウェ・ノエヴィ(25歳)、HIV陽性者

「検査は怖くて受けられませんでした」
シジウェ・ノエヴィ(25歳)、HIV陽性者

「最初は怖くて検査を受けませんでした。何も知らずに家に帰りました。でもその後、まだ生まれていない子どもへの感染を防ぐために検査を受けようと決めたのです。医者がHIV陽性だと告げたとき、私は泣きました。あまりにも苦しくて、だれに話せばいいのか、何をすればいいのかわかりませんでした。時には自殺した方がいいと思うこともありました。若者には、自分の人生の面倒を見て生きてほしいと思います。体の状態を知ってこの病気の感染を防ぐよう、検査を受けなければなりません」

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働くアンディル

HIVとともに生き、結核で亡くなる
結核はHIVとともに生きる人びとにとっての主な死因です。カエリチャ地区では多くの診療所で両方の疾患の治療を受けられるようになっています。2ヵ所の診療所に通って、別々のカルテを作ってもらい、2人の看護師からケアを受けるのではなく、すべてが1ヵ所で完結するのです。結核とHIV治療のこうした統合は、患者と医療従事者の双方にとって時間と設備や人材の大幅な節約となっています。

アンディル・マドンディル、HIV陽性のピア・エデュケーター

アンディル・マドンディル、HIV陽性のピア・エデュケーター*
「私がHIV陽性だと家族に話すと、コップから浴室まで、何もかも一緒に使うことを嫌がりました。パートナーは私たちの3歳になる娘を置いて出て行きました。私は死のうと決め、ロープを用意して首にかけました。でも乗っていた椅子を蹴ろうとしたとき、3歳の娘が部屋に入って来て泣き出しました。すると近所の人が来てロープを切りました。その後、私はHIVのサポート・グループを教えてもらいました。そのときから、私は自分の体の状態を隠さずに生きるようになりました。また、ARV治療も始めました。いまでは人びとにHIVやエイズについて教えるまでになりました」

*年齢や立場の近い仲間を支援するための訓練を受けた人

ノエミール・ヴァラシヤ、HIV陽性者

「アンディルが私の命を救ってくれました」
ノエミール・ヴァラシヤ、HIV陽性者

「アンディルが私の命を救ってくれました。彼のラジオ番組で無料のHIV治療の可能性について知り、助けてもらうためにマエンゼケ診療所に来たのです。3ヵ月間治療を受け、体調はずっとよくなりました。診療所でコーディネーターとして働けるまでになったのです。何もかもアンディルのおかげです。命の恩人です」

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