アルメニア:結核治療が投げかける不安の影
2007年05月25日掲載
多剤耐性結核の長く困難な治療
アルメン・ポゴシアン*(49)は昨年の夏に咳き込むようになったが、喫煙のせいだと思っていた。咳は止まらず、やがて寝汗をかくようになり、体は衰弱していった。
近くの病院で多くの検査を受けた結果、ポゴシアンは癌と診断された。その時のことを、ポゴシアンは回想する。「私はもう死ぬんだ、と思いました。」彼は途方もない絶望を抱えて家に帰り、数日間寝たきりで死ぬのを待っていた。
病状は急激に悪化した。その頃までに、病院ではポゴシアンが癌ではなく結核に感染しているのではないかと疑うようになった。喀痰検査の結果は陽性だった。結核が治る病気だと知っていたポゴシアンは、診断の結果に胸をなでおろした。だが、病院で2ヵ月間、退院後は自宅で3ヵ月間にわたり抗結核薬の服用を続けたにもかかわらず、喀痰検査の結果は3回続けて陽性だった。その後、通常の結核治療が効かない多剤耐性結核(MDR-TB)に感染していることが判明した。再びアルメンは絶望に打ちひしがれた。家族に感染することを怖れた。
2007年2月、ポゴシアンはようやく首都エレバン郊外のアボビアンにある結核病院の入院病棟で、第二選択薬による治療が始まった。この治療は国境なき医師団(MSF)とアルメニア保健省が共同で実施しており、ポゴシアンのような患者が受けることができる国内唯一のMDR-TB治療法である。
毎朝、医師と看護師がポゴシアンの病室に来て注射を打ち、結核治療薬25錠を手わたす。この薬は、一日中続くほどの耐えがたい吐き気と頭痛をもたらす。この副作用を抑えるため、さらに4~5錠の薬が処方される。ポゴシアンは言う。「朝は体操をして、忙しく過ごします。でも毎日午前11時30分ごろに薬を飲むと、体が弱っていきます。それで一日は終わりというわけです。」
この治療計画が完了するまで、ポゴシアンはさらに数ヵ月の入院を含め、今後22ヵ月この治療を続けることになっている。
薬剤以外の患者ケア
アルメニアでMSFと保健省の共同治療プログラムを受けている患者の多くにとって、MDR-TB治療は往々にして複雑な問題である。治療期間は24ヵ月にわたり、詳細に病状を監視するために最初の数ヵ月間は入院しなければならない。退院後も、外来診療や自宅でのケアを通じて、さらに18~21ヵ月間は毎日投薬を続ける必要がある。長期にわたり、制約も多いこの治療法は、仕事を辞めるかどうか、数ヵ月間自宅を離れるかどうかというジレンマで患者を悩ませている。
ポゴシアンは言う。「息子の助力がなければ、この治療は受けられませんでした。6ヵ月も仕事を休んだら、あっという間に何もかも失ってしまいます。私はゼロからキャリアを積んできましたが、今ではすべてを失ってしまいました。息子がいなかったら私たち家族は飢え死にしていたでしょう。」
ソビエト連邦の崩壊は、アルメニアの経済と公共サービスに深刻な打撃を与えた。独立から16年を経た今日でも、人口の43%は貧困線以下の生活を送っている。失業率は高く、富は富裕層と貧困層の間で不公平に分配されている。
このような情勢下にあって、MSFのアルメニアにおけるプログラムの目的の一つは、各患者のニーズに合わせた、患者中心の治療を実施することである。アルメニアでMSFの心理社会支援コーディネーターを務めるペトラ・ベッカーはこう語る。「治療を始める際、私たちは患者とその家族の経済状態を調べます。そして、必要な場合は、暖房や食料、交通費などを支援します。しかし、全く収入がない場合はどうにもなりません。私たちにできることには限界があり、それを分かってもらうことは大変難しいことです。臨床心理士2人とソーシャルワーカー3人からなる心理社会支援チームとともに、患者が病状の起伏と毎日の服薬に耐えられるように、少なくとも週に2~3回はカウンセリングなどのサポートを欠かしません。結核はこの国でも偏見と差別が根強い病気です。私たちの患者の多くも、自分が結核に感染していることを恥じ、家族や友人に打ち明けようとしません。薬剤耐性結核だったらなおさらです。私たちは彼らが物のように扱われるのではなく、一人の人間として治療が受けられるように努力しています。」
高額で長期間にわたる治療、それでも不確実な結果
MDR-TBは患者に多大な苦しみを強いるだけでなく、非常に高額な治療でもある。MSFは治療費を全額負担しており、それには患者一人当たり9千ユーロ(約147万円)を超える第二選択薬の費用が含まれる。だが、この治療でさらに問題となるのは、患者全員が治るという保証がない点である。
アルメニアでMSFの医療コーディネーターを務めるアユブ・サイード医師は語る。「私たちの努力にもかかわらず、完治する患者は全体の60~70%にすぎません。結核は貧困層の病気ですから、さらに効果的な結核の診断法や治療法への研究開発投資は、富裕層には何のメリットもないのです。これまでに20年以上も同じ診断ツールと薬を使い続けていますが、その間に薬剤耐性は非常に高くなってきています。」
サイード医師は続ける。「今では、超薬剤耐性結核(XDR-TB)も出現しています。この型の結核に感染している患者は数人いますが、治療薬がありません。あれほど長く苦しい治療の後で、私たちは患者に、治療は失敗したので死を覚悟してくださいと言わなければならないのです。本当に辛いことです。」
結核は空気感染する感染症である。一人が活動性の結核菌に感染していながら診断も治療も受けずにいると、毎年10~20人に感染させると推定されている。感染した人の約10%が結核の症状を進行させ、ある時点で接触感染力を持つようになる。サイード医師はこう語る。「結核の診断を受けていない保菌者が家族と生活し、公共の交通機関を利用し、公共の場所に出かけていることもあります。バスであなたの隣に座り、話しかけてくる人かも知れません。この国で感染率を測定する手段は何もありませんが、かなり高率だと思われます。」
いくつかの薬剤と診断法の開発が進んでいるが、MSFが最近実施した分析によると、現状では、急速に増加しつつある薬剤耐性結核を阻止する見込みのある薬と診断法は存在しない。サイード医師は語る。「国際社会が早急に結核問題を認識し、新たな診断法と、治療期間を短縮する、効果的な薬剤に関する研究開発が進展することを願っています。すでに遅れを取ってはいますが、今はまだ遅すぎることはないと言えます。」
アボビアンの入院病棟では11時30分になろうとしている。医師と看護師を待つ間、ポゴシアンはこうつぶやく。「癌と誤診された時に、私は死の淵を見ました。今できるのは、この治療を続けて、人生を精一杯生きることです。他に選択肢はないのです。この病気に打ち勝つため、闘わなければなりません。」
MSFは2005年9月から、アルメニアの首都エレバンの2地区で薬剤耐性結核患者の治療を行っている。
*患者名は仮名です。
関連情報
- 2010年3月23日
- 結核:薬剤耐性結核治療成功の鍵―ソーシャルワーカーと心理療法士
- 2010年3月19日
- 結核:過酷な治療を経て薬剤耐性結核を克服したタヴァン
- 2010年3月19日
- 結核:薬剤耐性結核を克服することを心に決めた教師、ラリサ
- 2010年3月1日
- 世界結核デー 2010
- 2007年11月4日
- アルメニア: 首都で1人目の患者が薬剤耐性結核の治療を終了

















