プログラム責任者ダナ・カナリの日記 第一編 - ケニア・ダダーブ難民キャンプより -
2009年06月26日掲載
ダナ・カナリは国境なき医師団(MSF)のプログラム責任者として、ケニア北部の町ダダーブにあるダガレイ・キャンプで3ヵ月間勤務しました。このキャンプにはソマリアで起こっている戦闘を逃れてきた27万人以上の難民が暮らしていますが、食糧、水そして適切な住居が著しく不足しているため、その多くがソマリアの戦闘地帯に戻ることを考えているといいます。
カナリの日記からの抜粋を通じて、ダダーブにおける援助活動従事者の生活を3回シリーズでご紹介します。

ケニア北東部にあるダダーブ難民キャンプの1つ、
ダガレイ・キャンプ。
ダダーブ、ダガレイ・キャンプ
2009年3月1日
2月15日にここに到着してからとても忙しく、2週間というより2ヵ月くらい過ごしたように感じます。
今日はケニア、ダダーブで最も気温が高い季節の最初の日です。私の体に水分が残っていれば、これからますます暑い日々を過ごすのだという事実に、涙が出てくることでしょう。気温が高くなると、小型の竜巻の発生が増えます。私は毎日竜巻が空に向かって伸び、キャンプ内のMSF宿舎のドアがばたばた鳴り、目を刺すような砂嵐がすべてのもの、すべての人間に降り注ぎ、白い砂で多いつくしながら通り過ぎて行くのを見ています。道を歩いているとき竜巻に遭ってしまった不運な人は、失神したり、けがをして体の一部を失ってしまったり、様々な病気に苦しむことになることから、竜巻のことを地元の人は「サタン」と呼ぶのだと、MSFの運転手の1人モハメドが教えてくれました。
私が暮らし働いているダダーブ難民キャンプは、ソマリア国境から約90マイル(約145km)の所にあります(注1)。このキャンプは元々9万人を収容できるように設計され、1992年に建設されました。2005年にはキャンプの人口は12万7千人に達し、現在は27万人が住んでいます。毎日数百人が新たに到着します。その多くは祖国の混乱と暴力から逃れてきたソマリア人です。
ここは世界で最も古く大規模な難民キャンプの1つです。十分な土地はありません。水もありません。食糧もありません。まともな住居(避難所)もありません。トイレもありません。すぐにでも緊急医療援助活動が必要となりそうな環境に、大勢の傷ついた人びとがすし詰めで暮らしています。
私たちの今週の目標は、新しくやって来た約2万人の人びとが現在住んでいる難民キャンプの区域に、診療所を開設することでした。私たちは2日前に、本格的な建物を建設するまでの診療所として使うための臨時テント村を開設しました。その初日、私たちは朝8時半に到着しましたが、すでに120人以上が診察を受けるために、また60人が仕事の相談をするために、私たちを待っていました。午後になっても人が減ることはありませんでした。ケニア人スタッフは2人の准医師(医療助手のような存在)と4人の看護師です。
ダガレイでの生活
私たちはNGO用に割り当てられていた区画の中に、自分たち用の臨時宿泊所を設営しました。そこでは約80人が小さく暑苦しい1人部屋をあてられて、暮らしていました。私たちMSFチームは、キャンプの裏手に張った大きな暑いテントで共同生活をしています。眠ろうにもたびたび目が覚めてしまいます。このNGOの区画はガリッサという小さな町から数時間のやぶの中にありますすが、夜は騒音や明かりでにぎやかです。セキュリティ用照明のギラギラした光が、野生動物や侵入者を寄せ付けないためのダブルフェンスを照らすと、自分が砂だらけのベッドにいるのが分かります。漆黒の夜空と対照的に、平らな砂漠の地平線を結ぶように広がるたくさんの星が柔らかくまたたいています。ここで飛行機を見たことは1度もありません。
うなりをあげる発電機の耳障りな音や、閉まっていないドアが時折吹く夜風にバタンバタンとたてる音、スズ製の屋根がガサガサいう音、牛やラクダ、ロバののどかな鳴き声、何か分からない小動物が這い回る音、私たちのテントからほんの数メートルのところで笑い声にも似たハイエナの鳴き声も聞こえます。私より怖がり屋のチームメイト数人が、こうもりと出くわしたり毒を持つ大きなサソリや、ビニールテントの床を這うクモを見つけては、時折夜をつんざくような叫び声をあげます。風が吹くたびに、近くにある成長の止まった、低い木々から繭が落ちてきます。地元のイスラム教徒のスタッフやテントメイトは、5時に起床し朝の祈りに行きます。5時半になると、私は、「ジュラシックパーク」に出てくる恐竜のような大きさのハゲワシが、巣作りをする小鳥たちが警戒して騒ぎ出すような声を出しながらテントの上を低く飛ぶときにたてるシューッという音を待ちます。ライオンのうなり声を聞きたくて起きている夜もあります。残念ながらまだ聞いたことはありません。
現在、私たちのチームは、オーストラリア人のロジスティシャン(物資調達管理調整員)1人、フランス人のロジスティシャン1人、オーストリア人の医師、ケニア人の看護師1人、フランス人のアドミニストレーター(財務・人事管理責任者)1人、ソマリア系ケニア人12人(医療スタッフ6人、ロジスティシャン2人、運転手3人、渉外担当者1人)と私(プログラム責任者)で構成されています。
私たちは毎日シャワーを浴びていて、いつも十分な湯があります。食事は粗末で変わり映えがしませんが、十分です。フランス人チームメイトの1人はある日、パンとチーズが食べたくてたまらなくなり、昼食の時間に泣いてしまいました。コックは有能な人たちで、ここにあるものでベストを尽くしてくれています。私たち欧米人はかなり甘やかされているのです。
ある3月の日
今朝、2頭のイボイノシシが走り去っていきました。コーラのビンの直径ほどの太さがある大きな蛇が1匹トイレでトグロを巻いているのが見つかり、准医師と看護師がテントの間にいた別の蛇を追い払いました。
渉外担当であるアブバカルと私は、キャンプの住民で2人の捨て子の面倒を見ているという女性の家を訪ねました。彼女とその夫は2人とも、ソマリアの軍にいたと語ります。民兵たちは彼女を2度にわたって殺そうとしました。2回目の襲撃のとき、彼女は子どもを連れて窓から逃げ出しました。彼女は子どもたちを連れて走り、何とかトラックの後ろに潜り込み、3ヵ月前にケニアとの国境を越えました。夫がどうなったかは分かりません。彼女を襲ったのは13~15才の若者でした。彼女の娘は2人目の子どもを妊娠していました。娘は出産後、母に自分はキャンプでの生活には耐えられないから、母と新生児、それに2才の子を置いて、ソマリアへ帰ると告げました。母親にも3人の子どもがいました。彼女は自分と子どもたちのために、木の枝で簡単な小屋を作り、6フィート四方のビニールシートをかぶせました。とてもスペースが足りないので、何人かの子どもは外で寝ています。小屋は、日差しからは少し守ってくれても、雨を防ぐには頼りないものです。
ある日同僚の1人が、ある難民の女性がこう言ったのを聞いたといいます。「モガディシオに帰ろう。少なくとも向こうではすぐ死ねる、ここで少しずつ死んでいくかわりに。」
ではまた。
ダガレイにて、ダナ
(注1) このキャンプは実際には3つのキャンプ(ハガデラ、イフォ、ダガレイ)から構成されている。ソマリアでは1991年にバレ大統領が追放されて以来、内戦による無政府状態が続いている。戦闘によって避難を余儀なくされた人は10人に1人とも報じられている。
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