プログラム責任者ダナ・カナリの日記 第二編 - ケニア・ダダーブ難民キャンプより -
2009年06月26日掲載
ダナ・カナリは国境なき医師団(MSF)のプログラム責任者として、ケニア北部の町ダダーブにあるダガレイ・キャンプで3ヵ月間勤務しました。このキャンプにはソマリアで起こっている戦闘を逃れてきた27万人以上の難民が暮らしていますが、食糧、水そして適切な住居が著しく不足しているため、その多くがソマリアの戦闘地帯に戻ることを考えているといいます。
カナリの日記からの抜粋を通じて、ダダーブにおける援助活動従事者の生活を3回シリーズでご紹介します。

新たにキャンプに到着した人たちはビニール・シートをもらう
までに待たされることもある。
ダダーブの、ダガレイ・キャンプ
2009年4月1日。バリケード、投石、そして死んだ鶏
今週は3回、私たちの車は道路の通行を妨害され、石を投げつけられました。1回目は、MSFに直接向けられたものでした―私たちの車の1台が、鶏をひいたためだそうです!事態は、現地スタッフのアブがうまく収めてくれました。彼は穏やかな口調で話しかけ、大型車の通行さえ遮るような、とげ付きの枝でできたバリケードを取り除くよう、説得しました。この件に巻き込まれた仲間は震え上がりましたが、幸いなことに、けが人は1人もでませんでした。(といっても、私は指にトゲが刺さって死ぬほど痛かったのですが。)投石を扇動したのは、MSFの仕事に応募したのだけれども採用されなかった2人の若い男性でした。
2回目のバリケードは、難民キャンプ内で水の供給を行っている人道援助団体をターゲットにしていました。私たちは、その団体と同じ道路を通っていたので、巻き込まれたのです。3回目は、学校が休みで何もすることがない子どもたちが、前回の騒ぎと同じような興奮をただ味わいたくて、起こしたことでした。
鶏はどうなったって?私たちの運転手は、鶏をひかなかった、と話しています。でも誰かがひいたことは確かだから、人道主義者である私たちは、弁償を申し出ることにしたのです。最初、法外な値段を要求していた所有者の家族は、最後にはMSFに弁償させたくない、と言い出しました。そのかわり、私は他のNGOに、特に学校の近くはスピードを落として運転するように伝えると約束しました。難民たちは、MSFへの尊敬と感謝を言明し、私たちの活動を決して邪魔しないと約束しました。彼らは投石の後には、いつも同じことを言うので、彼らとしてはそのつもりなのだと思いますけれども。
2009年4月9日 暴力集団とゆすり
1人の難民女性が、行き交う歩行者を当て込んで、私たちの診療所の向いに小さい屋台を建てました。彼女は、ミラ(quatとしても知られている緑の葉っぱで、刺激物として噛んだりお茶にしたりする)など幾つかのものを売って、その代金を、彼女が世話している孤児たちの養育費にあてていました。今日、ソマリアで武装集団のリーダーをしていたと噂される男がそこへ来て、彼女のお金を巻き上げました。この男は彼女に近づき、その場所に屋台を建てる権利はない、と言ったのです。その後、男と若い悪党どもは、粗末な屋台を壊しにかかりました。女性が懇願すると、男は、もし商売を続けたかったら、金を払え、と言いました。女性が500シリング(約7ドル)あった有り金全てとミラ1キロを渡すと、男は去っていきました。これで、少なくとも、当座はゆすられなくて済みます。でも、これは珍しい事件ではありません。不正行為の話は、あちこちにごろごろしています。まるで、難民たちの苦しみがまだ足りないかのように。
2009年4月10日 天が割れる
やっと雨が降りました。先週2回、そして今日は断続的にお天気雨が降っています。1回目の豪雨が降り始める前、強い風が砂をごうごうと舞い上げ、あたりをざらざらした茶色い砂のカーテンで覆ったためほとんど視界ゼロになり、保安灯の光をも完全に遮断しました。雷がとどろき、砂が少し落ち着くと、空に光る稲妻を背景にして、暗い景色のなかを、近くの村に住む子どもたちが、貯水容器を持って、砂漠の砂の上を走り回っていました。その後、土砂降りが始まりました。雨は、私たちのテントのビニールシートを激しく叩き、椅子やプラスチックのテーブルはひっくり返り、宿舎はひとつの大きな泥の水たまりと化しました。私たちは、嬉々として、肌を刺す雨滴を歓迎し、蛇に注意しながら、水たまりのなかを歩きました。
キャンプでは、粗末な作りの小屋は崩壊するか、大きな穴から雨漏りがして、土の地面が泥になり、人びとはマットのうえに体を寄せ合って、激しく吹きつける雨風を避けようとしていました。キャンプ内の「洪水エリア」は居住区域から除かれていますが、案の定、水浸しになりました。でも、もちろんのこと、これらの区域に暮らしている世帯もありました。なぜなら、他に彼らが身を置く場所もなかったからです。
3日前、2度目の雨が降りました。ダガレイ・キャンプから30分のところにあるダダーブの町中での安全対策ミーティングからの帰り道、私たちが婉曲的に道と呼んでいたものが川になってしまっていて、そのなかで子どもたちが陽気にはしゃいでいました。子どもたちは、私に車から降りて、写真をとってくれるようせがみました。
雨は、たくさんの動物たちのための、水のみ場になる穴を作りました。これで、一時的に少しは水の問題も解決するでしょう。というのは、わざわざパイプを壊して、動物たちの水のみ場をつくることは考えられないからです。でも、だからといって、キャンプ内の慢性的な水不足を解決するには、ほど遠いのです。もっと多くの井戸をつくって、水の供給を図らなければなりません。漏れや破損だらけの、ぼろぼろになった給水設備は交換が必要です。もしみんなに行き渡るのに十分な水があれば、給水栓をめぐって行われる小さな買収行為もなくなることでしょう。
私が使っている水場のところに、(文字通り)ぶらぶらしているコウモリに、名前をつけました。彼女の名は、ステラ。私が話しかけると、彼女は、紙のように薄い耳をピクピクさせます。コウモリの落し物は、ネズミのと同じ匂いがします。
野生動物といえば、先週私は1匹のキツネとダチョウのつがいを見かけました。あと、私のテントからは、毒を持つキャメルスパイダーを追い出しましたし、宿舎内では、2人がサソリに噛まれました。私たちの事務所にハリネズミが入り込みましたし、マングースの大家族が、私たちのテントの周りをうろうろしています。ライオンはまだ見たことがありません。ずっと見なくて済めばいいのだけど。
2009年4月15日 海賊、食糧不足、そして銃弾が降るソマリアへの帰還
今日、難民たちがストライキを起し、配給食糧を受取りに行くことを拒否しました。配給が、30%か、それ以上、減らされたのです。理由は、ダダーブへ食糧を運ぶ船がソマリア沖の海賊に乗っ取られたことと、道路事情が悪いことです。私は今日、数十人の人びとに会い、彼らやさらに大勢の人びとがソマリアに戻る方法を探しているという話を聞きました。銃弾の危険に立ち向かう方が、ダダーブで生活するよりましだとのことです。水や住居不足、衛生状態、そして、量・質ともに不十分だった食糧の配給が今回減らされたことへの不満は、我慢の限界を超えているのだと彼らは言います。彼らは怒り、必死でした。ここのソマリア人たちが、ソマリア沖の海賊を支持していないことは確かです。
私たちは今朝、MSFの地域保健員たちに、ここにいる人びとの肉声をもっと感じられるように、いろいろな話を記録できるような手配をすることを含めて、援助活動を拡充する意図を告げました。普段は、キャンプ内の活動をただ静かに、机に向って記録している、このグループの人たちは、とても活気づいて意見を述べ始め、仕事に打ち込むようになりました。この人たちが言うには、ダダーブにいる難民たちの立場に立って話す人はいなかったということで、これからは自分たちの体験を話したい人がたくさん出てくるでしょうということでした。
診療所から出て5分もたたないうちに、人びとは話したくて寄ってきました。最初に話した男性は、肉売買所でエチオピア兵による大量虐殺があった6ヵ月後、モガディシオの暴力から逃げてきた、と語りました。彼の妻はレイプされました。お金がなかったので、子どもたちと一緒に、何とかトラックに乗せてもらって、国境へ向う途中の町で降りました。その町の人びとは、この家族のためにお金を集めて、ダダーブまでの交通費をくれたそうです。「でも、ここは、ひどいよ」と彼は言います。彼の一家は、耕すための土地も、またビニールシートも得られず、住居はまったく役に立たなくて、十分な水さえもありません。「そのうえ、食糧も減らされるなんて。もうソマリアへ帰ろうと思っています。この区画にいる誰もが、ソマリアへ帰る手段を考えていますよ。」
歩き続けていると、1人の女性が、彼女の家族が住む小屋まで私たちを導き、寒々とした、使われていない調理場を見せました。彼女たちは、すでに4日も食糧なしでいたのです。食べ物をもっと食べやすくしたくて、砂糖などの調味料を買うため、配給された14日分の食糧を少し売ったため、10日分の食糧しかなくなったのだと話します。彼女の子どもたちのうち2人は、まだ3才にもなっていなくて、弱々しく、とても痩せていました。2人の栄養状態を上腕周囲径測定帯(MUAC)で測ったところ、その値は栄養失調を示していました。私たちは、子どもたちを診療所に連れて行きました。すると、この子どもたちは最近、栄養治療プログラム(重度の栄養失調の子ども用)から栄養補給プログラム(中程度の栄養失調の子ども用)へ移行したことがわかりました。でも、食べ物を摂らずに数日をすごした後、子どもたちの治療レベルを再検討すべきなのは、明らかでした。母親は、ソマリアへ帰りたがっています。
診療所へ帰る途中、乗客でいっぱいのマタツ(ミニバス)が私のそばに停車し、1人の女性が手招きしました。彼女は、1枚の書類を見せ、昨夜1人の少女がレイプされた事件を報告しに、国連の事務所へ行く途中だ、と説明しました。私は、乗客でぎゅう詰めのバスに押し込まれている、うら若い犠牲者のぼうぜんとした目をのぞき込んでから、彼女の保護者に、まず経過観察のため彼女を診療所へ連れて行くように促しました。
今日、私たちが訪ねたことのある小屋のひとつで木につながれていた精神病患者が、逃亡しました。彼の家族は、彼が市場へ行った、と聞かされました。1時間後、私たちが事務所に着こうとしていたとき、市場の隣にある病院の入り口から、たくさんの人びとがぞろぞろ出てきました。たった今、精神病患者が1人の男性を殺したばかりだとのことです。殺された男性は、その日、アメリカに移住するため出発するところでした。
胸が痛み、涙がこみ上げてきて流れ落ちないよう、目をぎゅっとつぶるようなときがあります。今日はそんな日でした。でも、微笑みながら、子どもたちと握手しました。好奇心がある幼い子どもたちは、何度も「ご機嫌いかが?名前は?年はいくつ?」って聞いてきます。
耕す土地も、水も、食べ物も、住居も、ありません。でも、私たちは、21世紀に生きていて、ほとんど誰もが携帯電話を1台持っている、あるいは持っていなければ、家族の誰かが持っています。しかも、通話圏は広いのです。小さな、刺すような人生の皮肉です。
ソマリアの平和、そしてダダーブでの希望を祈りつつ。
ダガレイのダナより。
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