襲撃が止む日を待ちながら避難を続ける北部住民
2006年07月06日掲載
プロスペールとその家族は6ヵ月の間、茂みの陰に身を潜めながら生活している。彼らは、2005年12月29日に軍隊がやって来て家々をすべて焼き払い、男性1人を殺害した際に村から逃げ出した。現在、プロスペールと13人の親族は、茂みを5km入ったところに2軒の小さな仮設の小屋を作って住んでいる。他の村人たちは茂みのさらに奥、村から15kmも離れた場所に隠れているので、プロスペールは「幸運」な方であるという。なぜなら、村人たちは水が欲しい時には、村にあるポンプまで汲みに戻らなければならないからだ。
茂みの中の小屋は、大雑把にわらを編んでできた円形の「壁」と屋根代わりにわら束を使った粗末な家である。小屋は雨や暑さや蚊を防いではくれない。おまけに、どの小屋も直径数メートルしかなく、中は信じ難いほどの過密状態である。村人たちは家に帰りたがっているが、恐怖のために帰れない。
苦境に苦しむのはプロスペール1人ではない。中央アフリカ共和国北部では、この6ヵ月で推定5万人が避難を余儀なくされた。このうち約2万人が国境を越えてチャドへ逃げ、残りは茂みに逃げ込んだ。同国北部を行くと、道沿いに無人の村が並び、ゴーストタウンのような景色が見られる。時折、近づいてくる自動車のエンジン音に驚いて森に逃げ込んだ誰かが落としていったかのように、道端にぽつんと置き去りにされた袋がある。また、遠く彼方に逃げていく人影が見えることもある。
「連中がやって来た時、私は家の中にいました。数日前に反政府勢力の襲撃があったことを知っていたので、いずれ私たちのところにも来るのではないかと、村全体が恐怖にかられていました。車の音が聞こえた時、私は3人の子どもたちと、着の身着のまま逃げました。家財道具はすべて焼き払われました。」
―女性、現在は茂みに隠れて生活している
多くの人びとは恐怖のあまり付近に留まることができず、あるいは難民キャンプのほうが茂みでの暮らしよりはましであることを願って、チャドへ向かった。
「連中は私たちの村にやってきて、私たちみんなに向かって銃撃を始めました。たくさんの村人が撃たれました。私は妻と逃げました。逃げる途中、私は3回撃たれて、腿と腕と顔を負傷しました。幸運にも、妻が私を大八車に乗せて国境まで連れて行ってくれたので助かりましたが、他の人たちは死んでしまいました。全員が逃げたので、村にはもう何も残っていません。もう帰ることはないでしょう。私は走ることが出来なくなったので、もしまた襲われたら、その時は殺されるでしょう。
―男性、現在チャドのゴレで暮らしている
この地域に蔓延する襲撃とそれに対する人びとの恐怖は衝撃的なものであり、茂みや森の中に避難している人びとの生活は困難を極める。襲撃はこの国の市民がすでに直面している数々の困難に追い討ちをかけている。現在、人口の67%が1日1ドル以下で生活する貧困層である。この数字は農村地帯のほぼ全人口にあたる。また、ほとんどの人びとの寿命は42才を過ぎることはない。そして、5人に1人の子どもが5才の誕生日を迎えることが出来ない。略奪行為も長期にわたって横行している。
最近この地域で発生している襲撃は事態をさらに悪化させた。茂みで暮らす人びとは病気にかかりやすく、小さな村々で暮らしていた時よりもさらに医療へのアクセスが限られている。
この地域には、襲撃が発生する以前でさえも人口9万人に対して医師は1人しかいなかった。以前は、看護師か薬剤師が常勤していたであろう数ヵ所の診療所があったものの、2001年と2003年に発生した武力衝突、そして最近横行する襲撃により、その多くが閉鎖した。MSFが活動する地域でも、2ヵ所以外は全て閉鎖している。医療を受けられる場所があったとしても有料であり、ほとんどの人びとは治療費を支払うことができない。
現在MSFが医療援助を行っている診療所には、患者たちがはるか遠方から、なかには70kmもの距離を歩いて診療所までやって来る。彼らに選択の余地はない。
「人びとは逃げ出した際に、家、少しばかりの家財、耕作用の種など、すべてを失いました。村の学校も診療所も閉鎖され、村々はすべて無人になっています。避難している茂みでは、人びとは病気やさらなる襲撃に対してあまりにも無防備です。最も心が痛むのは、人びとが恐怖で萎縮している姿を見ることです。恐怖で神経質になり、今でも車のエンジン音が聞こえてくるだけで逃げ出すほどです。私たちが行う移動診療の際には、多くの人びとが茂みから出てきます。私たちは可能な限り多くの患者を治療しています。しかし彼らが本当に望んでいることは、家へ帰ることなのです。」
―ジャネット・レイモンド、看護師/助産婦、チャド(ゴレ)にて
しかし今のところ、人びとの恐怖はあまりにも大きく、チャド南部の難民キャンプに留まるか、中央アフリカ共和国北部の茂みで劣悪な生活環境に耐えながら、襲撃が止む日を待ち続けている。
「今帰るなんて、とんでもない。もちろん家に帰りたいけど、死にたくはないからね。」
―難民、チャドのゴレに滞在中
- 中央アフリカ共和国におけるMSFの活動
- マルコウンダ、 パウア、 バタガフォとカボの周辺地区で複数の移動診療を運営している。これらの移動診療では、毎週数百件の診察を行っている。
- パウアとボギラコタの病院で入院患者の治療を行っているほか、マルコウンダの診療所では毎週、数十人の患者の治療を行っている。
- チャド南部のゴレ郊外では、中央アフリカ共和国北部からの難民1万5千人に対し、診療所2ヵ所を通じて医療を提供し、また水・衛生システムの提供も行っている。
MSFは1997年から中央アフリカ共和国での活動を続けている。
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