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パレスチナ:ナブルスからの証言4 ―ある家族の話「私たちは逃げられない。耐えるしかないのです」

2010年05月11日掲載

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パレスチナ

国境なき医師団(MSF)のソーシャルワーカーが、ナブルス近郊のデル・シャラフにある入植地の隣に住む一家を訪問した。以下はその一家の父親による証言である。


あらゆることが禁じられています

自宅の目前にせまる入植地の青い壁を示す住民。
自宅の目前にせまる入植地の青い壁を示す住民。

1968年に入植地が建設されてから、ここは軍事区域になっています。当初、入植地はこの家から1km離れていましたが、徐々に拡大し、今ではほんの20mしか離れていません。私は検問所を通らなければ家に帰れません。車の進入は認められず、タクシーも家の近くまで来ることを拒否するか、または倍の料金を要求してきます。そのため、私たちは買った荷物を何kmも歩いて運ばなければなりません。ごみの収集等の公共サービスはここまで入ってこられません。ごみが一杯になっても燃やすことは許されていません。ある日、妹が脚を骨折しましたが、救急車が来られず、私が彼女を運ばなければなりませんでした。家を留守にしたり、1人だけで留守番をすることはできません。そうした時に入植者が来れば、ドアを壊すからです。

家の建設や修理、畑や菜園での作業は禁止されています。以前はミツバチの巣箱を持っていましたが、防護服を着ることが認められていなかったので、ミツバチはみな逃げてしまいました。ヤギを飼育することも認められず、売らざるを得ませんでした。私は教師ですが給料は低く、生活費は高くつきます。妻は婦人服の洋裁を行っていますが、客が来てくれません。私は副業を見つけたいと思いましたが、この区域を出入りする許可が必ずしも常に下りるわけではないため、断念せざるを得ませんでした。

兵士たちが去ったら、状況はさらに悪化するでしょう

入植者たちは時折、家の前の木の下にやってきて座っています。彼らは好きな時に、戸口、家の中、階段など好きな場所で、好きなことをします。梯子を上って2階の窓から私たちの様子を探ることさえあります。妻は常に体を覆っていなければなりません。夜になると彼らがうろついている音が聞こえますが、私たちは午後6時半以降の外出を禁じられています。ある年の冬、真夜中近くのとても寒い時に、服を十分に着ていない状態で私たちは外に出されました。子どもたちは恐怖におびえてベッドでお漏らしをしてしまい、翌日には全員とも具合が悪くなってしまいました。

昼間は、石などを手当たり次第に投げつけてきます。屋根に上っても、入植者とともに暮らしているようなもので、至る所にあるカメラで見張られており、私たちが下りるまで、拡声器で下りるようにと怒鳴ってきます。夏には窓はおろかカーテンさえ開けることができません。彼らは犬を送り込んでくることもあります。攻撃的な犬で、学校から帰ってくる子どもたちが襲われます。前回のインティファーダの間、彼らはタイヤを燃やし、私たちにすべてきれいに片づけ、黒こげのタイヤを下水池の中まで運ぶようにと命じました。私たちの体は汚れ、異臭がつきました。入植者に撃たれて亡くなった人びともいます。今のところはイスラエル軍が間に入っていますが、もし兵士たちが去ったら状況はさらに悪化するでしょう。私たちは常にできるだけ目立たないように行動するよう心がけています。

子どもたちが心の傷を負ったまま成長することを恐れています

教えている教室の窓から、自宅が見えます。一日中気がかりで、絶えず注意を払っているため、仕事に集中できません。転居もできないまま、常に精神的な圧力をかけられています。何の権利も自由もなく、すべてが禁じられています。常にあらゆることに対して、例えば外の灯りをつけることにでさえ、苦闘を強いられています。一息つける時などありません。ぐっすりと眠れたことはなく、疲れ果て、絶えず緊張状態、警戒態勢にあります。子どもたちには常に「だめ」と言って禁止することばかりです。自宅の屋根の下で遊ぶことさえ許されないのです! 他の親たちは、たとえ誕生日パーティーであっても、子どもをこの家に寄こしたがりません。

他の家の子どもたちは遊びや楽しみがありますが、そうした話を聞くだけの私の子どもたちは、非社交的で、孤独になりつつあります。入植者の子どもたちは私たちがテロリストだという教育を受けています。彼らは自転車を持っていますが、私の子どもたちはそれらを見ることさえできないのです。私の子どもたちは普通の幼年時代を送っていませんが、私にはどうすることもできません。彼らが心の傷を負ったまま成長し、問題を起こすことを恐れています。ここでは彼らに未来はありません。

家族全員が不眠や不安の発作に悩まされており、子どもたちは怒りっぽくなっています。私は血圧が高くなり、あちこちが痛み、病気だと思ってたくさんの薬を飲みました。MSFは私たちを安心させ、無料でケアを提供してくれました。有料ならば払うことはできなかったでしょう。食糧援助も本当に助かりました。訪問を受けて、少しの間でも自分は1人ではないという気持ちになれること、親しげにドアをノックし、様子を尋ねて会いに来てくれる人がいるということは、いいものです。

ここはもともと私の父の家でした。私はここで生まれ、ずっと住み続けてきました。それでも、ここを離れたいです。しかしそのお金がありません。それに行くあてもありません。土地はありますが、建物の建設は禁止されています。ここでの暮らしは語り尽くせません。話しても信じてもらえないだろうと思う時もあります。耐え難い状況です。一週間、私たちとともに暮らしてみてください。おそらく我慢できないでしょう。しかし、逃げられない私たちは耐えるしかないのです。

ニュース ― ヨルダン川西岸地区 ナブルスにおける新たな暴力の形

ナブルスからの証言1 ― 精神科医の報告―「臨床心理ケアを提供しているのはMSFだけです」

ナブルスからの証言2 ― パレスチナ人ソーシャルワーカーの報告―「パンしか食べられないこともよくあります」

ナブルスからの証言3 ― ある家族の話「そっとしておいてほしい、願いはそれだけです」

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