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パレスチナ・ガザ地区:患者へのインタビュー

2009年11月19日掲載

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イスラエル軍による軍事攻撃、「鋳造された鉛」作戦は、2008年12月27日にガザ地区で開始された。この作戦は、住民の生活にどのような影響を及ぼしたのだろうか。2009年7月に現地の患者、MSFの外国人派遣スタッフ、およびパレスチナ人スタッフに対して行われたインタビューはその実態を伝えている。

ここでは、4人の患者へのインタビューを紹介する。


ジェハド(20歳) ベイト・ラヒア術後ケア診療所にて

ジェハド、20歳の男性 − ベイト・ラヒア術後ケア診療所

1月3日のことでした。私は自転車で大学へ行くところでした。戦闘機が私めがけて銃撃しました。理由はわかりません。気を失って20日間、昏睡状態でした。サウジアラビアの病院で意識を取り戻し、左腕を失ったことを知りました。両足に開放骨折(折れた骨が皮膚を突き破っている骨折)を負い、顔面に銃弾の破片を受け、聴力を失い、ひどく疲れていました。

サウジアラビアで5ヵ月入院し、カイロ経由の空路でガザ地区に戻りました。ラファ検問所で入国を許可されるまで2日待たされました。ここで私と同じように治療を受けている友人が、MSFの治療を受けるよう勧めてくれました。

この新しい体に慣れるまで苦労しました。今ではほぼ一人で動けますが、大変です。大学での1年をふいにしてしまいました。来年復学したいと思っていますが、筆記するのは困難です。私の義手は機能的ではなく、単なる飾りなのです。

現在ガザ地区には障害を持った人びとがたくさんいます。また、夫を失った女性、孤児、住居を失った人びとも多いです。子どもたちは怯えています。私の見る限り、私たちの将来の展望は非常に厳しいと思います。でも、私はガザで生まれ、この土地を愛しています。ここで学び、結婚し、家庭を作り、生活していきたいのです。

アロイア(10歳) ガザ術後ケア診療所にて

アロイア、10歳の少年 − ガザ術後ケア診療所

僕は、お母さん、生後11ヵ月の弟、叔母さん、いとこと一緒に通りにいました。戦車が僕たちめがけて撃ってきました。お母さんと弟といとこは死にました。叔母さんと僕はけがをしました。救急車が来て、僕たちを乗せてくれました。とても痛かったです。

シファ病院へ運ばれました。叔母さんのけがの状態はひどかったため、両足を切断しなければなりませんでした。僕は25日間入院しました。体にピンを入れ、銃弾の破片を取り除き、傷ついた組織を修復する皮膚移植を受けました。

6ヵ月間、包帯交換と理学療法を受けるために通院しています。骨移植を受けるMSFの順番待ちリストにも入っています。1ヵ月以内に手術することになると思います。

僕は怒っています。それに悲しいです。いつも泣いています。お母さんが恋しいです。友だちも同じような子が多いです。できるのは、コンピュータで遊ぶことぐらいです。

アロイアの父の言葉
私は怒っています。いつも妻のことが頭から離れず、寂しくてしかたありません。息子は沈黙の世界に閉じこもってしまいました。

ハニ(39歳) ガザ術後ケア診療所にて

ハニ、39歳の男性 − ガザ術後ケア診療所

戦争が始まった日、すべての警察署が爆撃されました。私はある警察署の近くにいました。アパッチ・ヘリコプターが銃撃してきました。私を含め、一緒にいた4人は、全員重傷を負いました。私は腕を負傷し、胸に銃弾の破片を受けました。車でシファ病院に運んでもらい、エジプトに移送されるまで2日間入院しました。エジプトでは53日間入院しました。医薬品や器具の費用は、自分で支払わなければなりませんでした。

その後、MSFによる無料の治療を4ヵ月間受けています。どんどん回復しているように感じます。しかし、まだひどい痛みがあり、あまりよく眠れません。冬には金属のピンが冷たくなるので痛いです。

そもそも人生とは厳しいものですが、けがをして障害をもつと、さらに厳しくなります。私はもう働けません。私たちは国境を閉ざされた地域に捕らわれているのです。もしここから出る機会があれば、絶対にそうします。子どもたちにも、だれにとっても、ここに未来はありません。

セディア(53歳) ガザ術後ケア診療所にて

セディア、53歳の女性 − ガザ術後ケア診療所

戦争中は電気が使えなかったので、石油ランプを使っていました。私の家のすぐ近くで爆撃があり、飛んできた銃弾の破片がランプに当たって倒れてきました。私は両手、顔面、胸にやけどを負いました。救急車でシファ病院に運ばれました。

やけどの治療センターには、1ヵ月以上入院しました。戦争が長引くにつれて、子どもたちが心配になりました。銃撃や爆撃の音、あらゆるサイレンの音がずっと聞こえ、新しい患者が次々と運ばれてきました。ベッドは数が足りず、たくさんの人が死に瀕していました。

私はテントの下で3回の手術(創縁切除、皮膚移植、皮膚性拘縮の除去)を受け、その後、MSFの術後ケアを受けました。私は回復してきています。私立病院なら、すべての治療費と薬代を支払うことなどできなかったでしょう。

ここでの生活はあまりにも厳しいです。仕事はなく、夫も息子も失業中です。私たちは捕らわれの身で、ここには電気も何もありません。私は障害者で、家事をするのも困難です。以前のような普通の生活に戻りたいです。

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