ハイチ:「MSFとともに、同郷の人びとを治療しています」
2010年02月22日掲載
ジェラルディン・オーガスティンは、多くのハイチの人と同じように、地震発生直後から被災者の援助にあたっている。若く熱意とエネルギーに溢れる医学生の彼女は、つい最近国境なき医師団(MSF)の活動に加わった。オーガスティンを始めとしたハイチ人スタッフ約1500人の力で、MSFの現地における医療活動が現実のものとなっている。オーガスティンは、女子高だった建物に設置されたMSFの術後ケア施設で働いている。地震後の生活と活動について、彼女は次のように語った。
母をなくした次の日、自分にできることを行動に移しました

医師になることを諦めず、また、これからも移動診療で医療
活動を続けていきたいと語る、医学生のジェラルディン・
オーガスティン。
私の名前はジェラルディン・オーガスティン、医学の勉強をもう少しで修了するところです。1月12日、私は授業に出るため大学へ向かっているところでした。突然、地面が揺れ始め、次の瞬間すべての家という家が土砂に埋まり、あらゆる場所で死者とけが人が発生しました。幸運なことに、私はけがをしませんでしたが、私の母は亡くなりました。
ハイチがあんな地震を経験するのは初めてでしたから、だれも何が起こっているのかわかりませんでした。
地震の翌日、私はまだ母の死をいたんで泣いていましたが、持っていた薬すべてを手に、車がある人を見つけて、助けを必要としている人びとの治療に向かいました。どこもかもけが人で溢れていました。私は非常にたくさんの人びとをひたすら治療し続けました。そして、たまたま通り掛かったMSFの活動現場で、最も緊急性の高い重症な患者はMSFに搬送できると聞きました。それ以来、MSFと連絡を取るようになったのです。
私もMSFも同じことをやっていたので、力を合わせたほうがよいと思いました。ですから、被災からおよそ2週間後にMSFの一員になり、被災者への援助に従事しています。私はハイチ人ですから、自分の仲間を助けたいのです。まだ医師として卒業していないので、看護師として働いています。自分が必要とされているところで、あらゆる手を尽くして助けになろうとしています。患者はひどく苦しんでいて、ほとんどの人が大きな心的外傷を受けています。
全員が被災者―私も患者さんの気持ちがわかります―
MSFでは、毎日休みなく働いています。命を救い、患者を助け、助けを必要としているすべての人に手を差し伸べるため、私たちにできることはすべてやっています。多くの人がけがを負い、手足を切断しなければならなかった人や、現在精神的に不安定になっている人がいますが、MSFで適切な処置を受けています。
私も震災で母を亡くし、家も失って、とても辛いです。私たちは今、野宿生活をしています。こんな状況に適応しようと努力していますが、きっと無理でしょう。だれもが苦しんでいます。皆が身近な人を亡くしている、こんな状況に慣れられる人はいません。皆、辛くて、辛くて仕方ないのです。12日の火曜日を忘れる人は、だれもいないでしょう。
ここで働いている看護師とスタッフは、全員が地震の被災者です。彼らは仕事に徹し、被災者の世話をできる場所を探していますが、彼ら自身の生活環境は惨憺たるものです。
私は小さな割り当て地で、今現在テントもなく、野宿生活をしています。がれきの下にはまだ遺体が残っており、またトイレもないので、ひどい悪臭が漂っています。飲料水の問題もありますが、私たちのエリアでは、現在MSFが水の配給を行っているので、状況はよくなりつつあります。
夜勤のときは、昼間眠らなければなりませんが、太陽の下ではほとんど眠れません。夜、雨が降るときも本当に大変です。
この病院の患者は、また地震が来るのではないかと、常に警戒しています。彼らは、自分は死ぬのではないか、自分にまだ未来はあるのだろうか、と思い悩んでいます。病院のテントの中でさえ、地震が発生したら崩れるのではないか、と尋ねられます。私は、「もちろん、崩れませんよ」と答えています。
ハイチ人スタッフは、このプログラムにおいて非常に重要な役割を果たしています。患者と同様に私たちも地震の被災者ですから、患者の気持ちがわかります。文化的背景も患者と同じですし、話す言葉も同じです。ですから、どこが不調なのか特定するのを助けられます。私たちは患者に近い存在なのです。
次の目標―医師になって命を救いたい―
学校の医学部に戻れるかどうかはわかりません。まず、大学が全壊したので、大学がどうなるのかわかりません。それと学費を払ってくれていた母が亡くなってしまったので、学費も払うことができません。医学部での勉強を続けられるよう、奨学金を探そうと思います。
医師になって命を救うことは私の夢です。
これまでやってきたように、どんなことがあっても地方の移動診療での活動を続けて、人びとを助けていくつもりです。これは、地震の直後に私を行動させたのと同じ、皆を思う気持ちからです。多くの人が私の仕事が重要だとわかってくれていますし、、私も責任を感じています。
MSFがやって来たとき、私の仕事を助けに来てくれたようにも感じました。MSFがなかったなら、自分で代わりのものを作っていたでしょうから。
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