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パレスチナ・ガザ地区:MSFの医療コーディネーターからの報告

2009年11月19日掲載

イスラエル軍による軍事攻撃、「鋳造された鉛」作戦は、2008年12月27日にガザ地区で開始された。この作戦は、住民の生活にどのような影響を及ぼしたのだろうか。2009年7月に現地の患者、MSFの外国人派遣スタッフ、およびパレスチナ人スタッフに対して行われたインタビューはその実態を伝えている。

ここでは、医療コーディネーターのアブ・アベド医師による報告を紹介する。


爆撃のさなかでも、救急車は物資を積んで走りました

アブ・アベド医師(右端)
アブ・アベド医師(右端)

戦争が始まったとき、プログラム・コーディネーターがすぐに私に電話をかけてきて、病院へ行くように告げました。私たちはMSFの薬局に立ち寄り、包帯交換、やけどの治療用物資、そして、医薬品を含めた緊急医療キットを作るための物資を入手しました。病院と1時間ごとに連絡を取り続け、必要に応じて、これらの物資を無償で供給しました。爆撃のさなかでも、救急車は物資を積んで走りました。

シファ病院はMSFの事務所に近かったのですが、私たちはたどり着くことができませんでした。病院には負傷者が絶え間なく運ばれていました。亡くなった人も多かったため、遺体安置所はいっぱいとなり、他の部屋に遺体が安置されました。

また、35人の患者が集中治療室のベッド20床が空くのを待っていました。緊急治療室もいっぱいでした。負傷者は手術の前にこの部屋で容体を安定させ、手術室では同時に3人の手術が行われていました。緊急事態を考慮して数多くの切断手術が実施され、戦争の開始日だけで35例もありました。スタッフも不足していました。病院にたどり着いたスタッフは全力を尽くしましたが、疲れ果てていました。

子どもたちは極度に怯えていて、停戦時間を待ってトイレに行きました

病院側の受け入れ数の都合から、早期に退院せざるをえなかった患者の治療にあたれるよう、私たちはガザ地区内に術後ケア診療所を開設し、近辺に住むMSFスタッフを配置することを即座に決定しました。MSFの運営する他の診療所、ハン・ユニスの術後ケア診療所とベイト・ラヒアの小児科診療所は、治安状況が悪く、再開できませんでした。

地上侵攻が始まったとき、私たちは国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の学校に出向いて避難民のニーズを調査しました。避難民の中には医師がいたので、医療物資と医薬品を提供し、過密状態の避難所で人びとの治療ができるようにしました。そこでは、トイレの数が不足し、深刻な衛生問題も発生していました。私たちは飲料水の配布を行いました。

人びとはパニックに陥り、鬱状態でした。子どもたちは極度に怯えており、1日3時間と決められた停戦時間帯を待ってトイレに行っていたほどでした。

今後も、不足する医療ニーズに取り組まなければなりません

MSFは引き続き、不足している医療サービスを補う取り組みを行わなければなりません。術後ケアのニーズは減少していくでしょうが、その他のニーズ、特に心理ケアのニーズが出てくるでしょう。戦争の心理的影響は甚大です。今年1月まで、MSFは暴力の被害者への心理ケアを提供する唯一のNGOでした。1月以降、ガザ地区には専門的な活動団体が押し寄せてきていますが、私たちと同様の治療法を用いる団体はほとんどなく、各団体の活動を調整するのは非常に困難です。

ガザ地区でも他の国でも、何百人もの人びとが戦時中や戦後に合併症を発症して手足の切断手術を受けています。しかし、MSF自体が義手や義足の製造にたずさわるのは難しいと思います。組織的な枠組み、人材、専門的な物資が必要となるでしょう。切断手術を受けたMSFの患者60人が、この問題に取り組んでいる唯一の現地援助団体の順番待ちリストに名を連ねています。

私にとっては、ガザ地区では何も変わっていません。これまで同様に厳しい現実です。復興には何年もかかるでしょう。今回の戦争では、だれもが身近な人を亡くしています。

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