1. TOP
  2. 活動ニュース
  3. ニュース
  4. MSF、ブックレット『人生は再び微笑む』を作成

MSF、ブックレット『人生は再び微笑む』を作成

2006年11月09日掲載

『人生は再び微笑む』は、パキスタン側カシミール地方のバーグで活動する国境なき医師団(MSF)の心理ケアチームが過去3ヵ月間で集めた人びとの体験談をまとめたものである。ウルドゥー語に翻訳されたこのブックレットは、被災者がショックとどう向き合ったか、困難をどのように乗り越えているか、お互いにどうやって支えあっていくことができるのか、などの情報を共有するための治療ツールとして用いられる。MSFは11月初旬に千部の『人生は再び微笑む』を、バーグ市周辺とマロット、ビル・パニ、ベィディ、チカールなど周辺の村落地域で配布する予定である。

MSFのバーグにおける活動責任者、ファジル・テザラは述べる。
「このブックレットに込めたメッセージは、傷ついている人びとを勇気づけ、たとえ苦しみがまだ終わっていないとしても希望は存在しており、地域社会はお互いに助け合うのに重要な役割を果たしているということを伝えるものです。心理ケアチームは地震が起きた直後から活動を開始していますが、このブックレットを作成することを思いついたのはほんの3ヵ月前です。私たちはこの簡単な治療ツールを用いて、被災者が将来へ希望を持つ手助けをしたいと考えています。被災者が経験を共有し、他の人の体験談を聞く事は被災者への重要な心理面での支援になると確信しています。」

MSFはブックレットの中で語られている経験を紹介、共有し、そのメッセージを地域の人びとに伝えるために、地域の主要な指導者たちにトレーニングを行った。

予告として、『人生は再び微笑む』から2つの体験談を紹介する。ブックレットの完全版は11月初旬に完成予定である。

体験談1
アティフ・ジュノ 2006年9月30日
MSF心理ケアチームのコミュニティ・ワーカー
カシミール地方、バーグにて

10月8日から今日の間に、多くのことが変わったのでしょう。どうしてあの日のことを忘れることができるでしょうか。地面に横たわり、絶望して「もう人生おしまいだ。もう立ち上がることは決してできないだろう」と考えていた時のことを。その後、救援活動が始まりました。援助従事者は予想以上に私たちを助けてくれました。災害からの数日間を、どうして忘れることができるでしょうか。至る所に死体、叫び声、無力感、不安、絶望が蔓延していました。そして、悲しみが影を落としていました。救援物資が集められ、死体が埋葬され、そして負傷者が病院へ運ばれていました。何よりも時が癒してくれると聞いたことがありましたが、今になってそれが真実だと分かります。時が経つにつれ、悲しみは薄れていきました。

先週、私は近所に住んでいて、親戚でもある近所の人の家で開かれた結婚式に参加する機会がありました。地震で両足に重傷を負った女の子の結婚式でした。地震の後はじめて彼女を見たとき、私はこの子は将来自分の足ではもう立つことができないかもしれない、麻痺が生涯残ってしまい、彼女の将来は暗くなってしまったと思いました。MSFの医療チームは彼女の治療を行い、心理ケアチームも数度のカウンセリングを行いました。私たちは彼女の体験や気持ちを尋ね、彼女は私たちと経験を共有してくれました。この会話の中で、彼女は自らの勇気と決意について語ってくれました。どんなことがあっても、将来への希望をもつと彼女は言いました。彼女との会話はその後2、3日続きました。それから私たちは他の活動で忙しくなり、彼女と会う機会がありませんでした。それから1年近くたち、彼女の結婚の知らせを聞いたのです。私は知らせを聞いて本当に嬉しかったです。麻痺した状態で横たわっている彼女、車椅子に頼っている彼女と会ったあの日があり、そして今、彼女が結婚するのです。私は彼女の人生が再び微笑んでいるのを感じました。

去年の10月8日のことを振り返ってみると、私は「お互いに席を共にして過去を振り返り、この災害について語り合う日などくるのだろうか。」と思ったことを覚えています。今、私はこのような考えを笑い飛ばすことができます。しかし、当時は至る所に不安があったというのも本当のところなのです。

そして今、私たちはこうした話を読者の皆さんに紹介します。そして、私たちは人生がまた微笑んでいるようだと言えて幸せです。

体験談2
とある村人の話 MSFの心理ケアチームとの会話において
スー・ミッシェル、MSFの心理療法士

裸足

私はそのとき眠っていました。幼い息子が怖がって私を起こしました。私たちが家から逃げると、すぐに家が地面に崩れ落ちました。そして、妻がそのとき逃げていなかったことに気が付いたのです。彼女の足は大腿部で切断され、見つけたときには事切れていました。

4日間、裸足で、私は自分の村の崩れた家々から遺体の回収作業を手伝いました。私が見つけた1人の少女は、台所の火に体を打ち付けられ、体が4つに切断される前に焼けていました。私たちはあの4日間で近所に住む30人の遺体を埋葬したのです。人生は終わった、そして私たちそれぞれが裁きに呼ばれるのだと思いました。その後、他の遠い地域から来た人々が到着し、援助を始めました。私は、すべてが終わったわけではないかもしれないと考え始めました。

ある村人が一足のプラスティック製の靴を私にくれました。私は援助活動に参加し、周辺地域に援助物資を配る手伝いをしました。その日から私は前を見続けています。

深い悲しみは今でも私の中にあります。妻は私の友人であり、知的で、私を元気づけ、本当に労ってくれる人でした。それでも私は笑顔を見せ、懸命に働き、周囲の人たちのよい見本になろうと心に決めています。そして、妻の夢であった、貧しい家族のための教育センターを村に作ります。

関連ニュース

2010年2月18日
パキスタン:クラム自治区の戦闘による避難民3万5000人に生活必需品を配布
2010年2月4日
パキスタン:MSFと現地保健省が爆発事件の負傷者に対応
2010年2月1日
パキスタン:北西辺境州にて避難民の子ども2100人にはしかの予防接種
2010年1月27日
パキスタン:避難民約7千人が強制退去 MSF、当局に保護を訴える
2010年1月7日
パキスタン:現地最新状況とMSFプログラム概況(2009年11月付)

[パキスタン] に関連したニュースを表示


ページの先頭へ