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アンゴラ:国外退去されるコンゴ人への性的暴力-女性たちの証言-

2007年12月18日掲載

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アンゴラ北部のルンダ・ノルチ州において、ダイヤモンド鉱山で働くコンゴ民主共和国(DRC)移民の追放に際して、アンゴラ軍が広範囲にわたり組織的にレイプや暴力行為を行っている。国境なき医師団(MSF)は、DRCの西カサイ州で性的暴力の犠牲者たちに医療を提供している。

チームはまた、アンゴラ軍が集団的なレイプや虐待を広範囲に行っていることを明らかにする100人の証言を集めた。以下はその証言の一部である。

3人の子どもを持つ女性(39)。アンゴラで13年間暮らし、2007年11月にコンゴ民主共和国へ追放された。カマコでの証言。

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「息子と一緒にパンを買いに市場に出かけた時に二人とも拘束され、ンザジの刑務所に連れて行かれました。通りにいたコンゴ人全員が一斉に捕まりました。350人いました。トラックが来て、私たちを50人ずつのグループに分けて乗せて行きました。私はンザジに5日間いました。囲いの中に350人が一緒に拘束されました。男性も女性も一緒にされ、周囲を兵士が取り囲んでいました。私たちは乱暴に押し込まれて監視され、空腹でのども渇いていましたが、ただ眠るしかありませんでした。夜になると女性が呼び出され、茂みでレイプされました。私は夜中に外に出るのを拒否したため、皆の前で頭と肩を殴られました。殴られたせいで一度もどしてしまいました。

ンザジでは息子と一緒にいました。その後コンゴ民主共和国(DRC)との国境にほど近いドゥンドに移送され、4日間監房に入れられました。その間は息子と離ればなれでした。監房から全員が出されると、ドゥンドから、アンゴラと国境を接するコンゴ側の村、カブアカラまで小さな道を歩いて行きました。車は通れません。私たちはまるで牛かヤギのように打たれました。そして最後に国境を越えるとき、軍のリーダーが私をレイプしました。

カブアカラで息子を見つけました。さらに40km歩いてDRCとの国境にたどり着きました。そこでは暴力はありませんでした。名前を聞かれて、それで終わりでした。私が国境付近にいた時には、50人ほどの人びとがいました。皆が別々の場所に逃げました。

私がカマコに着いた後も、他の2人の子どもを連れた夫はまだ着いていません。今、私は教会で寝泊りしています。教会で食糧を少しもらいますが、それだけです。容器やフォークさえもありません。夫と子どもが来るのを待っています。一度だけ電話で夫と連絡を取りましたが、夫は林に隠れているのだと言っていました。

ドゥンドで監禁されていた時のことについて息子には何も話していません。どんな様子だったか息子に聞かれたくないからです。」

この女性は背中の痛みに苦しんでいる。

4人の子どもを持つ34才の女性。この女性は夫を既に亡くしており、子どものうち2人も既に亡くなっている。彼女は20年間アンゴラで暮らしていたが、2007年10月にアンゴラを追放された。カマコでの証言。

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「ある晩の午前2時に軍用トラックの音がしたので、私は林に隠れました。次の日午前1時に軍が再びやって来て、私を捕まえました。彼らは私を殴ってトラックに乗せました。私の住んでいた地域の人びと全員が一度に連れ去られました。全部で68人いました。私達はツアムバにある「農場」という名の村に連れて行かれ、そこで刑務所に入れられました。そこには多くの男性や女性、子どもたちがいました。最初の日、ひとりの警官が私を監房の扉まで引きずりました。私が従おうとしなかったので、警官は私を殴打し、レイプしました。その刑務所の女性ほとんどがレイプされました。

次の日私は別の警官にまたレイプされました。子どもたちは何もされませんでしたが、15才以上の若い女性はレイプされました。私たちは飲み物も食べ物も与えられず、子どもたちに与えられた水と食べ物もほんのわずかでした。男性たちはレイプされませんでしたが、ベルトで打たれました。

警官たちは男性たちに下剤を飲ませて下痢をさせ、排泄物の中にダイヤモンドがないかどうかを調べました。私は、女性器の中に手を入れられて、ダイヤモンドを隠し持っていないかどうか調べられました。警官が手を引き抜いた時には、私は出血していました。

2日後、私たちはトラックに乗せられ、ドゥンドまで運ばれました。私たちは全員で80人くらいでしたが、監房の中にはさらに多くの人がいました。ビスケットとミルクを与えられましたが、20人分くらいしかなく、男性たちが取っていってしまいました。私たちは、監房の中を流れる排水を飲みました。私はドゥンドで一晩過ごしました。警官にレイプされました。女性たちは、警官たちの所有物同然でした。あまりにも悲しくて、いっそ死んでしまいたいと思いました。

監房の中で人びとは無言で、泣いていました。私は、アンゴラで失ったもの全てを思い出し、深い悲しみを感じていました。

ドゥンドで一晩過ごした後、私たちは皆トラックに乗せられ、国境のカマコまで連れて行かれました。私たちはそこで国境を越えて、登録のために国家情報庁(ANR)まで歩いていきました。その後私は教会に向かいました。服を地面に敷いて、眠りました。カマコで3日間過ごした後、私たちは自分の持ち物を取りに行こうと集団で林に向けて出発し、国境を越えてアンゴラ国内に入りました。しかし、アンゴラ国内のツィトムドゥで、シカパの町を出るための近道を通っていた時に、男性や女性の死体を見つけました。それを見て私たちは、待ち伏せされているのではないかと恐ろしくなり、カマコに引き返しました。

その後私はずっと、追放された他の人たちといっしょに教会で暮らしています。キンシャサまでどのようにして行けば良いか分かりません。殴打された両方のわき腹が今も痛みます。もう二度とアンゴラに戻る気はありません。」


コンゴ人移民の国外追放に際するアンゴラ軍の虐待行為についてのプレスリリースはこちら

100人の証言から10件を抜粋した報告書はこちら(和文、PDF形式)

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