ジンバブエ:戸外に寝かされるコレラ患者ら
2009年03月13日掲載
「自分の国にいるのに難民になったかのようです。」とビンドゥラにあるチワリゾ診療所の前の広場を見回しながらジンバブエの若者、ブレッシングは言う。灼熱の太陽の下で埃にまみれて寝かされているのは71人ものコレラ患者だが、現地当局者は彼らを広場の目の前にある空っぽの総合病院の建物内に運び込まず、前庭に寝かせたままにしている。何人かの患者は壊れたベンチをいくつか見つけてその下に横たわったり、小さなテントのサイドフラップの下に身を寄せたりしている。前庭にはオープンエア型のテントが張られているが、患者で溢れかえり不潔だ。しかし、ほとんどの人には焼け付くような太陽やこの季節に周期的に降る激しい雨から身を守る屋根もない。
ジンバブエにおけるコレラ流行には終わりが見えない。首都ハラレでの症例数は減少しているが、中規模都市と地方での発生は続いている。患者が5万人に上るだろうという予測を数ヵ月前に超えてもなお、コレラはいまだ国内全土で猛威をふるっており、WHOの3月8日時点での推定によれば、8万9千人以上が感染している。国境なき医師団(MSF)はこのうちおよそ5万6千人の患者を移動診療ユニットあるいはコレラ治療センター(CTC)を設置・運営して治療してきた。
最近の流行地のひとつがジンバブエの東北地域の町ビンドゥラである。その1週間前、地元の保健当局はMSFの援助で診療所前に設置された小規模のCTCを閉鎖することを検討していた。現地ではまだ平均10人の患者が治療を受けていることから、MSFは当局を説得し、閉鎖を断念させることができた。
2月22日、MSFの移動診療ユニットがこの小規模CTCを見回りに立ち寄ったが、56人の患者がキャンプに収容されているのをみて症例数の急増に気づいた。2日後には患者数は71人にふくれ上がった。地元当局は、このキャンプの目の前にあって使用可能にもかかわらず空っぽの診療施設に患者を受け入れることを、流行後の清掃と消毒の難しさを理由に拒否していた。MSFはこのように多数の患者を屋外で適切にまた人間的に治療することはできないと考えた。
このとき、患者も政府から派遣された看護師もこの仮設CTCで食べ物を手に入れられずにいた。何人かの患者の親族は食べ物を持ってくることができるのだが、それはコレラ発生地で調理されていたので感染の危険性が高まる。しかし、このような患者はまだ幸運なほうで、ほかの患者は食べ物を持ってきてくれる人がいないか、単に家族が食べ物にも事欠いている状況である。
それに加えて、劣悪な食糧事情は診療所のスタッフにも影響を及ぼしている。「看護スタッフの士気は非常に低いです。」と医療パートナー会議で地元の医療当局者が言うが、それも不思議ではない。地元の看護スタッフは何ヵ月も無給であるだけでなく、職場で食糧さえも受け取っていない。このような事態にかかわらず、ジンバブエ政府の看護師達は昼夜を徹してたゆみなく働き、患者達の命を救おうと働いている。
しかし、現地の劣悪な環境下で患者の症状を管理するのは難しい。MSFがチワルディゾ診療所に到着した2日後に50才の女性が死亡したが、混雑した場所の片隅で彼女が死んでいるのが発見された死後何時間も経ったあとだった。彼女は、消耗しきって動けなくなっている他のコレラ患者にまぎれて横たわっていた。他に場所がなかったため、MSFの環境衛生担当者らは他の患者の目前で遺体を消毒し包まなければならなかった。
「こんな扱いをしなければならないなんて。」と環境衛生担当者の1人が言う。診療所にも、もちろんキャンプにも霊安室はない。遺体はキャンプの片隅に他の患者とともに炎天下に置いておかれた。ほかに安置する場所がなかった。遺体が運ばれていったのは11時間後だった。「人間なのです。このような扱いをするべきではないのに。」と環境衛生担当者は悲しそうに頭を振りながら言った。
注記:この記事が書かれた後、現地当局はMSFが新しくCTCを設置できるようサッカー場を提供することに同意した。また、保健省は緊急事態により早く対応し、行政上の手続きによる制約を軽減することを約束した。
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