バングラデシュ:暴力的な弾圧でさらに深まる未認定ロヒンギャ難民の人道的危機
2010年02月掲載
バングラデシュに暮らす無国籍のロヒンギャ族は、これまでにない暴力と強制送還の対象になっている。国内のロヒンギャ難民に対する暴力的な弾圧と見られる行為を逃れて、ここ数週間で数千人がクトゥパロン仮設難民キャンプに到着している。

ミャンマーからバングラデシュへ難民として逃れ続けるロヒンギャ族。
国境なき医師団(MSF)は、コックスバザール地区のクトゥパロンに設けた診療所で、バングラデシュ当局と地域住民から暴行やその他の迫害を受けた被害者を治療した。負傷した人びとは、県内の避難場所から退去させられ、隣国ミャンマーとの国境となっている川に追い込まれることもあった。
2009年10月以降、クトゥパロン仮設キャンプの人数は6000人増加し、うち1月だけでも2000人が到着している。公式に認定されていないロヒンギャ難民は自立の道を阻まれ、公的支援を受けることも許されない。難民の人数が増加するにつれて、約2万9000人は何のインフラも整っていない狭い地域にキャンプを設けているが、健康面で深刻な危機に瀕している。今すぐこの人道的危機を阻止する対策が必要である。
MSFは1992年からバングラデシュ国内のロヒンギャ難民と地域住民に対して医療を提供している。
【時を経ても変わらないロヒンギャ難民の窮状】
- バングラデシュのロヒンギャ難民
- クトゥパロン“仮設”難民キャンプ
- 未認定ロヒンギャ難民への暴力的な弾圧
- 仮設キャンプにおける人道的危機
- ミャンマーへの強制送還
- 歴史は繰り返す
- 各当事者による早急な解決策
【フォトギャラリー】
1.バングラデシュのロヒンギャ難民

クトゥパロン仮設キャンプ。公設キャンプで援助を受けられるのは難民の10分の1。
ミャンマーの民族・宗教上の少数民族であるロヒンギャ族は、数十年にわたってバングラデシュに避難し続けている。出身国の情勢が周知されているにもかかわらず、現在、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が監督する公設難民キャンプで生活しているのは、バングラデシュ政府によって“一応の難民”として認められている、わずか2万8000人に過ぎない。一方、全く対照的に、約22万人は認定されることなく、援助のほぼない状況を生き延びている。彼らは、公設難民キャンプに暮らす仲間と全く同じ状況から逃れてきたにもかかわらず、不法移民として生活せざるをえず、健康上のリスクが多く、搾取や虐待を受けやすい弱い立場に置かれている。バングラデシュ政府とUNHCRとの協定によって、後者の活動対象は認定難民2万8000人のみに制限されている。そして世界中の難民の保護を任務とするUNHCRは、この不公平な現状に対して(少なくとも表だっては)ほとんど異議を唱えていない。
バングラデシュ国内のロヒンギャ難民の大半は、ミャンマーとの国境に接し、過密状態で資源の乏しいコックスバザール地区に暮らしている。自発的に定住したロヒンギャ族数千人は、長年にわたって地域社会で生活しているが、その存在は、すでに乏しい資源に対する負担、また地域労働市場においては安価な労働力を提供する脅威と見なされることが多い。地域で歓迎しないという感情は地元のメディアによって増幅され、政治面で点を稼ごうとする地方政治家たちにとっては、ロヒンギャ族は攻撃しやすい対象となっている。
2.クトゥパロン“仮設”難民キャンプ

MSFの調査開始時、難民の90%が深刻な食糧不足に直面。
MSFは2009年に、UNHCRの支援するクトゥパロンの公設難民キャンプ周辺に、多くの未認定難民が絶望的な状況で集まっているとの連絡を受けた。MSFが同年3月上旬に最初の調査をしたところ、2万人以上の難民の存在を確認したが、うち90%が深刻な食糧不足に直面していた。栄養失調率と死亡率は緊急事態を示すレベルを超えており、人びとは安全な飲み水の入手、衛生設備の利用や医療を受けるといったことが困難な状況にあった。
この状況に対し、MSFはただちに緊急人道援助を開始し、重度栄養失調児の治療、基礎的な医療の提供、給水活動と廃棄物処理施設の改善にあたった。その後の1ヵ月間に、MSFは集中栄養治療プログラムに1000人を超える子どもたちを受け入れ、外来部門において約4000人の5歳未満児を治療した。プログラムはそれ以降、外来・入院治療、新たに設けられた仮設キャンプとその周辺に暮らす人びとの一般的な医療ニーズに沿ったアウトリーチ活動*を含め、さらに広範な基礎的な医療プログラムへと発展していった。
*アウトリーチ活動:こちらから出向いて、援助を必要としている人びとを積極的に見つけ出し、サービスを提供すること
3.未認定ロヒンギャ難民への暴力的な弾圧

クトゥパロンに設けた診療所で患者を診察するMSF現地スタッフ。
2009年6月から7月にかけて、現地当局はクトゥパロンにあるUNHCRの公設キャンプ周辺の土地を整地する目的で、住居を破壊し、住民を強制退去させた。MSFは認定されていないロヒンギャ難民への暴力を直接目撃し、負傷者の何人かに医療を提供した。当時、MSFは診療所に来院した暴力関連の負傷者27人を治療したが、最年少の患者は地面に投げつけられた生後5日の乳児だった。
その後、2009年10月になって、MSFのクトゥパロン診療所には再び暴力関連の負傷を受けたロヒンギャ難民が来院し始めた。この時は患者たちが、バンダルバン地区にあった家を追われ、多くの家屋が当局によって破壊されたと語った。中にはナフ川へと追い込まれ、泳いでミャンマーへ帰れと言われた人もいた。2010年1月、今度はコックスバザール地区から同様の体験をした患者が来るようになった。当局の暴力行為に加えて、ロヒンギャ難民は地元の指導者とメディアによって反ロヒンギャ族感情を煽られた地域住民による被害も受けている。こうした時期を通して、MSFは打撲傷やなたによる切り傷を負った患者、またレイプの被害者を治療してきた。この傾向は現在も続いている。
MSFの診療所で、開いた傷口の手当てを受けていた患者がこう尋ねた。「避難場所を求めて逃げてきたのに、滞在し始めてから1週間もたたないうちに盗賊がやって来て、有り金をすべて奪われ、なたで斬りつけられて殺されそうになりました。今度はどこへ逃げればいいのでしょうか?」
4.仮設キャンプにおける人道的危機

窮屈で不衛生な生活環境による健康への深刻な影響が懸念される。
現在、恐怖のただ中で、行くあてもないロヒンギャ難民数千人がクトゥパロン仮設難民キャンプに到着している。中には、夫が働きに出たまま戻って来ず、しかたなく子どもたちを連れてはるばるやって来た女性たちもいる。このような女性たちは家族を養う手段もなく、逮捕される危険を冒してでも保護を求めようと大挙してキャンプにたどり着いた。
先日仮設キャンプに到着したある患者はこう語る。「ここで家を手に入れたと思っていましたが、ミャンマーを離れてから15年間ともに暮らしてきた地域の人びとに2ヵ月も身の安全を脅かされ続けたため、出て行かざるをえませんでした。悲しい気持ちで、このキャンプにやって来ました。家財はすべて失いましたが、命と家族のほうが大切です」
2009年10月以来、キャンプの人数は25%以上(約6000人)増加したが、そのうち2010年1月だけで2000人が到着した。収容者数は合計2万8400人以上を数え、クトゥパロン仮設難民キャンプに暮らす未認定ロヒンギャ難民は、バングラデシュでUNHCRが援助する認定難民の人数を超えている。公式に認定を受けていないため、このような難民は何の保護も受けず、大半は援助も受けられないまま、過密状態での生活を強いられている。自立の道を阻まれると同時に、UNHCRによる食糧援助を受ける“資格”ももたない。人数が増え、資源が徐々に少なくなるにつれて、窮屈で不衛生な生活環境が人びとの健康状態への深刻な影響が懸念されている。
5.ミャンマーへの強制送還

ロヒンギャ難民の滞在は、好ましくない状況として繰り返し報道される。
2009年10月24日、MSFスタッフは負傷した仮設キャンプの難民4人を治療した。患者たちの話では、夜間に警官の尋問を受け、滞在許可証の提示を求められたという。許可証を持っていないとわかると、警察の車に無理やり乗せられ、殴られ、最後にはミャンマーとの国境となっているナフ川に突き落とされて、国へ帰れと言われたとのことだった。しばらく水中に身を潜めた後、彼らはMSFの診療所へ助けを求めに来た。この時は、難民は受けた傷の治療を求めてクトゥパロンへ戻って来ることができた。しかし、国境の向こう側へと追い返されて行方不明となった人びとの話は数多い。バングラデシュの国境警備隊による強制送還の企ては、地元のメディアで頻繁に取り上げられ、またコックスバザール地区のいたる所に未認定のロヒンギャ難民が滞在していることが繰り返し語られている。このような活動は国際法に明記されたノン・ルフールマンの原則(安全に対する脅威が存在する限り、出身国へ追放または送還されない権利)に明らかに反するものである。
6.歴史は繰り返す

2002年から8年たっても、難民の窮状は変わらない。
MSFが、病気や搾取、虐待に対して弱い立場にあり、絶望的な状況で身を寄せ合う多数の未認定ロヒンギャ難民を目にするのは今回が初めてではない。MSFが公設キャンプの1つで活動していた2002年にも、警察による「オペレーション・クリーン・ハート」と称する治安改善のための作戦によって、ロヒンギャ難民は自宅から強制退去させられ、沼地のような狭い土地に「タル」仮設キャンプが開設されるきっかけとなった。
このタル・キャンプは移転し、MSFは2006年の春、コックスバザール地区のテクナフにある冠水した細長い土地に設けられ、非人道的なまでに不衛生な環境の新たなキャンプ地で、未認定ロヒンギャ難民約5700人(人数は増加の一途をたどった)への医療プログラムを開始した。MSFによる2年間の人道援助と強力な証言活動の末、ついにUNHCRと国際社会の支援が得られるようになり、2008年の半ば、バングラデシュ政府はレダ・バザールに約1万人が移転できるよう新たな土地を割り当てた。1年もたたないうちに、レダ・バザール・キャンプには1万3000人近くが暮らすようになったが、基本的な生活環境はほとんど変わらなかった。現在、人びとは認定も自立の機会もないまま、ますます敵対的な環境で、なんとか生き延びようとしている。
結局のところ、クトゥパロンやバングラデシュ国内の他の土地に住む未認定ロヒンギャ難民の窮状は、関係者のいずれもが対策を講じようとしてこなかった、さらに大きな慢性的問題の一部に過ぎない。ミャンマーに端を発したこの問題は、弱い立場に置かれた無数の人びとの健康と尊厳にかかわる地域的な難題へと変化した。MSFは2002年、こうした難民の容認しがたい状況が10年めを迎えた節目の年に、『ワニと蛇の狭間で』という標題で写真展を開催した。驚くべきことに、その後さらに8年が過ぎた現在でも、ロヒンギャ難民の状況は基本的に変わっていない。彼らは依然として将来の展望のない絶望的な状況に陥ったままで、無視や虐待、搾取に対して弱い立場にあり、また現在受けているような非常に暴力的な弾圧に対してもなす術がない。
7.各当事者による早急な解決策

祈りを捧げるキャンプ内のロヒンギャ難民。
ロヒンギャ難民への迫害が続き、人道的危機が高まる現在、バングラデシュ政府は暴力行為をただちに停止し、これらの非常に弱い人びとが当然受けるべき保護を提供しなければならない。さらに同政府は、国際法に違反する形で未認定の難民をミャンマーへ強制送還することを止めなければならない。
UNHCRは、バングラデシュ国内で亡命を求める未認定ロヒンギャ難民を保護するために、さらに踏み込んだ措置を取る必要がある。また、バングラデシュ政府と交わした協定の内容が、自国による保護を失った人や帰るべき国を持たない人のための国際保護団体という自らの役割を損なうことを容認してはならない。今日、こうした危機と取り組む上で国連としての明確な指針が存在しないため、非常に弱い立場にある膨大な数の人びとが危機に瀕している。人道的ニーズと容認しがたい虐待が起こっている状況についてMSFが継続的にUNHCRに警告してきたにもかかわらず、このような事態に至っている。
周辺アジア地域の国々は、より根源的な問題の解決に重要な役割を担っている。2009年に発生したタイ政府がボート難民のロヒンギャ族を拘束した後、外洋に放置した「ボート危機」事件でも明らかなとおり、無国籍のロヒンギャ難民の状況に関しては周辺アジア地域の複数政府による解決策が必要である。そして国際社会も、バングラデシュ政府とUNHCRに対して、未認定ロヒンギャ難民が同国内にとどまっている限り、永続的な尊厳と幸福を保障する施策を採択できるよう支援しなければならない。バングラデシュは人口密度が高く、バンダルバン地区とコックスバザール地区は最貧地域に含まれている。地域レベルでは、労働、居住空間、そして資源をめぐる苛烈な競争は避けられない。このような問題の解決策を見いだし、適切な保護と援助の提供を保証するためには、資金拠出国と周辺諸国による強力な資金面、政治面での支援が必要である。
MSFは1992年からバングラデシュで医療を提供している。現在、クトゥパロンでのプログラムに加えてMSFはフルバリア郡でカラアザール治療プログラムを開始し、チッタゴン丘陵地帯で基礎的な医療プログラムを運営している。MSFは2009年5月末にバングラデシュを襲ったサイクロン「アイラ」による数万人の被災者にも対応した。
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