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心理ケア通訳へのインタビュー

2006年01月13日掲載

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インドネシアのアチェ州は、2004年12月26日に起きたスマトラ島沖地震・津波で突然世界中から注目を集めるようになり、おびただしい数のジャーナリストや援助団体が沿岸部に殺到した。しかしながら、この地域は内陸部で血なまぐさいゲリラ戦の嵐が吹き荒れていたために、数十年に渡り外界から遮断されていた。援助活動は厳密に津波被害に対して焦点を当てていたものの、長期にわたるゲリラ戦がもたらした壊滅的な状況が次第に明らかになってきている。国境なき医師団(MSF)の北東沿岸部のピディ地域における通訳、デウィ・アグレニは、アチェの人々の命が暴力と災害によってどれだけ奪われてきたかについて語ってくれた。また、MSFの援助活動がこの点を十分に考慮して行われていることも語っている。

1973年に私がシグリで生まれた当時、アチェはまだ平和でした。戦争が始まった時はまだ3才でした。この頃ハッサン・ティロが独立アチェ運動(GAM)を結成しました。GAMはインドネシアからの分離独立を望んでいましたが、インドネシア政府はこの運動に対して軍をアチェに送り、反乱分子を逮捕するという対応をとりました。

私の戦争についての最初の記憶は、1980年の初期のものです。両陣営の多くの人びとが次々と殺されていきました。朝、起きて外に出てみると、畑の中や川岸で死んでいる人を見つけることもありました。しかし、この人たちが誰なのかは、全く分かりませんでした。身元を証明するものはすべてはぎ取られ、出身の村から遠い所に意図的にうち捨てられていたからです。遺体は裸であったり、耳や目、指を切り取られていたりしました。死体を見ると非常に怖くなりました。

私たちは努めて普通の生活を心がけていましたが、常に神経をとがらせていましたし、私はいつも脅えていました。銃や銃撃を恐れていましたし、戦争の影響を受けて教育の質も低下したため、私は機会を見つけてアチェを離れ、海外で勉強しました。しかし、アチェに戻ることは常に考えていました。

アチェが津波に襲われたとき、私はマレーシアに住んでいました。ニュースで津波のことを知って、最初は歩けなくなるぐらい力が抜けてしまいました。家族が全員亡くなったかもしれないと思ったからです。情報を得ようとインドネシア人協議会の事務所に赴いたのですが、係員はただ謝って、何も知らないというだけでした。そこで私はすぐに空港に駆けつけメダンまで飛び、そこで何とかアチェ行きのバスに乗り込むことができました。12月29日のことです。バスは親族を捜そうと駆けつけた人々で満員でした。

まずシグリに行きました。そこで見たものは、死体や倒れた巨大な木々、倒壊した家屋ばかりでした。ショックを受けました。皆が打ちのめされて言葉を失い、何も話せない状態でした。瓦礫の中をロボットのようにさまよい、家族を捜しました。幸いシグリに住む私の家族は無事でした。しかしバンダ・アチェに住む親戚を16人失いました。叔母も叔父も子供たちも全員亡くなりました。

津波が起きてから1週間は、地域の人は軍人から住民まで一緒になって、最も被害の大きかった人々を助けました。私の家も60人ほど被災者を受け入れ、食べ物を何でも分けあいました。被災者の中には子供も大勢いました。

私は自分にできる範囲でこうした助け合いに力を尽くしました。私の活動の大部分はバンダ・アチェで遺体をきれいに洗うことでした。そして、MSFで働くことになりました。私はまず、MSFが緊急医療に焦点を当てている点に魅力を感じました。私は避難所を巡って医療を行う移動診療での通訳になりました。そのうちにMSFの心理ケアプログラムに詳しくなり、心理ケアチームの通訳になれる機会が来た時に我先に飛びつきました。

アチェには心理ケアという概念がないため、アチェの人たちに自分たちの活動を説明するのはとても困難です。たとえば「ストレス」のような言葉を使うと、「だれかが狂っている」ように受け取られてしまうのです。心的外傷やストレスは異常な状況に対しての正常な反応であり、精神的に障害があるという意味ではないことをわかってもらえるように心がけました。食事が喉を通らない、眠れない、常に悲しい気分である等の症状が生じることや、MSFがどのように手助けができるかを説明しました。MSFの活動は成果をあげていると思います。

MSFのプログラムには、個人やグループでのカウンセリングが含まれますが、その効果は信じられないほどすばらしいものです。一例を挙げましょう。私はある避難所で泣き止もうとしない女性に出会いました。この女性は眠ることも食べることもできない状態でした。娘を津波で失ったが遺体を発見できず、その死を受け入れられずにいたのです。娘が亡くなったこと自体を信じようとしませんでした。娘が彼女のもとを訪ねてきて、まだ生きているから見つけ出してほしい、と頼む夢を見続けていました。その女性は頭痛、胃痛にも悩まされており、地震や雷雨にも脅えていました。

私たちはこの女性に個人カウンセリングを受けるように勧めました。女性とともに娘の死を受け入れる道を探っていきました。心理療法士との何回かのセッションを経て、女性は悲しみを抑えることができるようになりました。今では娘が亡くなったことも受け入れています。まだ悲しみは癒えないものの、少なくとも笑顔を取り戻し、仕事に就くまでに回復しました。彼女の変化には驚くべきものがあります。

アチェにおいて心理ケアを行う上での難問のひとつは、アチェの人々が内戦と災害の両方の影響を受けているために、話を進めていくうちにその2つが混ざりあってしまうことです。当初、MSFのプログラムは津波に焦点を当てていました。しかし、ますます多くの人びとが内戦について語すため、現在では内戦が最も激しかった内陸部にも心理ケアを必要としている人がいることが分かりました。心理ケアを必要としていることはもちろんですが、さらにより一般的な医療ケアを受けることも必要です。結果として、新たな地域でも移動診療を行うことになりました。医師と看護師が1人ずつ、それに精神分析医が2人赴きます。

内陸部の人びとは、こちらが驚くほど熱心に自分たちの体験を話そうとします。世界の人びとに自分たちの身に起きたことを知ってもらい、伝えてもらいたがっています。見たところ普通の人たちが脅迫され、拷問を受けて殺害され、家を焼かれているのです。ある女性は輪姦されそうになったときのことを語りました。また、夫がナイフで切りつけられている様子を、子供と共に見るよう強要されたという人もいました。だれもが何らかの恐ろしい体験をしているのです。

内戦はアチェの人たちの心に深刻な影響をもたらしてきました。とりわけ夜になると、人びとは影のように自分たちを脅かす暴力のことを話題にします。たえず恐怖を感じながら生活しているために、停戦しているにもかかわらず銃の音が聞こえるような気がすると口々に訴えるのです。くわえて、頭痛や胃痛などの心身症の病状にも苦しんでいます。MSFがしなければならないことはたくさんあると思います。

私はMSFで仕事をするようになってから、心理ケアについて多くのことを学びました。そしてMSFのプログラムの効果を心から信頼しています。アチェでは、心理ケアが何であるかを本当に知らない人からも、MSFの活動がこころよく受け入れられてきました。その様子を見てMSFの心理ケアが実に効果的であることを確信しています。MSFの活動は一夜にして効果が現れるものではありません。しかし、教育や活動、カウンセリングを通して、起きてしまったことを人びとが受け入れるための手助けができます。

個人的には、この仕事が私にとってどんな意味があるのかを説明するのは難しいです。同じ国の人びとに起こったことですし、人びとの苦しみに耳を傾けるとき、私もまた怒りと悲しみを感じます。数十年にわたり、アチェの人びとは内戦下で経験した暴力について沈黙を保ってきましたが、ついにその話に耳を傾ける存在が現れたのです。私がその役に立つのなら、この上ない喜びです。

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