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ナイジェリア:栄養治療プログラム参加報告〜南希成医師の記録〜

2009年03月04日掲載

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ナイジェリアの北部、ヨベ州で、栄養失調の子どもたちを治療する活動に参加した日本人小児科医・南希成さんが、活動終了後に、具体的な活動内容、現地での生活、印象、その詳細をつづった記録をご紹介します。

1. 活動概要

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● 現地での任期:2008年8月初旬~10月下旬
● 場所:ナイジェリア、ヨベ州ダマグン
● ポスト:入院栄養治療センター(I-TFC)の医療スーパーバイザー。
● チーム編成:外国人派遣スタッフは7人。プログラム責任者、アドミニストレーター、ロジスティシャン2人、看護スーパーバイザー2人、医師(医療スーパーバイザー)。国籍は、アメリカ2人(のちに3人)、オーストラリア、ケニア、コートジボアール、フランス、日本が各1人。
現地のナイジェリア人スタッフは100人以上。職種は看護師、栄養アシスタント、運転手、ガードマンなど。
● 業務における公用語は英語。現地の標準語はハウサ語。また宗教はイスラム教が主。
● プログラムの概要
入院対象:MUAC(上腕中央周囲径)110mm未満、またはW/H(身長に対する体重の偏差)が-3ZS未満、または中等度以上の浮腫を有する月齢6カ月から60カ月の栄養失調児。入院後は治療用ミルクによる栄養治療。状態が安定したら栄養治療食(RUF)を併用する。入院時に目標体重を設定し、良好な体重増加が持続的に認められたら退院し、6ヵ所ほどの地区に設置された外来栄養治療センター(A-TFC)で経過を観察する。
▽平均入院日数:12日間
▽総入院数(プロジェクト全期間:6月末~10月中旬):650名
▽死亡総数(入院児):70名
中等症以下の栄養失調児はA-TFCでの通院治療となる。
▽A-TFCの患者総数:約3900名
▽治癒率:約77% 脱落率:約19%

2. 栄養治療センターでの医療内容

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栄養失調児の診療についてはMSFのマニュアルがあり、よくまとまっているので、基本的な方針について悩むことはまずない。しかし薬剤や機器には限りがあり、行える検査も限定されている。気管挿管は行えず、もちろん人工呼吸器もない。マスク・バッグや酸素濃縮機はあるが電動式吸引機はない。電動の輸液ポンプもない。薬剤は機器とくらべれば抗生物質などは潤沢だが、たとえば抗けいれん剤はジアゼパムしかないなど、限定されているものもある。また、欠品の補充には通常1ヵ月以上かかるため、不足薬剤の補充は現実的ではない。特に緊急時の対応は困難である。

栄養失調児は、気道感染、消化管感染、敗血症などを合併していることも少なくなく、その治療に難渋することもある。また痙攣・意識障害など本来なら対象外の緊急患者も受診した。特に雨期に入った後はマラリア患者が急増し、その傾向が強く感じられた。また、脳性麻痺、先天性心疾患などの基礎疾患を有する子どもも一定数みられた。もちろんリハビリテーションなどを行うことはできず、退院後に専門的ケアが必要と思われた子どもは近隣の医大付属の教育病院や国立の医療センターなどに紹介したが、残念ながら十分なフォローを受けられる保証はない。

栄養失調児の低体温はしばしば見られる。特に豪雨の後の深夜から早朝にかけては気温が急激に低下するため起こりやすい。サーマル・ブランケット(薄地のアルミホイルのような見た目の断熱シート。身体をくるんで保温する)の利用、施設内の温度調整などさまざまな対策を講じたものの、低体温を完全に予防することは難しかった。

結核が疑われる患者も一定数見られた。細菌学的検査は不可能なので、臨床診断だけで治療を開始しなければならない。小児結核の診断・治療に関する基礎的な知識が必要だと感じた。

また栄養失調児の蘇生は非常に成功率が低い。僕自身は10例程度の蘇生に関わったが、結局1例も救命できなかった。アドレナリンにまったく反応しないケースも多い。骨髄針は頻繁に使用した。I-TFCでの蘇生には一定のガイドラインが必要と思われた。したがって、小児診療の基礎的事項(入院管理含む)および救急医療の知識や経験が非常に役立った。

今回の当地域での栄養危機は、1)はしか(および流行性髄膜炎)の流行が3~4月にあったこと、2)さらに続いてハンガー・ギャップ(1年のうちで食料の供給・備蓄が最も乏しくなる時期、通常は収穫期の直前)が訪れたこと、この二つが主要な原因と思われた。そのため8月以降、雨期に入って食糧供給が改善し、また麻疹の流行が終息して、これらの原因が取り除かれると、患者数は著しく減少した。そのため本プログラムは当初の予定を早め、10月下旬で終了となった。

3. 現地スタッフとの関わり

常時4、5人のナイジェリア人医師と一緒に業務を分担した。勤務表の作成はスーパーバイザーの業務。またMSF所定の形式に則って3ヵ月ごとに直属のスタッフと面接を行う。ナイジェリアの医師の診療レベルは、個人差はあるものの概して高い。上記の如くほぼ何の検査もできない状況で、糖尿病、低カルシウム血症(テタニー)、ビタミンC欠乏症(壊血病)を診断してしまうような鋭い臨床能力を有する医師もおり、大変感心した。怠惰に見える人や集中力が散漫な人もいたが、みな親切で友好的であり、働きやすかった。しかし一部のスタッフに現地の人びとに対する高慢な態度を感じたこともあり、これは私にはたいへん残念であった。

4. フィールドでの生活

ヨベ州はナイジェリア北東部、ニジェール国境近くに位置し、民族としてはハウサ族が多く、またムスリム(イスラム教徒)が多数派を占める。治安は安定しており、交通事故や強盗(まれ)などのほかにはセキュリティ上の問題はない。土地の人々は素朴で親切であり、人懐っこい。

早朝5時前、近所のラウドスピーカーから流れるクルアーン(コーラン:イスラム教の聖典、アラビア語)の朗誦で目が覚める。その後、宿舎で飼っているニワトリ(注:僕たちの夕食用)が鳴き始め、6時過ぎにはしっかり覚醒。コーヒーとトーストなどで簡単に朝食を済ませ、8時前には自動車で出勤。午前の業務を終えると宿舎に戻って昼食。食事と十分な水分をとって再び仕事へ。午後の業務は、18時ごろに当直医がやってきて交代となる。業務が終われば宿舎へ帰宅。夕食やシャワーを済ませ、21時から22時には就寝することが多かった。夜間に緊急事態が発生し、当直医だけでは対応が困難な場合は、携帯電話による呼び出しを受けることが週1回程度あった。

毎晩、手足や首には虫よけ剤を塗りこみ、蚊帳の中にもぐりこんでマットレスの上で眠ったが、それでも虫たちの大群をシャットアウトすることは到底できなかった。小さな虫やカエルなどがしばしば寝床を訪れ、睡眠は中断される・・・。またマラリア予防薬は定期的に内服していた(僕の場合はメフロキンで、週1回服用。ただし副作用で精神症状がでることがあり、これを嫌って別の薬を選ぶ同僚も多かった。僕の場合は時々悪夢にうなされる程度だったので継続できた)。ビールやタバコなど嗜好品の入手はそれほど困難ではなかった。物価は大体において安い印象だった(コーラ500mlで60ナイラ、またタバコ20本1箱で約200ナイラ、当時の1ドル=約130ナイラ)。宿舎では炊事、部屋の清掃および洗濯は現地雇用スタッフが行うため、業務に集中できた。週末は比較的業務が少ないが、僕はほぼ毎日集中治療センターに通っていた。また通常1ヵ月の勤務につき2日の休暇が保障されていたが、こちらも結局利用せず。

通信環境は、携帯電話は比較的良好に接続していたようである(自分ではあまり利用しなかったが、他のスタッフはしばしば国際電話をかけていた)。しかしインターネットの接続は劣悪で、メールのやりとりもかなり困難だった。僕の場合、個人的に送ったe-mailは5通のうち2、3通が正しく届いたかどうか。しかし衛星TVが入っていたため、世界のニュースはリアルタイムで視ることができた(CNN、BBC、アルジャジーラなど)。

ヨベ州最大の町ポティスクムにはA-TFCが設置され、同地からは全期間を通じて多数の患者が入院した。僕もこの町を訪れる機会があったが、しばしば目抜き通りの傍らで、ポリオ後遺症のため下肢麻痺のある人が休んでいたり、手漕ぎ自転車に乗っている姿を見かけたのが印象的だった。またナイジェリアの賑やかな町はどこも自動車、バイクであふれており、いたるところにガソリンスタンドがあり、オイルの臭いと埃が充満していた。しかしひとたび街中を離れると、雨期だったため緑の草やバオバブの木が生い茂る広大な大地が広がり、ときどき池さえみられた。

5. 他の外国人派遣スタッフとの関わり

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国籍を問わず派遣スタッフはみな親切で、つきあいやすかった。目的意識が共通で、かつ明確であり、またみな仕事に熱意をもって参加しているので働きぶりについても問題にならなかった。僕の業務はI-TFCに集中していたので、特にI-TFC担当の看護スーパーバイザーとの協働が多かったが、のちになってA-TFC担当看護スーパーバイザー(オーストラリア人)やロジスティシャン(アメリカ人)とも一緒に過ごす機会が増え、仲良くなった。ただし、夜にビール片手にカジュアルな会話に参加するのは慣れるまでは結構しんどく、派遣終了を目前にようやくあまり苦にならないようになれた。

派遣契約期間がまちまちなので、プロジェクトの途中で交代するスタッフもいる。コートジボワールからきた看護師は9月で任期終了し帰国したが、大のサッカーファンだったので、彼の送別会としてスタッフによるサッカーの試合が開催された。また、スタッフの誕生日にはパーティも開かれた。概してナイジェリアの人たちはにぎやかで陽気な集まりが大好きである。

ただし、フィールドでの生活は忙しく、また楽しいが、単調になりがちである。僕はそうした単調さが苦にならない性質なので困らなかったが、この点は向き不向きがあると思う。

6. おわりに

僕にとってナイジェリアでの3ヵ月間は、とても楽しいものだった。もちろん悲しいことや無力感に襲われることも少なくなかったが、何よりこんなに多くの人々と苦楽を分かち合い、友人になれたこと、そしてこのような大きなプロジェクトに参加できたことは素晴らしい経験だった。

これまで述べた内容からもうかがえると思うが、栄養治療プログラムは小児科医にうってつけの内容である。日本で数年程度の臨床経験があり、また日常生活と業務に支障ない程度の語学力があれば十分に務まると思う。我こそはと思う方、ぜひ参加してください。僕もできればまた参加したい。

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