インド:医師が語る、マニプール州の少年ヴァンラルシャムの闘病記
2010年04月26日掲載
治療の転機をきっかけに、HIVと結核から劇的に快復した少年ヴァンラルシャムの様子を、国境なき医師団(MSF)のフィオナ・フィッシャー医師が語る。
![]() 2009年11月のヴァンラルシャム。 | ![]() 2010年4月のヴァンラルシャム。 |
HIV/エイズと結核に苦しむ少年
ヴァンラルシャムは現在11歳です。両親と2人のきょうだいは全員亡くなったため(HIV/エイズによると思われます)、おばあさんに育てられています。彼は2008年からマニプール州にある国境なき医師団(MSF)のシンガット診療所に通院し、インド保健省と共同で行われている抗レトロウイルス薬(ARV)治療と抗結核治療を始めましたが、いっこうによくなることはありませんでした。MSFが治療内容を少し変えてみましたが、依然として快復しませんでした。その後、病状が悪化したため、チュラチャンプールにあるシャローム・コミュニティ・ケアセンターに入院しました。MSFはこのセンターに医薬品、医療物資の提供、医療従事者の派遣を通じた支援を行っており、週に3回、MSFからインド人医師1名と、HIVと結核を専門とする外国人派遣スタッフの医師1名が赴いて、シャロームの医師と共に回診を行っています。
結核か、HIVか、迫られた選択
最初の写真は2009年11月にシャロームで撮影されたものです。正直、彼が生きのびられるとは思っていませんでした。慢性的な下痢に悩まされ、食欲はなく、重度の肺結核(胸のレントゲン写真は悲惨でした)も患っており、体調が非常に悪かったからです。MSFにとって、この病状が多剤耐性結核か、あるいは薬剤耐性HIVなのか、判断するのは困難でした。多剤耐性結核の検査に用いる痰のサンプルを取ることもできないほど弱っていました。しかし、体内のHIVウイルス量が非常に高い値を示したとき、私たちはリスクを回避するため、薬剤耐性HIVの治療を選びました。そして、治療法は通常とは異なる第二選択薬によるものに変更しました。(この第二選択薬の場合は、結核治療薬との相互作用を抑制する錠剤も併せて服用します)
治療が功を奏し、見違えるほど元気に
2枚目の写真は、2010年4月にチュラチャンプールにあるMSFの地域診療所で経過観察を受けたときのものですが、同じ少年だとは信じられないほどです。彼のおばあさんは大喜びで、明らかに孫を甘やかしています(彼は大きな袋入りのポテトチップスを食べていました!)。今では、おばあさんは毎日彼を数km先の学校まで歩いて送って行き、学校が終わるのを待って、また家へと歩いて連れて帰っています。私が最後に見たとき、彼はどこにでもいる健康な11歳の少年と同じく、クラスメートと楽しそうに遊んでいました。
MSFはインド北東部のマニプール州で診療所4ヵ所を運営しており、基礎的な医療、HIV/エイズ治療、結核治療、カウンセリング、および産科医療を提供している。2009年には、3万1000件を超える基礎的な医療の診察を行った。HIVに感染している妊婦には、本人の健康とHIV母子感染予防のためのARV治療を提供している。現在、400人以上のHIV患者がARV薬を用いた治療を受けている。
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