看護師の報告
2006年01月13日掲載
援助活動を行う筆者(中央)、アチェ州
2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震・津波によってインドネシア、アチェ州の海岸地域が壊滅的状態に陥った。その2日後、インドネシアが国を挙げてこれに対処するのに並行して、国境なき医師団(MSF)は緊急医療援助を行うべく活動を開始した。このとき既にインドネシア国内で活動していたMSFのアシスタント医療コーディネーター、マリア・メオ看護師は、地震と津波の被害を受けたバンダ・アチェに最初に到着した一人であった。以下は彼女による災害直後の報告である。
クリスマスの翌日に津波のニュースを見て、アチェの人びとに必要なのは私の同情の涙ではなく、助けに行くことだと考えました。そして衣服をまとめると、私は夫と子どもたちにアチェに行くと告げました。国境なき医師団(MSF)も事態に対応するだろうし、私はいつでも出発できるように準備しておく必要がありました。
MSFから夕方に連絡があり、翌朝、私たちはみな倉庫に集合しました。幸いにも、多くのMSFスタッフがインドネシア中からクリスマスを祝うためにジャカルタに集まっていたこともあり、最も経験豊富なMSFの派遣ボランティアも来ていました。そのため私たちは迅速に行動を起こすことができました。その日は夜明けから真夜中まで必要な物資を分類し、翌日に出発する準備をしました。
12月28日の夜に、私たちは3.5トンの救援物資と8人のスタッフを載せたチャーター機でバンダ・アチェに到着しました。空港は大混乱に陥っていました。多くの人びとが空港に集まり、何とか次に出発する便に乗り込もうと必死でした。一方で飛行機は次々に着陸しようとしていました。私はこの時に初めて怖いと感じましたが、この恐怖感に負けてはならないと自分に言い聞かせました。
その夜、チームのうち2人がバンダ・アチェの中心部の様子を確かめるために出かける間、私たちは空港の中で眠りました。すべての交通機関が停止していたため中心部まで辿り着くことは非常に困難でしたが、何とか2人は様子を確認できました。戻ってくると、彼らは町が人や動物の死体で溢れており、覚悟して活動する必要があると告げました。私は自分の心を奮い立たせ、自分のするべき仕事に集中しました。その夜は、なかなか眠りにつけませんでした。
私たちはグループに分かれて活動することにしました。私は1人の医師ともう1人の看護師と共に援助物資を配布する準備をしました。援助物資はすべてMSFが考案した梱包済みのキットになっており、緊急事態の際に必要と考えられる物をすべて含んでいます。私たちは移動診療チームが使用できるようにキットを開梱しました。また、その間にも、他のスタッフは市内の状況を調査しに行っていました。
援助活動を行う筆者(左端)、アチェ州
MSFはまず、病院施設の状況と大勢の人々が集まり避難キャンプとなっている地域を調査しました。その後、各キャンプの指導者たちと話し合い、早急に必要なものは何か、また、それらのうち地元の援助で満たされているものは何かを決めていきました。総合病院の一部は損壊しており、機能していませんでした。小規模の私立病院が1ヵ所、何とか患者の治療を行っていましたが、その廊下には負傷者が溢れ、医療品の在庫もほとんどありませんでした。現地のボランティアたちが避難キャンプで可能な限り負傷者の治療をしていましたが、彼らは経験に乏しく、医薬品もほとんどありませんでした。他の医療援助団体は活動をしておらず、MSFが最初に到着した団体でした。
病院が患者に治療費を請求しないという確約をとった後に、私たちは医薬品や援助物資を寄付しました。その後私たちは、2つの移動診療チームを作り、最も大きな避難キャンプへと向かい、治療を開始しました。
私たちのチームは、最初の日だけで150人以上の患者を診察しました。そのほとんどが津波そのもの、あるいは津波後に瓦礫などで転んだりして負傷し、感染を起こしていました。診察を行うのは辛いことでした。傷を治療していると患者たちは自分に起きたことについて話し始めます。そして話しているうちに誰もが耐えられなくなり、泣き崩れてしまうのです。
3日間、私は気丈に振る舞っていました。そうでなければ人を助けることはできないと分かっていたからです。しかし、4日目には感情を抑えきれなくなりました。ある活動地域から次の目的地へ向かって車で移動している15分の間、医師も、仲間の看護師も、私も、全員が涙を流していました。そしてまた任務へと戻ったのです。
活動が2週目に入る頃にはさらに多くのスタッフや物資が到着し、MSFは全力で活動を始めました。私たちは何とかヘリコプターを調達し、その時点まで何の援助も受けられず孤立していた東部と西部の海岸地域にいる人びとのもとに行くことができるようになりました。さらに多くの物資を輸送するために、グリーンピースの船「虹の戦士」号も利用しました。また私たちは、心理療法士に来てもらい、移動診療チームに同行してもらいました。津波による心因的な問題を抱えている患者をケアできるようにするためです。
3週目の終わり頃になると、人びとが必要とするものは既に変りつつありました。ほとんどの負傷者は治療を受け終えており、津波そのものよりも劣悪な生活環境に関連した問題を抱える人びとが目に付くようになりました。援助団体がバンダ・アチェに殺到しはじめ、私たちが抱えていた重みも緩和されていました。もちろん、やるべき仕事はまだまだ山積みでしたが、私が家に帰る時が来たのです。私は疲れきっていました。
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